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私の推し活

私が「推し」という言葉に出会ったのは中学3年に上がってからだった気がする。3DSの当時のSNSみたいなやつ(meverseだったかな…)でそういう概念を知って、当時ハマってたアニメでしっかり「推し」を作って、それについて理解した。

中学の頃、女子が怖くなる出来事があってから圧倒的に男子との交流が増えて、「好きだな」と思うことがたくさんあった。それこそ仲良くなった男子全員にそう思っていた。

当時の私は未熟でそれが恋愛的な「好き」なのか、人間として「好き」なのかがわかってなかった。だからすごく混乱したし、「私は浮気性なのか」と不安になったりした。そもそも誰と付き合ってた訳でもないけど…。

そんな時に「推し」の概念に出会ったが、結局中学を卒業するまで私の「推し」は画面の向こうにしかいなかった。


高校に入ってからは中学の頃とはまた違う形で色んな人と交流を持った。苦手ではあったけど女子とも少々、やっぱり男子の方が多めで。

人との交流が増えて、画面の向こうの好きな人も好きな理由も増えてきて、「恋愛的に好きな人」、「人として好きな人」、「推し」の違いが明確に分かるようになった。

そうか、好きは好きでも性欲の孕まない、ただ相手が生きているだけで喜びを覚える程の好きは「推し」へ向けた感情か。その棲み分けを完全に理解してしまった。

文字にしてみると少々重いけど、私が推しを言語化するとこのレベルである。

ここで私の中のなにかに火がついた、らしい。ここからの人生で生活に推しがいない時はなくなった。

「推し」は高校時代に1人出来た。しっかり毎日その人の生存を応援していた(男でした)。

「推し」は朝その姿を確認するだけで尊くて、たまにふざけあって雑談するだけでも幸せであったが、とりあえず「推し」が生きているだけで、学校で会えるだけ、それだけで私は満たされていた。

安心してください、ストーカーとかはしてません。健全です。尊すぎて不必要に触ったりも出来なかったし写真も本人の許可がないと撮ってません。家とかも知りません。聞けませんでした。

高校の時は最推しとは別に、そのレベルではないが推している人がたくさんいた。誰ともその好みは共有できなかったのでなかなか特殊な性癖であることは間違いないみたいです。恥ずかしい。

今では大学やバイト先、2ヶ月しかいなかった実習先でも「推し」を作っては毎日の癒しにいている。すぐ「推し」を作る人として謎の定評すらある。

ちなみに私は今K-popアイドル、プデュ出身アイドル、タイ沼に基本生息しているが特にアイドルでは「推し」ができないとハマらない。そのくらい「推し」に重きを置いている。


画面の向こうでも現実のコミュニティでも「推し」がそこにいるだけで、呼吸をして生きているのがわかるだけで、私が満たされる。別に交流なんて取れなくても遠くで笑ってるのがたまに目に入るだけでもなんでもいい。「推し」が生きて動いているのがわかるだけで私の人生がとても華やかなものになるし、日々の活力になっている。

あまり役に立たないライフハックですが、その姿を目に留めるだけで幸せになれるほど好きなもの、「推し」を作るだけで人生は楽しくなります。このnoteを見ているあなたにも是非、この「推し活」をオススメしたい。(※諸説ありすぎます。)

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