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【感想】そう、あなたの創作心を刺激する巨人の作品、『TAROMAN』である

 先日、Twitterで話題になっているNHKのドラマ、『TAROMAN』をYouTube公式配信で全話一気見した。色んな意味で衝撃だったと同時に、とても元気を貰えた。

 ちなみに自分は岡本太郎先生のことは「芸術は爆発だ」という言葉を言った人であるということと、太陽の塔の作者であるということぐらいしか知りませんでした。教養が無さすぎる……。

 前評判で聞いていた通りの特撮映像技術は勿論のこと、それ以上に岡本太郎先生の言葉と、それを下敷きにしたストーリーがとても心に深く突き刺さりました。自分を肯定してくれているようにも感じたし、殻を破るための後押しをしてくれたようにも感じた。第1話を再生して、オープニングを聴き終えた時には既に心を掴まれていた。そのぐらい岡本太郎先生の言葉は、自分が求めていた・誰かに言ってほしかった言葉なのであろうと思う。トンチキで悪ふざけのような雰囲気を持った作品ではあるけれど、そんな表層を突き破って自分の心を一瞬で掴むぐらいに岡本太郎先生の言葉はとても力強い。

 感じた衝動を嘘にしないために、そして忘れないためにもこの記事にしっかりと自分が言葉を受け止め考えたことを書き記しておこうと思う。自分は確固たる自己を常に保っていられる程強い人間ではないので、こういった標が必要なんです。創作作品に支えられながら生きている。タローマンには怒られそうなスタンスではありますがね。それに、他人のツイートや感想を見ただけで自分の感想を言った気分になるのを朝霧ルは許さない。

 ちなみに、特撮映像の面に関しても触れてしまうとキリが無く長々と話してしまう上に軸がブレてしまうので程々にしておこうと思います……。それだけ凄い技術と拘りなんですよ本当に……。まさかこんなに凄い特撮映像を令和に見られるだなんて思ってもいなかった。考え付いた人と、それを実行に移した人たち、本当にありがとうございます。全てが好きすぎる。サントラのサブスク配信か販売を待っています。

 特に印象に残った回の感想を中心に語っていこうと思う。


第1話「でたらめをやってごらん」

 訳も分からないまま話が進み、そのままオープニングに突入するテンポが凄い。先ほども書いたんですけど、オープニングを聴き終える時には既に心を掴まれていました。まだ何も訳が分かっていないにも関わらず! それほどまでに主題歌の歌詞が良い。

 オープニング映像(に限らずだが)の「昭和特撮あるある」への解像度の高さが、より岡本太郎先生の言葉の強さを引き立てている気がする。明らかに昭和の子供向け特撮番組のメロディーと歌声で「じぶんのこころに どくをもて」なんて歌い上げるものだから、それはもうめちゃくちゃに面白い。「うまくあるな きれいであるな ここちよくあるな マイナスにとびこめ」のフレーズを聴いた時に完全に心が掴まれました。しかもここのメロディーが絶妙に心地良いのがまたニクい。本当に元気をもらえる曲です。

 本筋の話もまた良くて、タローマンひいては岡本太郎先生の基本的スタンスを面白く、それでいて簡潔に伝わる話なんですよね。枠に収まらずにでたらめをやる。そこで「うんうん、創作にはそういうのが大事だよね」と思わせるだけではなくて、「人間はでたらめをしようとしても過去に見たことあるものの模倣になってしまう」という思わずハッとしてしまう描写も入れてくる。こういった真っ直ぐで痛烈な皮肉が入ってくるのも昭和特撮っぽさがあるように感じる。

 でたらめをやることの大切さと難しさ、その両方を痛感した話でした……。自分も多分、でたらめをすることが難しい側の人間なので。こうやって自分の限度を決めて卑下をすることは良くないんですけどね。岡本太郎もそう言っていた。

