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発展途上の起業家が『WHO YOU ARE』を訳した理由

『WHO YOU ARE』の翻訳オファーを日経BPの担当編集者、中川さんからもらったときは本当にびっくりした。正確に言うと翻訳のオファーを請けたのは別の書籍の翻訳なんだけど、その進みが遅くもたもたしていたときに、「WHO YOU AREを優先してやっちゃいたい」という話だった。

企業文化は大事だけれど、誰もきちんと答えられない

私は通訳や翻訳のプロではない。学生起業からはじまり、10年以上スタートアップのCEOをしてきた。私自身はいくつもの事業で失敗し、誤解を恐れずに言うなら「成功した起業家」にはなっていない。それでも、『WHO YOU ARE』の翻訳をして、成功企業の心得を多少は自分に染み込ませることができた。

なにしろ本書の著者、ベン・ホロウィッツ が共同創業した「アンドリーセン・ホロウィッツ 」は、テクノロジー業界で知らぬ者がいないほど有名なベンチャーキャピタルだ。投資先には、ツイッター、フェイスブック、エアビーアンドビー、インスタグラム、スラックなどそうそうたる企業が並んでいる。投資家としても大成功しているが、ベン・ホロウィッツ は起業家としてもすごい実績がある。

ラウドクラウドという会社を起業して、一時は倒産目前になるが、ベストセラー著書『HARD THINGS』で書いている通り、生き返らせて16億ドルで売却した。ラウドクラウドを創業した時にいろいろな経営者から、「企業文化が大事だ」としょっちゅう言われ、でも「じゃあ企業文化とはいったい何なのか?」と聞いても満足な答えが得られなかったという経験から、企業文化とは何か、どうしたら理想の文化をデザインし、社員のみんなに実践してもらえるのかというテーマにがっつり取り組んだ本なのだ。

スタートアップのCEOとしてチームをどうまとめるか、文化をどうつくるか、私自身もずっと考えてきたから、読者としてこの本はとても興味がある。でも、それは読者としてだ。翻訳はプロじゃない。そんな私が、なぜこの本の共訳者になったのか、どんなふうに訳したのか、メイキングをここで書いておく。


通訳は言ってることを全然伝えてないじゃん!?

私は0歳から13歳までアメリカで暮らし、中二の夏に初めて日本に住むことになった。通訳や翻訳に興味を持ったきっかけははっきり覚えていないが、たしか外国人野球選手のヒーローインタビューか何かをテレビで見ていたときだと思う。

「通訳が選手の言っていることを全然伝えてないじゃん。選手はファンに向けていいこと言ってるのにかわいそうだ。自分のほうがよほどマシに感情こめて伝えられるのに」

テレビに向かって文句を言っていた私に親がこういった。「通訳は自分の意見を出せないし、自分の信条と違うものを口にしなければいけないときがある。言葉のスキルを活用した世界に行きたいなら、自分の意見を出せるジャーナリストになったほうがいいと思うよ」。おそらく親としては何気ない一言で、その発言そのものを覚えているかも定かではない。ただ、子供ながら「通訳は自分の意見を殺すものでつまらないものだ」という感覚が刻み込まれた。

だから、通訳や翻訳を仕事にする可能性を自ら防いでいたのかもしれない。そうした仕事を始めてしまったら、親の語っていた「意思を出せない環境で苦しむことになる」生き方になってしまうと思い込んでいたのだと思う。

ところが大人になり、外国人の友人が日本に訪れるたびに、英語しか話せない外国人の友人と日本語しか話せない友人とをつなぎ、飲み会を開いてあいだに座り、両方向の通訳をして二人を仲良しにする、というのを好きでやっていた。「俺が日本語しゃべってるときはこいつの英語の翻訳で、俺が英語しゃべってるときはこいつの日本語の翻訳だから!」と茶化しながら通訳をして遊んでいたら、いつのまにか高速切替機能付き同時通訳(飲み会限定)のスキルが身についていた。

サンフランシスコのエンジニアと東京のエンジニアの開発談義を通訳したときは、開発用語の具体内容はわからなかったがとりあえずがむしゃらに訳した。日本人の友人から、「今回話して俺ら日本人もスキルレベルではシリコンバレーに負けてないとわかった。あとは言語だけだ」と自信をもってくれたのはなかなか面白かった。

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(浅枝の友人たち。同時通訳をおこなうときのシチュエーションはこんな感じ)


「どうせなら同時通訳もやりましょうか?」から始まった

5年前のある時、中川さんからフェイスブックメッセージが届いた。「浅枝さん、『HARD THINGS』著者のベン・ホロウィッツ が来日してイベントしますが、来ませんか?」あのベン・ホロウィッツ なら話を聞きたい。
「どうせなら同時通訳もやりましょうか? 政治とか医療がテーマだときついですけど、結構できますよ」と気軽な気持ちで立候補したら、
「じゃあプレスインタビューの通訳をお願いしたいです!謝礼も少しは出せます」
「バイト代はいらないので、取材の合間にベンに事業をピッチしていいですか?」
といった流れだった。

