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人からの助けに悔しさや怒りを覚えるのは「自分でやりたかったことを自分でできなかった幼少期のわたし」が残っているからかもしれない
以前、こんなツイートをした。
やろうとしたことを誰かがやってくれたとき、胸が締め付けられる感じは申し訳なさと思っていたけど、実は悔しさだったことに気づいた。
— asaco (@asac0ffee) January 29, 2023
できないことが多いわたしは、「わたしができることを奪わないで」って思っていたのかもしれない。できることを1つでも増やしたかったのかもしれない。#hsp #HSP
人から助けられると、全部ではないが胸がぎゅっと苦しくなるときがある。
この胸の違和感はなんだろう。
「助けてもらって、申し訳ない」という気持ちかと思ったら、違う気がする。
申し訳ないという気持ちだったら、同時に「ありがとう」という感謝の気持ちもあるから、胸は苦しくならないはず。
考えた末にたどり着いたのは、「悔しさ」だった。
「わたしができることだったのに…」という悔しさ。
それと「怒り」もある気がしている。
「わたしができることを奪わないで!」という怒り。
人と比較するのはあまり良くないけれど、わたしは人と比べるとできることが少ないから、1つでもできることを増やしたいと思っている。
そして、自分ができることや手をつけ始めたことは、途中で問題が起きても自分で何とかして、人の助けを借りずに最後まで自分でやり通したい。
だから、こうした気持ちで取り組んだことに対し、人から「やってあげるよ」と言われてやられてしまうと、胸がぎゅっと苦しくなる。
「やってあげる」と言われたら「自分でやる」と言えばいいのに断れなかったり、「自分でやる」と言えても助けを申し出た人の前でやると、その人の視線が気になってしまい、自分の力を思うように発揮できず、結局うまくできなくて助けてもうことになったり。
そんな自分が、とても嫌になる。
人から助けに対して悔しさや怒りを感じるわたしがいることに気づいたときは、とてもショックだった。
せっかく助けてくれたのに、わたしはどうして感謝の気持ちを持てないのだろうと。
人の助けに悔しさや怒りを覚えてしまうのは、幼少期に両親から受けたことが影響しているような気がしている。
両親は、わたしがやりたいことに対して、ほとんど助けてくれた。
でも、わたしはそれが嫌だった。
兄弟がいないわたしは、周りからよく「一人っ子なんだから、親になんでもしてもらえるんでしょ」と言われていた。
それがとても嫌で、「一人っ子でも、親に頼らずになんでもできるようになりたい」と強く思っていた。
だから、やりたいことに対して「自分で全部やる」と両親にも言っていた。
でも自分の気持ちを両親に言うと、とても悲しい顔をしてこう言った。
「なんでそんなこと言うの?素直じゃない」
「せっかく助けると言っているんだから、頼れるときは頼りなさい」
わたしは幼少期から人の言葉や表情に敏感だったので、このような両親の言葉には「お父さんとお母さんを悲しませた…」とか「お父さんとお母さんを怒らせたかも…」と思ってしまい、苦しくなった。
本当は頼りたくなかったけれど、悲しむ顔は見たくないし、怒られるのは嫌だったから「じゃあ…助けてもらおうかな…」と言ってしまっていた。
そして、「ああ、自分でやりたかったのに…」とか「自分でできることだったのにな…」というむなしい気持ちが、いつまでもずっと残った。
人から助けてもらったことに対し悔しさや怒りを大人になった今でも覚えてしまうのは、わたしの心の中に「自分でやりたかったことを自分でできなかった幼少期のわたし」が残っているからだろう。
あのとき、自分でやりたかったけれど「助けてもらいなさい」と強制的に言われて、できなかったことへの悔しさ、できることを奪われてしまったことへの怒り。
叶わなかった「自分でやる」という願いに対する執着を、今、わたしを助けてくれる他の人に対して向けてしまっている。
人からの助けに対して心から感謝できるようになりたい。
そのためには今できることとしては、「自分でやりたかったことを自分でできなかった幼少期の自分に共感すること」なのかなと思っている。
「本当は自分でやりたかったんだよね」
「自分でできなくて、悔しかったよね」
「一人でもできるって示したかったんだよね」
というように。
あのとき自分に共感してくれる人がいなかったから、大人になった今のわたしの心に残り続けているんだと思う。
だから、あのときのわたしに、今のわたしが寄り添ってあげる。
幼少期のわたしが抱いた気持ちを少しずつ消化して、前に進んでいきたい。
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