ウォッカ1.8Lで吐き出す、希望と平和

朝起きたら、恋人が注文していたウィルキンソンのウォッカが届いていた。
なんだこれ。見たことねえ。
スーパーで買える水みたいな大きさで、1800mlと表記されていた。
わたしが家で飲む酒といったら、ウォッカとテキーラと、まあ適当なチューハイ。
金のない頃はブラックニッカ片手に池袋を散歩したりしたものだけど、今は半分飲めたらいい方。
高い酒は飲んだことないけれど、いい感じのディナーで白ワインくらいは頼める。
それでも簡単に酔うけど。
たまたま飲みそびれた氷結があったから、届いたウォッカで割ってみた。
およそ40度。それがドボドボとコップに注がれていくのだから、なんだか感覚がおかしくなりそうだ。
こんな透明で殆ど無味な、特に粘性もない水のような液体が、わたしの体を蝕むのか。
ああ、そんなことを書いてるうちに視界がぐらついてくる。
シャルドネスパークリング。うん、悪くない。
体感12%くらいにはなったかな、わからないけど。
恋人はレモンサワーの素を溶かしている。
体があったかくて、眠たい。
酒を飲むのは好きだ。酔わない酒は酒じゃない、安くても不味くても、この不安を溶かしてくれるならそれでいいと思った。
文章を書くには向いてないかもな。
ただのエッセイ。タダの小説。また言葉を溶かした。

しばらくすると恋人は酔い始めて、まあ、口数は少ないけれど顔を見ればわかる。
頬が火照って、額から紅潮した顔が覗く。
とうのわたしは、手首の傷口がかゆい。イライラしながら汚い音楽を流す。 
彼の顔は赤い。でも空気が青い。へんなの。
アルコールはダウナーで、わたしはダウナーが大好きで、……そんなくだらないことを書いてる間に、彼の青色がわたしの肌にそっと触れる。
青というか、もっとくすんでいる。わからない。
しばらく椎名林檎を流していた。特別好きってわけでもないけど、当たり障りない音楽だと思うし。
気がつくと彼はリビングからいなくなって、寝室で横たわっていた。
気分が悪いのか?
頭を悩ませながら、軽く一服して布団に潜り込んだ彼の隣へ向かう。
そして気づいた。青色の正体に。
わたしの気配に、ヘッドフォンを外す彼。別に、落ち着くためならそれでいいんだよ、なんて思いながら、忙しない彼の心臓に触れる。
わたしもこうなるときがある、基本は眠剤と酒で寝逃げしてしまうけど。
彼はちょうど魔法を切らしていたわけだし、そっと抱きしめて後は適当にイヤホンで好きな音楽を聴いていた。
適度な無関心。それがどのくらい助けになるのかは分からないけど、少なくとも彼はそこから逃げ出さないだけ、まだ煩わしいとは思っていないんだろう。
正解ではなくても、間違いでもない行動だったように思える。
ふらつくからだで、彼はトイレに立ち上がる。
「ゆっくりね」 
そう声をかけて、わたしは布団に潜り込む。
今朝飲んだストラテラのせいで、しばらくずっと後頭部に来る寒気のようなものを感じた。
効果はまだ分からない。
彼が隣の部屋で、薬のシートを漁る音が聞こえる。
落ち着きたいんだろうな。
そう思って、彼の腕を引きながら寝室へ戻るが、「大丈夫、だいじょうぶ」と彼は繰り返した。
うーん。悩ましい。彼の大丈夫は大抵、大丈夫ではないことをわたしは知っているからだ。
先程デパス数錠を酒で溶かしていたけれど、それだけじゃ足りないのか。
わたしも魔法に困っているわけじゃないし、いつか返してくれたらいいや、とか軽い気持ちで、壁にもたれながら寝室へ戻った彼の口に魔法を放り込む。
「これ、ハルシオン。眠くなるかもしれないけど」
抗不安薬ではないが、まあ作用としてはデパスと似たようなものだし。
わたしに取り除けないのなら、仕方ない。
彼はそれを舌下した。
「それ、あんま美味しくないよ」
まあ、そんなことより効き目が欲しいんだろうな、弱ってる姿を見るのはわたしの特権だ。
ここにすら書きたくない。

まだ酔ってるな、自分。言葉が出てこなくて、少し困ってハイライトに火をつける。
ゆっくりと煙を吸う。深呼吸。吐き出して、これが憂鬱ならいいのにな、と思う。
そういえば。HOPEって、なんて皮肉な命名なんだろう、と友達が口にしたことを思い出した。
「希望」を吸って、吐き出す。
笑える。
そんな儚さが、この白煙には感じ取れた。
彼の命は儚いんだろうか。
わたしはいつか未亡人になるのだろうか。
命も記憶も永遠ではない。
わかっているけど。
悔しくなってまた、彼の平和に手を伸ばす。
病人の介護をするように、彼の口にねじ込んだハルシオン0.25の感触を指先が強く憶えていた。
腹が減ってもいないのにお菓子を食べた。
甘いのはわかるが、それ以外は分からなかった。
わたしは本当は目立ちたがり屋なのかな。
みんな、何か求めて生きているんだろう。
息の根も止めたいわたしとは違って。

