ザクッと音のする問いを立てたい

考えているサービスのインタビューをスタートしました。ペルソナに近い人にアンケートをしていくなかで、段々と言語化できていなかったことに気づき始めています。

仮説をある程度もって臨んでいますが、今の自分が質の良い仮説を作れるには至らず、インタビューを通して仮説っぽいものが仮説になるみたいな感じで進んでいます。

インタビューをしていくと、自分的に自信のあった仮説を相手に押し付けてしまったり、都合の良いように解釈してしまいがちになります。

なので、仮説を分析しながらスムーズに行えるようになるため、朝の時間を使って水平思考ゲームを行おうと思います。

一緒にやりたいかたは個人的に連絡ください笑

今日は問いで見えている世界が少し変わった話をしようと思います。今から約2年ほど前、僕には強烈につくりたいサービスがありました。

思い出の曲と過去を結びつけて日記をつけるという感じのサービスでした。

ことの発端は、友達と話しているときに『音楽と人生』みたいなことやりたい!と言い、大学のホワイトボードに書きなぐって、ああでもないこうでもないと議論しているときのことです。

僕のなかである一つの問い、『本当に自分が使いたいか?』に対して、答えが出せずにいました。

課題を考えても、すごくぼんやりしているし、一文で書けるほどスッキリしていない状態で、最終的に何もすることなく頓挫してしまいました。

サービスを考える上で、『誰のどんな課題をどうやって解決するのか』という根幹に対し、良い問いが立っていないからこそのムズムズだったのだと思います。

ふと、起業の方法論をまとめた本の一節に、以下のようなものがありました。

『その課題は本当に痛いのか』

この問いを見たとき、控えめに言っても目が飛び出るほど衝撃を受けたことを覚えています。何度も読んだその本の一節を、自分が受け入れていなかったことにもビックリしましたし、理解したとき、考えなければいけない、インタビューで聞かなければいけない問いがたくさん生まれました。

課題が一番大事とか、その課題で困っている人ってどれくらいいるのか、お金を払う人は誰かなど、それに近しい考え方はもちろん知っていました。それでも、何を意識するかがそこまで明確ではなかったと思います。

ビジョンもそうなんだろうなと僕は思います。束になった導線を切るような鋭い視点があってはじめて、やることが明確になるのだろうなと。

良い問い立てることは、まだ僕のなかでできるとは言いにくいですが、言語化できた際は改めてnoteにします。

とくに読んでいてためになることを書けてはいませんが、等身大の自分をここに分けることができたので今日はこの辺にします。

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