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CIEL『窓を開けて』を見て、『映画大好きポンポさん』上映に駆け込んだ

『映画大好きポンポさん』は、存在こそ「花譜、EMA、そして神椿の新人が楽曲タイアップ!」という話題でマークこそしていたけど、映画そのものは見る構えになっていなかった。純粋に5月から6月がいろいろ余裕がなかった時期だったとはいえ。

各所でものすごく評判がよく、「いつかは見るかねぇ」くらいの温度感。それを一気に沸騰までもっていたのは、ひとえに「神椿の新人」たるCIEL『窓を開けて』のMVだった。

映画本編を見ていないのに直感した。「このMVは本編の要約だ」と。無謀だろうとなんだろうと、なにかをつくるためにすべてを賭ける。その不安や恐怖を「大丈夫」の一言で踏み越えていく。そうした創造の熱量を真正面から、たしかな映像で表現しきったMVは、まず単独で見事に仕上がっている。

じゃあ、本編と照らし合わせたらどうなのさ――そんな思いが指先に宿り、気がつけばその週の土曜日午前の『映画大好きポンポさん』のチケットを確保していた。

「夢と狂気」がドライブする映画本編について

映画のおもしろさにはいろいろある。『映画大好きポンポさん』に宿っていたおもしろさは、強烈なドライブ感だった。

本編全体を「夢と狂気」というテーマが貫いていて、登場人物がほぼ片っ端から「映画を作る」というベクトルを向いている。そのベクトルゆえに「みんな同じ方向を向いている」というチームの本質がえげつない熱量とともに描かれていて、あまりに心地よかった。

「幸福は創造の敵」というポンポさんのセリフと、「他のすべてを切り捨てろ」というくだりは、特に象徴的だ。ジーンも、ナタリーも、劇中作『MEISTER』の主人公も、目指したいもの以外の選択肢や可能性をすべて切り捨てる。好きなもの、叶えたいもののため、そのほかすべてを犠牲にささげる姿勢は捨て身にほかならず、狂気的というほかない。そのぐらいの狂気と覚悟あってこそ「創造」ができる……という姿勢は、とてつもなく残酷だし、同時にとてつもなく魅力的に映った。そう、その捨て身は魅力にあふれているのだ。その魅力を知ってしまったからこそ、ジーンは過労で倒れようが編集作業を続行するのだ。

一方で、その「狂気」はなにもクリエイターだけのものではないことが、準主人公であろうアランの物語として描かれている。これまで仕事にやる気を見出だせなかった彼は、映画のために奔走するジーンの姿に感化され、役員陣を罠にハメるような大胆な融資計画プレゼンに打って出る。失敗すれば間違いなくクビになる狂った一手に賭けたのは、ほかでもないジーンの「狂気」が伝播したからだろう。苦しさも楽しさも内包する「仕事の本質」を、アランはついに知ったのだ。

そして、その狂気を作中ではきわめてポジティブなものとして描いている。なぜならそれは「夢中になっている」とも言い換えられるから。なにかに我を忘れ、リスクも度外視して夢中になるのは、人間にとって根本的な快楽のひとつ。これを全力で描いているからこそ、『映画大好きポンポさん』には強烈なドライブ感がある。映画を見終えたら、なにもかもを放り出して、自分の好きなことに没頭したいと本気で思わせてくれるパワーが、この映画には宿っている。

このほかにもいろいろと話したいことが多すぎるけど、いったん『窓を開けて』と絡めての話をするために脇に置く。「フォーカスを定める」のくだりとか、万象に通ずる話な気がするので、ものすごく話したい……

映画とアーティストと"わたし"をつなぐもの

そんな映画本編を見てから、『窓を開けて』のPVをあらためて見てみる。もう言わずもがな、その内容は『映画大好きポンポさん』の要約そのものだった。これは歌詞はもちろんだけど、MVがそもそも映画本編のサイドストーリーのように作られているのが大きいだろう。なにせMVは映画本編の監督でもある平尾隆之氏が手掛けている。