昨夜、バイト終わりの深夜2時に帰宅したわたしは憔悴しきって、縋りつくように彼を抱きしめた。
もういやだ。
22時から6時までの夜勤が終わって、またその日のうちに22時から出勤。
急かされるような日々。休憩中の一時間で、事務所で寝落ちてブザーを鳴らされた。
しんだらいい。
同じシフトの人は気にしないで、と笑って一時間の休憩のまま通してくれた。
その次の日は、入職して三日目の仕事。
初日に教わった業務を一通りやっていたら、違う先輩からの「早く終わらせて」
うぜー。
それで済めばよかった。
「すみません」
簡単に謝って、バックヤードでデパスを噛み砕いて、ランドセンなんて全く効かねーじゃん、とイライラしながら仕事した。
軍手がないから手指を何度も傷だらけにした。
痛くはない。
そんなことより、軍手で感触が鈍るほうが気持ち悪かった。
「あはは、いつも手首切ってるんで大丈夫です」
なんて笑いながら答えたらよかったか。
寒気がする。
数年ぶりのストラテラは慣れるまで時間がかかるな、なんて思いながらレジに入る。
「すみません、大変申し訳ございません」の定型文で深夜のクレーマーをいなして、残り一時間、というところでついに視界がぼやけてくる。
すみません、少しお手洗いに……

浅くなる呼吸をゆっくり整えて、便器に突っ伏しながら、半泣きで自分の腕を殴る。
大丈夫、痛いから。なにがつらいかわからないけど、まだ泣けるから。
目にゴミでも入ったのか。そう思うくらい、たった数時間のアルバイトで、何がそんなに涙が出るんだろう。
不思議でたまらなかった。
ダサい、情けない。死ね。しんでしまえ。
そう呪いながら、赤くなった目元がバレないように水滴を拭って、また表へ出た。
「眠くて欠伸が止まらなくて」なんてヘラヘラと誤魔化しながら、またひとつ嘘が上手くなった。
ここから飛び降りたのなら、僕の憂鬱はただの「情けなさ」じゃなくなるだろうか。
ここに飛び込めたら、僕の苦しみはただの「甘え」ではなくなるだろうか。
わからない。分からないけど理由が欲しいから早く死にたい。
病名がついたら、全てが同情で済むのだろうか。
今更何もいらないけれど。
わたしの性格の根本も、いじめてきたあいつらも、全部わたしの見た目が悪いことの二次災害でしかないと思っている。思っているよ。
金貯めて整形して、そんな夢、もう要らないじゃん、可愛い顔で学生時代を過ごしたかっただけ。
残りの人生、死ぬのを待って働くだけなら、もう見た目なんて関係ないし。
わたしのやりたいことはすべて後悔で、諦めることが真の幸せなんだと気づく。
諦観こそが幸せの定款。
へんてこだ。わたしのすべてが変だ。
キメてるときの恋人と何ら変わらない。
そして数分に一度くらい、自分がおかしいことを自覚できる。また違うところに飛ばされる。
時間がわからなくなる。
焦る。早まる鼓動をどうにかしようと、またデパスに手を伸ばす。

「本日は、どういった症状で?」
真面目な顔で医者が聞く。
「おかしいんすよ。おれも。世界も。全部」
医者は困った顔をする。隣の看護師も、頭にハテナを浮かべた。
分からなかった。
ある日の休み、薬を抜いたら、ふわふわした。
この世のすべてが作りものみたいで、前日まで電話していた友達すらも知らない人で、恋人すらも他人みたいで、おかしくて、こわくて、一日中不安だった。
だから、手首を切った。
痛みと傷口と、見慣れた光景に、視界の周りに張られた膜が、上手く引き剥がされたような気がした。
自分に戻る方法がこれしかない。
過去のトラウマに駆られたときにも、自分の太もも辺りを思い切り殴りつける癖がある。
現実に戻りたくて。戻りたくて。こわいから。
でも、今となっては夢か現実か、過去か今か、まったく分からなくなりながら、ただ曖昧な追憶の中で独り言を呟いている異常者だ。
助けてほしい。
埼玉の片田舎で、通える範囲の精神科を探した。
そのうち4軒は、年齢を理由に断られた。
なんだ、わたしを見捨てたのか。死んだらいいと思っているのか。電話の切り際、死ね。と呟いて終了ボタンを押した。
まだ酔っている。頭が重い。視界が遅い。
明後日、ようやく三時から病院が決まった。
適当な受付の女。別に構わない。近いから。
薬をよこせよ、と言えたらいいよな。笑いながら、往ってきます。

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