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みどりを引き取った



 みどりを引き取った。

 身寄りをなくし親戚をたらい回しにされた挙句に虐待を受け、家を逃げ出して警察に保護され、とうとう扱いに困った末に33歳にしていまだ独身の俺のところにまで相談が来た次第だ。

 独身の俺に世話なんてできるはずがないし、みどりが危ない目にあうかも、なんて受け入れを拒否していた分際の妹が小馬鹿にするように言い始め、勢いも余って引き取ると宣言をしてしまった。
 もちろん、勢いだけではない。不安がないと言えば嘘になるが、1人で生きていく力の無いみどりを思うとどうしても放っておく事ができなかったのだ。
 今日から俺たちは家族になるんだよ。親戚が立ち去って静かになった部屋で俺はみどりに優しく声をかけた。
 みどりは理解しているのかしていないのかわからない様子で首を傾げ、少し怯えながらお腹が空いたと訴えてきた。
 普段コンビニ弁当くらいしか食べない俺はどうしたものかと考え、ストックしていたパスタの存在を思い出した。
 それは料理と呼ぶにはお粗末で、他人に出すにはあまりにも気が引ける簡素なものだったがみどりは今日から俺の家族だったんだと気が付いた。おいしいおいしいと言って食べるみどりを見て、俺はもう少し料理の勉強をしようと誓った。

 そして、その日から俺の生活は目まぐるしいほどに変わっていった。

 クタクタになって会社を出ると、その足でスーパーに向い、重たい買い物袋と鞄を手に自宅へと帰る日々。

 そこには必ずみどりが待っていて、料理をしていてもあれやこれやと事あるごとに泣き叫んだり、かと思えば笑い出したりとにかく感情の起伏が激しかった。
 今まで世話をされることはあっても、世話をすることなんてなかった俺は何から手をつけたらいいのかわからないくらいいっぱいいっぱいになってガムシャラにみどりと向き合った。
 お風呂を嫌がるみどりを風呂に入れ、散らばった洗濯物を回収し、リビングで寝始めるみどりを布団に押し込んで眠りにつくと、朝には先に目覚めたみどりに叩き起こされる毎日だった。
 疲労は日に日に蓄積していたが世話をすると言ったからには泣き言も言ってはいられなかった。なによりみどりの笑顔を見ると、そんな事はちっとも気にならなかった。
 会社では女でもできたんじゃないか?なんて少し噂になったが、そんなんじゃないですよと事情を話すとたちまち噂好きの女子社員が拡散し、呆れるやら尊敬するやら色々なご意見を頂いた。残念だったのは俺に気があるんじゃないか?と前から思っていた女子社員が明らかに俺からフェードアウトしていった点だ。俺は少し泣きそうになったが自分の婚期より、みどりを優先しようと固く誓ったことを思い出してグッと堪えた。何よりみどりと過ごす日々が幸せだったんだと思う。
 ある日、家に帰るとみどりがグッタリと横たわっていた。いつものような元気な笑顔はなく、小刻みに身体を震わせ唇は紫色になっていた。
 俺は急いで救急車を呼び、電話口で何を口走ったかすら覚えていないほど慌てて何かを訴えた。救急車はすぐに到着したが待っている間も、病院まで搭乗する間も気が気ではなかった。
 診察を待っていると医者に他の家族を呼んで欲しいと言われた。この言葉が何を意味するのかなんとなく察してしまったが、みどりの家族は俺だけだ。
 医者に事情を伝えると、重い口を開いて聞いたことがない病名を告げた。その病気はみどりの年齢や体力を考えると外科的な治療が難しいこと、投薬にはみどりが耐えられないかもしれないことを伝えられた。
 俺はなんとしても治して欲しいと医者に泣きついた。お金はいくらかかってもいい。たいした貯金もないのにそんな事を言い放ってみたが、これはお金の問題ではないんですと医者に諭される始末だった。
 初めから危険な投薬による治療しか選択肢がなかったのだ。俺は形式的な書類に泣きながらサインし、腫れた目をみどりに悟られないようにこれから毎日薬を飲むんだよと優しく話しかけた。
 みどりはここがどこだかよくわかっていない様子で、点滴の管を不思議そうに眺めていた。
 この日からみどりの衰弱は信じられないほど早かった。会社から病院に通うたびに元々細かったみどりの身体がドンドンと痩せて、みるみる弱々しくなっていった。
 本当にこの治療法が正しいのかと医者を問い詰めたがここで治療をやめては今までの努力が無駄になること、みどり本人の治癒力に頼らざるを得ないことを説明されるだけだった。
 ある日、会社で会議をしていると病院から電話があったと呼び出された。今までこんなことは一度もなかったのに急に電話があったのだ。慌てて携帯を見ると何件か着信があり、俺は電話も受け取らずに無断で会社を飛び出した。
 タクシーの運転手に病院の名前を伝え恐る恐る折り返しの電話を入れると、みどりが死んだことを伝えられた。
 あまりの呆気なさに、呆然とした頭で病室に向かうと、みどりが嫌がっていた点滴の管や呼吸器は既に外され、息を引き取ったみどりが静かにベットで眠っていた。
 たった1人の家族も守ることができなかった俺はその場でへたり込んでしまった。
 失意の中でも、やるべきことはやらなければいけないのが社会人で身内が死んだらやる事なんてサイトを見て、親戚への連絡やら葬式の手配を行った。
 葬式の当日、みどりを預かってからいままで一度も顔を見せたことがない親戚たちがわらわらと集まって、何か俺にゴニョゴニョと言っては立ち去って、遠くで団欒としていた。あれほど人に怒りを覚えたのは初めてのことだった。
 火葬場で焼かれたみどりの骨は本当に細かい灰になって、この世にいたのかも疑わしく思えるほどだった。みどりが生涯で残せたものはこれだけなんじゃないかと思うと途端に涙が止まらなくなった。
 少し遅れて偉そうな顔をした坊主が到着し、念仏を唱え始めた。
 やがてお経を終えた坊主はこちらに振り向き、説法を始めた。
「えー、山田みどりさん、95歳ということで大往生でございまして、お集まりの皆様におかれましては」

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