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だからハッピーエンドはきらい

なんだか、誰かが私にきれいなハッピーエンドを押し付けようとしているように感じてしまう時がある。

運命の人と出会ったのね。もうすぐ結婚ね。互いの両親にも紹介したし、ゴールイン目前ね。

大きな企業に入れてよかったね。ここでコツコツがんばれば一生食べるには困らないよ。安定を手に入れたね。給料は高くないけど、とりあえず船には乗れたんだからなるべく揺らさないこと。


これでいいんだよ。もう安心だよ、って。
誰かに言い聞かされてる。
…ではなくて、自分で、自分を納得させようとしてる。

だけど私はあまのじゃくなのか、突然頭を振りたくなる。

こんなにあっさり私にハッピーエンドみたいなもの、用意しないで。
誰もが望んでいるかのようなもの。
手応えのないもの。
心の底から震えないもの。

私はもっと、もっと違うものを見たいんだから。バーチャルではなく、物語の中でもなく、この目で確かに見て、肌で感じたいのだから。そうして、ひとつひとつの感触を手に入れて、世界を知りたいんだから。

「こういうことだったんだ」っていう震えが欲しいんだから。

システムにがちがちに塗り固められた世界に、感動はない。

そうやって、あと少しおとなしくしていれば手に入るかもしれない穏やかで平和な暮らしを蹴って、「ここでもない」と立ち去ろうとする。ないものねだりかもしれないのに。

いろんなものを見て、傷ついて、救いようのない孤独を味わって。
そうして得た幸せじゃないと満足できないの。
それに人生が続く限り、エンドはこない。


だからハッピーエンドはきらい。

わかりやすい幸せ、または幸運に、自分をなじませようとしないで。
それが心底幸福でないのなら。

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