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女子バレー部

「小中学校の記憶ないからなあ…」

というのは私の口癖。

記憶が無いのは日常の細々したことを覚えていないという話で、流石に印象的なことは覚えている。

今日はなんとなく中学生の頃のお話です。特に中学1年の頃だけ在籍した女子バレー部での。

入学して、ほぼノリで他の部活を見学することもなく女子バレー部に入った。すぐに引退する3年生の先輩7人、2年生の先輩1人、1年生が28人。比率がおかしすぎる。

練習はキツかったがそれなりに楽しんでいた。でも楽しかったのは練習内容だけである。

私は部活のメンバーの大半が好きではなかった。なんなら嫌いだった。話は合わない、価値観も合わない、性格が皆それなりに遠慮がない、女子が集団になっていいことは無い。陰口、愚痴、エトセトラ。嫌なことが多すぎてろくに言葉にもできない。

私がそう思っている人達と土日、朝練、放課後練習、終わってから同じ学年の子とふらふらのんびり帰る。普通に苦痛だった。

1人だけ、28人もいる中で1人だけ好きになれる子がいた。その子も遠慮はなかったけど心優しくて、どこか変わった雰囲気を持った子だった。この子はクラスも同じだったから卒業まで仲良くすることになる。

1人でも仲良くて好きになれる子がいるならその子と一緒にいればいいじゃん、もしその子が居なくても適当に流して、最悪1人でも耐えれる。そう思ってたしそう思われるかもしれない。

でも問題はそこじゃなくて、部活がバレーボールだったことだ。あの競技、絶対に1人では練習できない。サーブしか一人で出来る練習がない。おかげで今でもサーブは絶対に向こうのコートには入る。

正直試合に出たいとかじゃなく、ただバレーボールがしたかっただけだった。そんな意識ですらも周りと違っていた。

半年も経たないうちに私はこの人たち無理だな、と思ったしみんなといた方が良いんだろうとは思っていたけどどうにも馴れ合いたくなくて、どうにか1人になれるような行動をしていた。そしてきっと態度にも出ていたんだろう、あっという間に私は孤立した。

その子たちに嫌われること自体は全然傷つかない。だって私もその子達のことが嫌いだったから。

ただ人に嫌われるという事実が私には堪えた。

でもそんな嫌いな空間にいつまでもいたいわけない。顧問ですら嫌いだった。

年が明けて暫くしてから、唯一の好きだった子が退部した。理由は練習を真面目にこなさない大多数の部活メンバーとその空気感が嫌になったからというものだった。

それについては私たち2人よく話をしていて、嫌だけど2人だけじゃどうにも変えることができないね、でもずっとこのままはしんどいよねって話していた。だからその子が辞めると言った時何も不思議ではなかったし、止める理由はなかったから次の部活で楽しくやってねって送り出した。

その子が辞めてしまうと私はあっという間に、本当のひとりになった。

最初は部活を辞めた理由を知るのが私だけだからとどう直したらいいのか、みたいな話し合いに参加させられてもいたけどそんなこと風化する。結局私だけが真面目なことを言って、敬遠されて、みたいな。シンプルに私が嫌われていただけだとも思うけど。

私は段々と基礎練のパスの相手すら見つけられなくなって、バレーボールをするのは好きなはずなのにもう嫌だと思うようになって。

結局私もすぐに部活を辞めた。

あの時辛かったことなんてたくさんある。部活のほぼ皆が誘われた遊びに誘われなかったり、どうにも会話が盛り上がらなかったり、誰かの悪口を言いあうのに参加したくなくてもそこに居なきゃいけないと思う環境だったり。

全然楽しくなかった。

あの部活で得られたことなんて基礎体力とどうしても合わない人間がいると知ること、あとは女子へのトラウマだ。嫌だったのは全部人だった。きらきら、ちゃらちゃらした女の子たちが怖くなった。私は今でも同級生の女子と何を話せばいいのかわからなくてずっと悩んでいる。

あの1年間の部活をどれだけ美化していい経験にしたくても絶対にできない。今では詳細にどんなことが嫌だったのか思い出そうとしても思い出せなくて、ただ女子が怖くなった嫌な記憶だとしか言えない。

せめてもの救いはあの後すぐに入った美術部で色んな経験をして、すごく楽しい中学生残り2年間を過ごせたということだけだ。

嫌なことからは離れていい。逃げなんて言われたくなかったらそれよりさらにいい環境に移ればいい。

どう思われても自分の人生だし、自分がストレス感じるようなとこにいる必要ない。

耐えることだけが美しい人生ではない。と、私は思いました


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