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仕事で自分を創る


ジョージ・バーナード・ショーの名言に、「人生とは、自分を見つけることではない、自分を創ることだ」というのがあります。

自分探しをついしがちですが、玉ねぎの皮むきに終わるのには、この掟によるんでしょう。

しかし、この名言を自分に適用しようとすると難しいのですほろほろ。



1.スペルを間違える子


アメリカでは、スペルを間違える子ってかなりいて、どんなに書いた文がまともでも評価は下がる傾向がある。

なぜかっていうと、おバカに見えちゃうから、教師もすっきり褒めれない。

日本でも、誤字脱字があると、書き手の知能を疑ってしまう。

で、例えば、英語だとAppleという単語をApleとかいてしまう。

なぜかというに、子どもたちの中には聴覚を信頼する子がいるのです。

聴覚優位の子は、聞こえた音を参照するので、書く文字はその発音に従ってしまう。

で、教師から「キミの文は素晴らしいけど、こう間違いが多いと評価を下げざると得ないよ」と言われる。

いっぽう、正確にAppleと書ける子は自分が見た記憶を見て書いてる。

この悲しい話は、日本ではあまり起こらないのです。

ひらがなは聞こえたままに書けばいいし、漢字は「辛い」と書く際、もう聴覚を使えなくなる。

過去に見た図形を参照して「辛い」と書くしかない。

もちろん、図形の記憶が苦手な子は漢字書き取りテストの成績はかんばしくない。


で、自分が聴覚優位か視角優位かを生徒(本人)は意識できないのです。

だから、スペルミスの多い子には視角を使った記憶方法を指導する。

で、訓練していくと、このスペルミスが激減してゆくというのです。



2.NLP


NLPとは、Neuro Linguistic Programing(神経言語プログラミング)の略で、別名「脳と心の取扱説明書」とも呼ばれる心理学です。

NLPは、成功している人の共通点を見出し、誰もが同じように高い結果を出せるように体系化したもので、コミュニケーション能力を高めたり、目標達成に役立つスキルを学びます。

