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海外に住んでるからなんなのだ。野沢直子を添えて…

 12時に目が覚めたのに、気づいたら16時になっていた。一瞬なにが起こったかわからなくて、途方にグレタさんになってしまったけど、そろそろ”よく寝る人間”としてユネスコに登録されても良い頃合いなんじゃないか。そんなユルユルなユネスコは”ユルスコ”といったところだろうか。分かってもらえると思うが、ただ思いついたことを言っているだけである。真剣に書け。はい。


 毎日こんな時間に日記を書いていたら、きっと日本時間で生きているとは考えられにくいかもしれない。どこか日本から離れた遠い国(遠い国って御伽話じゃあるまいし)に住んでいると思われていても不思議じゃない。この人の住む国は今昼なんだなぁって思われてるかもしれない。ちゃんと夜です。ド深夜です。毎日深夜にお腹が空きます。助けて…


 なぜか、海外に住んでいる人は”頭のいい”とか”エリート”という形容をされることが多い気がする。「あの芸能人の今は!海外在住のエリートビジネスマンだった!?」みたいな囃し立てられ方をよくテレビで見る。外国で暮らすという選択肢が私にはないから、すごいなとは思うけど、テレビを作った人がどうやって海外在住とエリートを結び付けたのかがどうしても分からない。
 番組の構成において、その人の生い立ちを語るパートがあって、海外に移り住む理由は判明するけれど、その人の現状の能力には触れない。その人がエリートかどうかって現状の能力に左右されるものなんじゃないのか? 生い立ちとか全く関係ないと思うけれど…

 今、この国!この会社に勤めていることがエリートである証でしょ!?という類の発言かもしれない。そんなのは証にはならない。日本にも大手の会社に勤めているけど、出来が普通の人なんて大勢いる。テストの点数が良ければいい会社には入れるのだから。そもそも、テストの点が著しくいい人間には社交性がない。大手企業の社員の質はむしろ悪いといってもいい。


 閑話休題。話を戻しましょう。(閑話休題。話を戻しましょうという表現は、屋根ありドーム球場と一緒で二重表現ですね)。やはり、母国語(日本語)に加えて外国語ができるというのは”頭がいい”というシンボルになっている気がする。これ、そんなにすごいことか。言語学を他国言語で学んでいるという域になるととてもすごいことだと思う。それは母国以外の言語を深く深く研究し、微妙な言葉の差異を使いこなすということだから。でも、日常の言葉を理解するくらいなら、多少アホでもその言語文化に住んで仕舞えば可能な気がする。だって、野沢直子にもできたんだぞ。


 別に野沢直子を馬鹿にしている訳では全くなくて、野沢直子は面白いから大好きだし、私が小さい頃は、バラエティでおもろいことを言う元気なおばさんというイメージだった(めちゃくちゃ褒めてます)。その野沢直子が急に渡米したときは本当にびっくり仰天した。なんで?というのと、それ大丈夫なの?というのと。

 当時の私はまだ思考が幼く、それこそ、日本人がアメリカに住むのは頭のいい人のやること、と思っていたから、ののの、野沢直子???となったのである。どう見てもただのおもろい人だったから。いや、見た目で頭の良さを判断するなというカウンターは納得できるけど、やはり勉強第一としている人が渡米するのと、テレビでしゃべくりまわってるオバハンが渡米するのでは弾の威力が違うじゃないですか。後者の方が明らかに威力が強い。

 結果的に野沢直子は向こうでちゃんと生活しているし、たまに日本に戻ってきておもろいことを喋っている。昨年の正月だったかにテレビで見た時は都合の良い時にだけ戻ってきやがって、と思った記憶がある。緑の髪してた時だ。時期はもっと前かもしれない。

 向こうでちゃんと生活をしている野沢直子のエピソードを聞くと、ああ別に誰が行っても大丈夫なんだなあ、という気持ちになる。頭の良さって関係なくて、ちゃんと隣人を受け入れたり、買い物をする元気があったり、そもそも、生きていこうと思ったりすれば、外国でも案外大丈夫なような気がする。

 物事には少なからず準備が必要だから、明日アメリカに飛べ!と言われたら会社を辞めるか結構悩むだろうけど、ある程度の準備期間があれば、誰でも向こうで日本のテレビの言う”エリート”の道を歩めるんじゃないのかな。海外在住であればエリートらしいから。

 海外在住だからエリート、大手企業に勤めているからエリートなんてことは全くない。どこにいても、誰にピックアップされようと、この瞬間、アホはアホ、エリートはエリートなのだ。結局、どこにいても自分の持てるベストを尽くす他ない。当たり前だけど、ベスト以上のベストはでない。もし出たとすれば、それは自分のベストの見積もりを間違っていただけで、自己管理能力を疑った方がいい。力以上の力はでない。自然の摂理だ。

 海外に住んでいるからなんなのだ。英語ができるからなんなのだ。人々が描くエリートの偶像に惑わされずに、偉そうな人が言ったエリートの王道ってやつを疑いながらこれからも生きいく。偏屈街道を今日もサービスエリアで蕎麦食いながら徐々に進もうと思う。

そんな感じでふと思ったことをつらつらと書きました。また明日。

またね。


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