第4話「同じことをくりかえすぐらいなら、死んでしまえ」

 この回は一番のお気に入りです。サブタイトルからしてもう好き、というか深く共感しました。

 というのも、自分は「停滞は後退である」というのを胸に生きているからです。なので常に新しく挑戦し続けなければならない、という焦燥感がある。そんな自分を肯定してくれるような、とても強い言葉がテーマとなっている回を好きにならない訳がない。オマケにパロディを含め演出がキレッキレで普通に面白いのもズルい。隙が無い。

 話を入れてくるタイミングも絶妙で、1~3話を通して観ていると「ああこういう感じでやっていくのね」と、良くも悪くも”お決まりの流れ”を理解してくるタイミングなんですよね。だから劇中の市民もそういう反応をするし、タローマンはその反応に悩む。完璧な構成だ……。ちなみにお決まりの流れといえば「ワシのビルがぁ!」「社長ォ~」の天丼ネタが好きです。形を変えながら最終話までやってくれるのがまた良い。

 同じことの繰り返しである、というのは特撮ヒーローが特に陥りやすい課題である、と思っている。岡本太郎先生の言葉を表現するのにタローマンという所謂”ヒーロー物”(タローマンは決してヒーローではないが)の形を選んだことで、面白おかしく、且つ分かりやすくテーマが表現できたのではないかなあ、とこの回では特に強く感じました。

 それに加えて、この回では「タローマンは自己模倣が最も許せない」という重要な(重要か?)要素が言及される。この設定がまた上手で、『TAROMAN』という作品にはつい真似したくなる言い回し、所謂ネタにしやすい語録や定型の流れがある。そういったミームが無遠慮に流行らないような一種の抑止力的な設定になっている気がする。いや、めちゃくちゃ流行ってるは流行ってるんですけど、「でもこれもタローマンの嫌う自己模倣なんだよな……」というのを自覚した上で使っている人が大半なように感じられるので「元ネタをよく分からないまま語録を使う」ということが起きにくいのかもしれない。別にそうでもないかもしれない。気のせいかも。というか咎められると分かっていても使いたくなる魅力があるね……。いつタローマンに芸爆されてもいい覚悟のある人は使おう!

 とはいえ、タローマン自身が「岡本太郎先生の言葉」と「昭和特撮ヒーロー」の模倣でしかないというのも皮肉だ。これはタローマン全編を通して感じることなんですけど、岡本太郎先生の言葉を尊重し伝えつつも、少しそれを否定(というよりは反例?)するようなエッセンスも含むような構成になっているような気もする。

第7話「好かれるヤツほどダメになる」

 タイトルを見た時点でハッとした回。自分の中の課題をズバッと言い当てられた気分になりました。

 自分がこうやって文章を書いているのも、誰かに褒められたり好かれたりしたいためにしているのではない。自分の心を書き留めておきたいからしているのだ。

 とはいえ、やはり他者から褒められると嬉しいし、好かれるものなら好かれたい。承認欲求が服を着て歩いているような人間であることもまた事実。もしも自分がこの回のタローマンのように、周囲の人間から否定されてしまったらどうなるだろう。いや、より正確に言うならば「肯定されることが無くなってしまったら」どうなるのだろう。

 自分は、ほんの数年前までは自己の価値観を全否定されるような環境にずっと身を置き続けてきました。しかしインターネットで他人と交流するようになり、お互いに理解を示せるような人間と出会えた。そこから「自己を肯定される」ことを少しずつ積み重ねてきたことで、こうやって自分の思考を文章にして全世界に公開するような活動を始めることも出来ました。

 もしも、周囲の人間が「そういうのは求めていない」と手のひらを返し始めたら? いや、周囲の人間を信頼していない訳ではない。けれど対人関係に”絶対”は無いし、全ての人間に好かれるのも無理だ。色んな人と交流する中で、いつかそんな言葉を投げかけられることもあるかもしれない。そんな時、タローマンのように「好かれるためにやっている訳ではないので、これでいいんだ」と思えるような強い人間でありたいです。

