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『果報をさがして』は実は完璧なタイトルだったー「沖縄で暮らす」は「探す」こと【毎日note】#119

12月の沖縄移住記を書き終えたとき、ふと腑に落ちたことがある(記事は来週公開します)。

私が沖縄の自然の中でやっていることを一言でいうなら、「探している」のだ。

北海道が大好きだった私を、この地に惹きつけてやまないものの正体を。

深い森を映し出す水面の向こう、あるいは軽石の流れてくるその先に、ちらりと見える世界の仕組み。世界の真理。

今でも、自分はここで何をしているんだろう。何がしたいんだろうと思うことはしょっちゅうだれど。

私が日ごろ意識しないけれど本当はとても知りたくてたまらない世界の仕組みに、この地でなら、もっと近づける気がするのだ。

沖縄は、良くも悪くも、いろいろなことが、ふんわりと包まれて隠されずに、他の場所よりも、剝き出しになっている、そんな場所に思える。あまりに矛盾するものどうし、相容れないものどうしが、平気で並んで存在している。それに対する強烈な違和感、嫌悪感のようなものを感じることもあるし、歴史の深さ、懐の広さを読み取れる時もある。

古い昔ながらの民家とピカピカのコンドミニアムが肩を並べる集落の小道を歩きながら、シオマネキがかさこそするゴミだらけのマングローブの川辺を歩きながら、私の頭は仕事をしているときなんかよりもずっと忙しく動いている。その場所の風の匂いをかぎながら、探している。見えないものが、見えるように。

3年前、あさひかわ新聞さんに沖縄移住記を連載させてもらえることになった時、タイトルの候補を送ってくださいと言われ、「果報を探して」以外にもいくつか送った(覚えてないけど)。いちばんキャッチ―で「ぽく」て物語らしいのはこれだよなあと思っていたら、案の定「果報を探して」が選ばれた。正直、キャッチ―だけどありがちで若干つまらないという、ただの自己満足がちょっぴり満たされない思いがあった。

しかし、3年後、3年分の記事をまとめて本にしようと作業を始めたとき、連載名とは違う、本ならではのタイトルを考えてもいたのだけれど、結局、「果報をさがして」(本では「探して」をひらがなにした)があれこれ考えた上でつけるべきタイトルだという結論に至った。ローカル新聞である「あさひかわ新聞」以上に、ずっと広大な「市場」に置かれることになるこの本のタイトルは結局、短くキャッチ―で「物語の匂いがする」ことが大事だった。

それでもやっぱり、デザイナーさんに作ってもらった美しい表紙にあわせて、マーケティング的に?「ベター」を選んだという感覚がぬぐえなかった。戦略的に、ではなく自分的にベストかというと、うんとは言い切れない部分があった。

だけど冒頭で書いたとおり、今さらこのタイトルがしっくりしてきた。最終的に、ベストだったじゃないか!そう思うことになった。

今月のあさひかわ新聞に載る記事は、一年の総括的な気持ちで、「没頭」をキーワードに書き進めた。私はこの一年、釣りに没頭しながら、その実、何をしていたのか。

仕事から帰ってきてご飯を食べた後、毎晩毎晩そのことを考えていて、やっと思い至った。ああ、探しているんだな。

そういう一年だったし、まだ、探し終わっていない。

(もし探し終わったなら、もしかして、別の地を見てみたくなるのかもしれない)


Kindle本を出版して2か月…記念的な年の終わりに、このタイトルにしてよかったねと、3年前の自分に対して思えたのは、とても幸福なことだ。よかった。ありがとう。


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