取材は大手町にある日本茶を取り扱うお店の個室で行われ、多くのメディアの記者の取材に対し、ベン側の通訳として対応した。これがまぁなんと楽しいことか。ベンの話を通訳するにあたり自分の中でまず英語で聞くわけだけども、まるで彼がメンターとなって自分に教えてくれているかのような感覚を覚えた。内容を誤解ないようにすぐに理解して通訳するわけだけれども、自分自身の学びへと直結する圧倒的な情報量を受け止めて、かつベンの意図を汲み取って記者に伝えるのは楽しくてしょうがなかった。ベン自身が聡明な人物で、話す内容も個人の信条に合っていたからこそ、というのもおおいにあるだろう。もしこれがトランプの自慢話の通訳の仕事だったら切腹をしていたに違いない。

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(メディア取材の合間にピッチする浅枝とベン・ホロウィッツ 。中川さんが発掘してくれた)


記事化された内容を読むと、うまくメッセージを伝えられたという満足感があった。自分でスタートアップのCEOをやる中で、こういうふうに伝わってほしいのであろう業界の思考の補足を盛り込んだりもしたのもあるが、本人が熱く語ったりと感情の込め方も意識して通訳した分、記者さんに伝わったのかもしれない。これをきっかけに、日経BPの中川さんからはエバーノート元CEOのフィル・リービンの取材やUberに投資したエンジェル投資家ジェイソン・カラカニスの取材など、テクノロジー x スタートアップ x 英語が必要となるシーンでちょこちょこ声をかけてもらうことになった。

仕事としては通訳かもしれないが、個人的にはシリコンバレーの有名人の1on1セミナーを無料で受けることができてむしろこちらのほうが得していて申し訳ないという感覚すらあった。本当に魅力的で面白い人達の語ることを、その魅力がはっきりと伝わるようにするのにはきちんと価値があるなとも思えるようになった。


同時通訳のスキルで本を訳せるのか!?

だから中川さんからベン・ホロウィッツの第二弾の書籍の翻訳のオファーをいただいたときは、最高レベルで興奮した。ベンの書く本なのだからめちゃくちゃ良い内容なのは確定的だ。『HARD THINGS』は読んでいて涙したほどだ。そんな本を多少なりとも自分の言葉で世に出すことができるなんて。しかも共訳は『ファクトフルネス』や『ゼロ・トゥ・ワン』を手がけられた翻訳者の関美和さんと。ファクトフルネスのタッグの二人ならむしろ俺いらないじゃん、と思ったのが最初。ただ書籍の翻訳経験はゼロだったので、初回からベストな人たちの仕事の仕方を見て学べる大チャンスだとも捉えることができた。日本ナンバーワンの編集者と翻訳者と一緒にあのベン・ホロウィッツの書籍に携わることができるとはなんて幸せなことか。むしろ報酬なんていらないんじゃないか、と頭をまたよぎったほどだった。本当にカネ稼ぎに向いていない性格だ。

中川さんによると、4月にベンの来日予定があるので翻訳を関さんと二人で超急ピッチでやってほしいとのこと。はじめて話をいただいたのが10月中旬。英語版(原書)が発売されたのが10月21日。この時点で中川さん、関さん、浅枝のSlackチャンネルは出来上がっていたので、英語版が発売した瞬間から日本語版プロジェクトは立ち上がっていたと言える。Slackのログを見返すと、本格的に動き始めたのは11月25日頃。11月28日にキックオフの食事を3人でしている。

ここで、中川さんと関さんからある提案があった。浅枝の同時通訳スキルを翻訳に投入すれば、通常よりも早いスピードで翻訳が完成するのではないか、というものだ。名付けて「同時翻訳」だ。原書のAudibleを耳で聞きながらそれを同時通訳し、文字起こしをしてしまえばベースとなる日本語が完成する。その日本語はGoogle翻訳よりはよほどマシな文面なので、そこから関さんが原書と見比べながら、より書籍らしい言葉に修正していけばいつのまにか完成している、という段取りだ。以前、中川さんから関さんに「浅枝さんの同時通訳スキルはすごい」という話をしたことを覚えていた関さんが、この方法を発案してくれた。「なんて素晴らしいアイディアだ!このやり方が定着したら書籍翻訳のイノベーションになるぞ!」と興奮し、早速実践してみた。

しかしこの画期的な方法は、そうは簡単にうまくはいかなかった。

第二回:同時通訳と文字起こしで『WHO YOU ARE』をちゃんと訳せるのか?


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