親切との距離感
人に親切にされると、恐縮していまいます。
私は歪んでいるので、素直に喜べません。
申し訳ない気持ちの方が強くなります。
嬉しくない親切な行動
マンションのエントランスでの出来事です。
宅配ボックスに届いた荷物を取りに行ったとき、顔見知りではない住人に遭遇しました。
その住人は自分の郵便物を確認してすぐエレベーターに乗ったのですが、私を待っていてくれていることに気が付きました。
相手の親切な行動に、感謝の気持ちはあります。
ですが、急かされているような気持ちになり、慌ててしまうし、心が疲れてしまいます。
嬉しい親切な行動
サービスを提供する側とされる側の立場になれば、素直に喜ぶことができます。
持ちつ持たれつな関係の人にされる親切な行動も。
私が嬉しいと感じるか、迷惑と感じるかは、内容ではなく関係性次第なのかもしれません。
親切なWEBサイト
ネットショッピングを頻繁に利用します。
クーポンが使えたり、普段以上にポイントがたまるキャンペーンだったり、お得に購入できるサービスが溢れています。
私はお得な情報に疎くて、後になって「クーポンが使えた!」とか「キャンペーンにエントリーしておけばよかった!」と思うことがあります。
そんなとき、”自動的に適用してくれる”サイトや、”権利の有無を確認してくれる”サイトは、親切と感じる人が多数だと思います。
UIの操作性や可読性、視認性は当然のですが、仕組みも含めて間接的に設計やデザインをした人たちに感謝します。
私は不親切?
相手が望んでいるかどうかを考えずに、自分の基準だけで行動すると押し付けているように見えます。
マンションのエントランスでの出来事は、逆の立場になったとき、私は待つことなくさっさとエレベーターに乗って自室に向かいます。
不親切な人間と思われたかもしれません。
自分がされて嬉しいことが、相手も同じように嬉しいこととは限りません。
相手が望んでいるかどうかなんて、考えたところで分からないのだから、自分の好きにすれば良いのでしょう。
それが自分軸で生きるということなんだと思います。
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