 しかし「積み重ねではなく積み減らしなのだ」という考えを実践するのは中々難しそうで……。やはり目に見えるものの蓄積に拘ってしまう人間です、自分は。反省。

第10話「芸術は爆発だ」

 最終話にこのサブタイトルと奇獣”太陽の塔”を持ってくるセンスが、良い。教養の無い自分でも知っているレベルの有名なものを持ってくるというのはシンプルに王道でかなり熱い。とはいえ、この話は最終話でありながら異質な話で、他の回に比べて教養的なテーマはかなり薄い。オチに全振りと言ってもいいと思う。とにかく衝撃的なので、未見の人には是非とも事前情報無しで観てほしいぐらいだ。

 自分はこの回のオチを踏まえて、タローマンはある種の反面教師なのではないかと思った。まず前提として、岡本太郎先生の言葉は素晴らしい。そしてそれに影響を受けるのも良いことである。岡本太郎先生の言葉を分かりやすく広めていくことが、『TAROMAN』の製作意図であるということは疑いようがない。「けれど、その全ての言葉を額面通りに受け止めて体現するとタローマンのようにヤバい奴になってしまうよ(なので出来る範囲で程々にね!)」という意味を込められているのではないかと思った。

 岡本太郎先生の言葉は「死んでしまえ」だとか過激な言葉も平気で飛び交う。だけど、それは勿論本当にそう思っている訳ではなくて「そのぐらいの心意気で」という意味合いで言っているのだろう、と思う。それに過激な言葉を使っているからこそ短く端的に、そして深く心に突き刺さるのだろうとも思った。

 自分はこの最終話を観たからこそ、岡本太郎先生の言葉に対してもある種フラットな目線で向き合うことが出来るようになった。でなければ、「こんなに素晴らしい言葉を言っているのに、それを実行できない自分は……」と落ち込んでいた気がする。自分は何事も考えすぎる性質なので……。

総括

 ここまで読んでいただけた方々には、5分弱×10話という短い作品に自分がどれだけ頭を支配されたのか分かっていただけたと思う。『TAROMAN』を観た直後、本当にタローマンのことしか考えられなかったから……。なのでTwitterでも思考を書き散らかしたし、こうやってnote記事にもまとめています。

 正直言って、語り足りない部分はいっぱいあります。「人生上手くやろうなんて利口ぶった考えをタローマンは許さない」とかのそりゃないだろ的な無法っぷりをまだまだ語りたい。子役や女性隊員の昭和演技が特に完璧だとかそういう話もできる。YouTubeでもニコニコでも一貫してコメント機能が禁止されているので、他者の意思が介在しないで作品に向き合えるよねとか。安直なパロディ作品で終わらずにウルトラマンのアンチテーゼとしても完璧であるとか……。岡本太郎イズムを体現している作品は『ボーボボ』ではないのかとか……。

 だけど本当に伝えたいことは1つ。『TAROMAN』は元気をくれる作品であるということだ。創作のやる気を失ってしまいそうな時。一歩踏み出す勇気が足りない時。自分に自信が持てない時。……遊び心が欲しい時。そんな時、『TAROMAN』は起爆剤として背中を押してくれる作品なのだ。しかも短いので気軽に観れる。

 更に、岡本太郎先生のことを『TAROMAN』を通して知れたことで「自分には関係のないよく知らない人」ではなく「岡本太郎」になった。世界の解像度がまた一段上がった訳ですね。つまりこれから岡本太郎先生の言葉や作品を見かけた時、「おっ」と意識を向けることができる訳です。ある時は道端で、ある時はテレビで、ある時は書籍で。間違いなく自分の人生にとってプラスです。本当にありがとう……。

 自分は『TAROMAN』のおかげでまだ頑張ることができそうです。皆さんも是非一度は観てください。ちなみに自分はTAROMAN効果で岡本太郎先生の著作を買いました。「タローマンで見たことある!」効果で理解しやすいのでオススメです。岡本太郎展もいつか行ってみたいなあ。

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