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頭の中で考えてることを綴りたい2 ~アンカリング~

ふと、数字の魔力について、社会的な観点から気になった。

ダン・アリエリー氏の『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(早川書房)を読んでみる。読み直して5回目くらいだろうか。

時と場合によるが、数字は人々へ強烈なインパクトを残す。
例としては、「アンカリング」というものがある。

例えば、以下の例で考えてみる。
・あるウイルスへの感染者数が全世界で1,000万人に到達した。
・そのなかで、新規感染者数がA市では同日に100人、B市では同日に1人発生した。
・A市からB市までは約100km離れており、A市は人口300万人でB市は人口5,000人である。
・A市の累計感染者数は合計で500人となり、B市は初めての感染者となるため、累計感染者数は1人である。

上記の例でみると、B市の人にとっては0→1という数字が強烈に響くであろう。対して、A市の人にとっては、累計値と感染者数だけを見て、あわてふためくことは考えにくい。また、自分の生活圏がB市に近い場合、A市に行くというのは恐ろしい行為のように思われる。累計感染者数÷人口で、割合を算出した場合、B市のほうが計算上は割合が高くなるのに、である。

感染者数を0にしなければならない という思考は、歴史文化学的観点から捉えた場合は「ゼロリスク信仰」という言葉が大変妥当であるかもしれない。
行動経済学的観点から捉えた場合は、「アンカリングに人は弱い」とも言えると存じる。

「アンカー」の付け替えによって、人々の考え方や行動方針が変わっていく可能性があるのであれば、差し詰め、こんな実験を一週間単位で行ってみるのはどうだろう?
・当日における「国内」の感染者数と、その横にランダム生成される4桁の数字を並べて表示するサイトを設ける
・6日間上記を続けた上で、7日目のみ感染者数は表示せず、4桁のランダム生成された数字のみ表示する
・7日目の「国内感染者数」を予測し、入力専用サイトに入力してもらう。
・入力した数が、実際の感染者数より少なかった場合は自由に活用できるポイント(100円分相当)が進呈される

稚拙な考えかもしれないが、感染者数そのものに対して抱くネガティブな認識がなくなり、別の印象に変わってしまうのではないだろうか?
必要以上に恐れることを避け、人はアンカリングに弱いということを、きちんと認識する。
すると、行動を硬直化させずに、柔軟なアプローチで対応していくことができるのではないだろうか。

と、ふと考えてみた。



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