【オリジナルMV】窓を開けて _ CIEL #01 1-8 screenshot

CIELが『映画大好きポンポさん』の原作コミックを読み、衝動的に歌を投稿し、それをポンポさんが発見する――という内容のMVは、CIEL本人がKAMITSUBAKIのオーディションによって見出され、デビュー曲が『映画大好きポンポさん』の主題歌に抜擢されたという経緯と接続している。同時に、本編中におけるジーンとナタリーもまたポンポさんによって見出されて、監督と主演女優に抜擢されるというシナリオともリンクする。現実とも、作品ともリンクする、タイアップ曲のMVとしては「めちゃくちゃわかってる」ものだ。

衝動から無謀な挑戦に飛び込む流れもまた、映画本編と鏡合わせになっている。そして、それは不安たっぷりな一歩であることが、MV中のCIELの表情からもうかがい知れる。ジーンとナタリーもまた、本編中はその最初の一歩に多くの不安を感じながら踏み出す。「狂気」へ身を委ね、夢へ飛び込む最初の一歩。その心境に対し、『窓を開けて』のサビはこう歌う。

大丈夫 そう大丈夫
心がそう叫んでるんだ
全部 そう全部
踏み出した足に委ねちゃおうよ
大丈夫 もう大丈夫
後悔はもう知り尽くしたんだ
そうだ きっとそうだ
振り返れやしない
窓の外に景色は続く
気の向くまま歩いてこうよ

根拠なんてないけど、心が「進め」と叫ぶならば、それに身を委ねてみよう。それは、『映画大好きポンポさん』全編を貫くメッセージであり、新人アーティスト・CIELのデビュー宣言だ。そして、無名のひとが「大丈夫」と踏み出した大きな一歩が、ポンポさんという文字通りの「チャンスメイカー」とめぐりあうための一歩になる。そんな物語は、ほかならぬ現実の人々を鼓舞するメッセージになるだろう。

単に映画と内容がリンクするだけでなく、映画が伝えるメッセージを余すことなく歌にしている解像度の高さ。そして「映画の物語」と「アーティストの物語」を完璧にリンクさせ、それを見た人にも同じ物語を与える強い力場。映画と、アーティストと、観客を、全てを縦に貫く大きな柱を、このMVは作り出している。ただただ、それがものすごく心地よいのだ。

越境的で、あいまいな楽しさ

上記のような、楽曲とタイアップ曲MVとしての図抜けた完成度のほかに、境界をあいまいにするような動きも個人的には見逃せない。特に大きいなと感じたのは、「ポンポさんがCIELにインタビューを仕掛ける」という公式企画だ。

CIELの肩書は「リアルとバーチャルを行き来する越境型フィメールシンガー」であり、広義の「バーチャルアーティスト」に区分される存在だろう。バーチャルに位置する存在はあいまいで、現実の側にも、フィクションの側にも立つことができる。だからこそポンポさんが接触できる。こういった試みは古くはキズナアイが仕掛けている。とはいえ、ゲスト出演的な使い方ではなく、オフィシャルな展開としてここまで織り込んでいるのはレアな気がする。

MVの方も、ポンポさんがニャリウッドから「どこか」へダイブし、部屋に一人うずくまるCIELへ窓越しに手を差し伸べにいくというシーンがある。このとき、ポンポさんが立つほうがリアルで、CIELが存在する仮想世界へ飛び込んでいったのか、逆にフィクションの側にいるポンポさんが現実世界のCIELに接触しにいったのかは、実はわからない。なんとなく個人的には後者かなとは思っている(窓から抜け出たCIELがキービジュアルの衣装に切り替わるところが一応の論拠)。でも、そのあたりはあいまいでもよいのがバーチャルの魅力だろう。

『映画大好きポンポさん』におけるCIELの起用は、バーチャルを軸に据えた、作品とキャラクターとアーティストのプロモーションの最新の事例としても興味深い。そして、僕個人としては、そういった越境的な展開はほんとうに好きなので、今後もどんどん増えていったら楽しいだろうなぁと思ったり。越境的で、あいまいなものは、なにか一目ではわからないけど、だからこそおもしろい。

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