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毎日遊んでいたいけど、仕事があってよかった【毎日note】#129

いわゆる躁鬱、というほど極端なものではないけれど、ものすごく楽しい日、ドキドキするような日を過ごした後、ひとりで過ごす時の気分の落ち込みように困っている。自分がたまにこういう風になることは理解しているし、どうしてそうなるのかもわかっているけれど、わかっていてもコントロールはできない。そして「それ」は、特段予定のない休みの日の朝や、5日間同じルーティーンをくり返す平日の朝にたまにやってくる(朝起きてすぐ出かけるようなときはやってこない)。

こういうとき、そのままでいるのはツライので、休みの日なら、やりすごすために今まで何度も見ている好きなドラマや映画を見返したり、Kindleのライブラリにある何度読んだかわからないマンガを読んだりする。つまり、お手軽な受け身の娯楽で気分を紛らわす。

あるいは、作り置きのおかずをたくさん作るために、長く台所で手を動かしたり、たまっていた家事を忙しくやる。ちなみに直近で落ち込んだ時には、大きな段ボールに包まれて届いた家具を、プラスドライバーとスパナだけで黙々と組み立て、同時に大掃除をした。音楽だけではおそらく気分をコントロールしきれないので、YouTubeで常に賑やかな釣り動画を流していた。

では平日はどうするか。毎朝くり返しているルーティーンを同じようにこなして、いつも通り出勤する。車内でどんな音楽を流しても、あまり耳に入ってこなくて、ぼんやりしながら運転する。頭の中では、気分が沈む直前の「楽しくてたまらなかった日」の記憶が何度も自動再生されている。会社の駐車場に着いて、ギリギリまで車でスマホいじって、車から出て会社の入り口に向かっていくときも、まだ気持ちはどんよりしている。

でも、会社のセキュリティゲートをくぐり、前を行く人たちを追うように階段を上り、靴を室内履きに履き替え、もうひとつのゲートをくぐり、すれ違う他の社員たちにあいさつをしながらオフィスの自分のデスクに着くころには、少し、楽しすぎた日の記憶は薄まっている。パソコンを立ち上げている間に、同じ業務を共有している上司と軽く話をし、メールをチェックしているころには、胸に重くのしかかっていた憂鬱は少し軽くなっている。昨日までの仕事の進捗を思い出しながら、今日やるべきことを整理する。意識せずとも、頭は仕事モードにゆっくりと切り替わっていく。細かな作業のひとつひとつの区切りがつくときに、また思い出したりするけれど、次の作業のおかげですぐに忘れられる。

仕事に貴賤はないというけれど、誰もが、「自分の仕事の価値」に対して何らかの評価を持っているだろう。やりがいがある。責任が重い。退屈。くだらない。いろいろあるだろう。私の仕事は大企業のバックオフィスで、キーボードのローマ字打ちが普通にできれば、誰にでもできる仕事だ。私たちが煩雑な事務仕事を請け負うことで、親会社の社員はほかの仕事に専念できるので役に立って入るのかもしれないが、レベルの高い難しい仕事ではない。親会社ありきの存在なので、仕事を通して社会貢献しているという実感もない。そのような意味で、私の、自分の仕事に対する評価は高くなかった。

けれど、会社に行けば、私に任されている仕事がある。決められた時間の中で、うまく優先順位を決め時間配分をし、確実にクリアしてくことで、私は毎月生活するためのお金を得ている。先のことは分からないが、今は必要とされている場所があり、私のための椅子があり、私にやるべきことがある。それだけで、私は個人的なことで沈んだ気持ちを少しでも上向け、シャキッと立っていることができる。

平日に雲ひとつないようないいお天気だと、仮病を使って休んで釣りに行きたいとしょっちゅう思う。天気が良ければ毎日遊んでいたい。でも、毎日責任をもってこなすべき仕事がある会社という場所に、私はいろいろな意味で、救われている。


*今日からヘッダー毎日変えるチャレンジ~



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