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過去を想っても未来は安定のnot found

 Twitterは「今なにしてるの?」といじっかしい質問をしてくるが、noteには「お体にはお気をつけください」と優しさを分けてもらえる。その優しさを受け止めて体調にはちゃんと気を配ろうと思う。”もうそろそろ暖かくなるだろう”と思って、4日ほど前に髪を切ったのだけど次の日からグンと気温が下がった。タイミングが悪過ぎる。朝がとても寒い。


 昨日は朝方まで起きていたから、今日は夕方に起きたのだけど、起きた途端にめちゃくちゃ餃子が食べたくなってスーパーにスーパーダッシュした。車で。

 スーパーを一周して何気なく欲しいものをカゴに入れていたら、お会計の時に2700円くらいになっていた。外食1回分より全然高い。なんてこった。
 2日前、いやもう3日前か、に大切な人と一緒にスーパーへ買い物しに行ったとき「ああだめだ。なんでもかんでも欲しくなる」と言った彼女に「はっはっは」と笑って返した記憶があるのだが、そういえば私もそちら側の人間だった。多分私はこだわりが強いのかな。食べれればなんでもいいという訳じゃないし、スーパーで食材を吟味するのは楽しい。アルビス(近所のスーパー)は見るだけなら無料の博物館なので。


 夕飯を食べてから、友達や恋人なんかの定義を考え出したのはいつ頃からだろうか、とゆるゆる考えごとをしていた。これは多分、中学校を卒業という大義名分で追い出されたときからだと思う。

 小・中学生の私は、同学年総お友達計画の最前線にいた。最近は随分と落ち着いて、屈折メガネを通してしか世の中を見れなくなってしまったけど、当時はかなりパッショナブルな部類の人間だった。みんなで仲良くできればいいなと甘いことを本気で思っていたし、可能だと思っていた。そこには個性みたいなものを否定していた側面もあったのだけど、これは少し議論が深くなりすぎる。

 争いにエネルギーを割くのが面倒だったし、我々が争ったところで大した喧嘩はできないよ、と思っていたのもあるんだけど、真剣に仲違いは時間の浪費だと思っていたし、みんなで笑っていれば楽しいし、楽しいというのは一番楽な状態なんだろうと思っていた。今考えれば難しいことから逃げていただけのような気もする。あと…なんというか…みんなで仲良くするよう大人から期待されていたので、その期待に自分だけでも応えようとしていた側面もある。大人から褒められるのは結構好きだったので。

 みんな平行だった。多少の好き/苦手はあったけど、それはただの現象。特別なんかじゃなかった。特別にするのが怖かったわけじゃない。特別になるのが怖かったのは、少しあるけど。


 高校に入ったらこれが驚くほどきっぱりなくなった。理由はいろいろある。中学の人間とはすっかり離れ離れになってしまったし、色々なところから人間が集まってきてたし、2年からは文系理系にも別れたし、さまざまな変なやつがいた。私はここでやっと個人差ってものを理解したのだと思う。人はそれぞれ違うってことを。そして、私もその一例なのだと。
 そうなるとだんだんと特別がわかるようになってくる。言葉の意味はわからないけれど、現象の心地良さは肌で感じる。肌で感じたものが圧倒的正解だとは思わなかったけど。特定の人間を特に〜の関係だと表現するようになった。すごく遅いような気がする。


 最近はよく自分の過去について振り返る。言語化してみるとなんと陳腐な人生なんだと思うけど、それは捻くれているだけかもしれない。過去を回顧するときは現実で悩んでいるときかなと思う。悩んでいるということは選択を迫られているということだと思う。どういう身の振り方をするか決める時期なのだ。今日目当ての大学のホームページが「not found」と表示されて”ひえー”と思ったところなのだが…タイミングが悪い。


 そんなこんなで過去と未来に挟まれて元気に今を生きています!


 またね!

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