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始めてみたら意外と楽しい 〜嫌いと苦手の違い〜

私は家にいるのが好きではなかった。

なぜか。家の閉塞感と雑然とした感じが落ち着かない。片付けが下手というのもある。片付かないのが気になる割に、片付け方がよくわからない。右のものを左に移したところで、見た目は少し変わっても、物の全体量は変わらないのだ。

だからインスタなどで、美しく整理整頓されたキッチンや、洒落た家具がまるでカタログのように配置されたリビングなどを見ると、羨ましさと諦めと、若干のジェラシーを感じてしまう。何でこんなに綺麗に収納できるのか、家族は散らかさないのか、どれくらいの頻度で掃除しているのか、疑問だらけである。

こんな整理整頓された家なら、間違いなく居心地いいだろう、でもウチは程遠いし、どうせ片付けてもすぐ散らかっちゃうし。とりあえず外出しよう。汚い物には蓋をして。次の週末は少し片付けようかな。時間があったら。

「時間があったら」…これが曲者である。

時間は作らなきゃ向こうからは、やって来ない。そんなことは薄々気づいていたのだ。ただ現状から逃げるための言い訳。ところが、

時間はやってきた…

そう、自粛生活という名前になって。

なんということか。これはもう逃げられない。ここでやらなきゃ一生やらないだろう。ようやく、ようやく、腹を括った。

ハードルが上がると途中で挫折する可能性大なので、毎日1箇所ずつと決める。小さな引き出し1つでも良しとする。使わない物は出来るだけ捨てる。そして土日はお休み。かなり甘やかしたルールである。が、これなら続けられるかもしれない。

そう思って、ゆるくスタートしてから3カ月あまり。あれほど苦手だと思っていた片付けが、だんだん楽しくなってきた。達成感がある。爽快感がある。そして何より整理整頓された空間は、心地がいい。探し物ストレスも減った。ちょっとした観葉植物まで飾ってみた。ホントこんなことなら…もっと早くやれば良かった。

何故今まで逃げてきたのだろう。苦手だと思っていたから?時間がなかったから?疲れていたから?きっとどれも当てはまる。でも気づいたこと、それは、

嫌いと苦手は違う

ということ。今でも片付けは苦手感がある。でも今では終わった後の爽快感がイメージできる。だから片付けに取りかかるハードルはかなり下がった。そして何よりも「私は片付けは嫌いではないのだ」と明確に思えるようになった、これは大きな収穫である。だからそんなに構えることもなく、毎日粛々とやっていける。そして成果が出ることも確信できるようになったのである。

嫌いなものが好きになるー少なくとも嫌いじゃなくなるーには価値観が変わるくらいの出来事がないと実現は難しいかもしれない。しかし苦手なものが苦手じゃなくなるには、挑戦する気持ちと、少しの努力で克服できることもあるように思う。

整った家は、以前より心地よい。あとは家族がもう少し協力的になってくれたら、きっと完璧である。その時には、家にいることが、ちょっと好きになっているはずである。



興味を持ってくださり、ありがとうございます。 励みになります。これからもカウンセラーとして 一人の大人として精進していきたいと思います。