心理学であり、言語学であり、心理療法です。

詳しくは、検索してみて欲しい。ざっくりはこんなです。


人間は、自分が体験した出来事を五感(神経)『視覚、聴覚、体感覚、味覚、臭覚』を通して認識し、言語/非言語によって意味付けを行い記憶として定着させます。

で、わたしたちは、生まれてから今に至るまでたくさんの経験や体験から様々な意味付けを行い、自分の考えや思い込みというものを作って行く。

考え方や生き方、反応の仕方に一定の傾向やパターンができてきますが、このことをNLPでは「プログラミング」と言っています。

一度プログラミングができあがると、その後は条件反射のようにパターン化され反応するようになる。

パターン化された条件反射の中には、自分にとってプラスの反応もあれば、マイナスに働く反応も出て来ます。


NLPは、プログラミングの構造を言語学と心理学から紐解いて来たと同時に、再プログラミング(リプログラミング)する方法も確立して来ました。

人の思考パターンや行動パターンは、実証済みの効果的な手法を用いることで変えることができる、というのです。

人間関係や信頼の築き方は、経験から学ぶ人が圧倒的に多いのですが、

しっかりとした理論とスキルを学ぶことにより人間関係に大きな変化を作り出す。

効果性の高さから人気のあるNLPなんだけれども、信頼関係を作るスキルを悪用し、洗脳や詐欺に使われることもある。

で、先ほどの視覚優位への変換訓練は、どうもこのNLPを使っているみたいなのです。



3.”仕事”のこと


最近、始めた”仕事”なのですが、2週間経ちました。何をやっているかはまだ伏せておきたい。

結局、矢尽きカタナ折れるのもじゅうぶん起こりそうなので。

朝は8時頃から夕方までパソコンにしがみ付いています。

考えて作業をする。調べもする。

夕方終わると、また調べもの。夜も。翌朝も開始前の調べもの。

かなりヘロヘロになります。時給換算したらとんでもなく低い。

が、面白くもあるので、スキルを上げることに邁進します。

「人生とは、自分を見つけることではない、自分を創ることだ」というのは、まさに今のわたしに必要な言葉です。

結構知っているために、かえって難しいということが起こっている。


記憶された見方、構え、価値観、スキルをまた使ってもうまくいきません。

だから、夜には、その日うまく行ったことと、まずかったことを洗い出す。

特に、うまく出来なかったことをかなり分析します。

ところが、わたしは失敗をそのままには認められないのです。

過去の記憶に呪縛されているんでしょう、なんだかんだと言い訳する。

でも、うまく行かなかったのは事実なのです。

もう繰り返さないぞ、再び失敗しないぞ、っていう声が頭に響くので、かなり赤裸々に分析せざるを得ない。

で、翌日、”仕事”をするのですが、また同じ失敗を繰り返している。

おお、、、この無限地獄は永久に脱出できないん???

「自分を創ること」は、ひどく難しいです。



4.壁の花


今は、ダンスパーティとかディスコとかあるんでしょうか?

もう死語なんでしょうが、今も見知らぬ男女の出会いの場ってあるでしょう。

で、一人の青年が会場で素敵な女性を見つけたんです。

で、彼女に話をしようと近づき始めたんだけど、怖気図いてすすすって元の所に戻ってしまった。

もう一人、青年がいました。

彼もその女性が気に入り、近づいたんです。

やぁ、ぼくは初めてでうまくはないんだけど、一緒に踊ってくれない?とすらすら話した。

まったく、緊張もせずに自然な笑顔と会話をした。。

わたしは、断然、前者のような壁の花だった。

自意識高まり過ぎて、うまく行かなかったらどうしよう、相手にされなかったら惨めだという過去の記憶に呪縛されていた。

わたしは、もうひとりの青年と外見も中身がそれほど違っていたとは思えないのです。

ふたりの違いは、この世の認知の仕方にあるでしょう。



5.シニア


わたしは退職してから、かのじょとシニアマンションという所に住み始めました。

60代のわたしたちの、10年、20年、30年上の人たちが住んでます。

気が付くと、わたしはここではピチピチの若造なんですね。

で、年寄りは、ボケてたり、挨拶もしなかったりする。気難しそうだし、こちらを凝視したりする。

車イス乗ってたり、歩行器をよろよろ押している。

で、わたしの頭の中には、「人はつまらないものだ」っていう声がする。

というわたしは、年寄り=おバカという目で見ているので、彼らの劣っている所ばかりを抽出して行きます。

悪い所ばかり探ってる。


実は、「人はみな、面白いものだ」という見方にチェンジすることもできる。

そしたら、彼らが黙っているのは、辛い状態なのかなとか、孤独でふさぎこんでいるんだろうかという想像が走る。

50代、60代でも、カスハラしたり、人をばかにする言動を繰り返す人がいます。

ぜんぜん、本人の得にはならないのに、「人はつまらない」というマントラを繰り返しているでしょう。

他者をバカにし蔑めば相対的に自分を上に置けるから安心なんでしょう。

でも、そんなジジイはみんなから嫌われ避けられます。

で、じいさんは一層、他者をバカにし、攻撃する。

世間に相手にしてもらいたいのです。



6.再び仕事のこと


そういう他者を侮蔑する構えは豊かな創造性を育めないと知っていても、それは単なる道徳論に終わります。

NLPの面白いのは、「人はつまらないものだ」という声から「人はみな、面白いものだ」という声に変換することです。

年寄りはバカだ、醜い、頑なだという見方は、根っこの構えを変えることでチェンジできる。

実際、「人はみな、面白いものだ」というマントラ繰り返していると、

わたしは相手を爺さんではなく、年齢を重ねた人だと見始めます。

どうしたんだろうか?とか、これはこの人のユーモアだなって気が付いて来る。


が、「この仕事はこうだ」と身に沁みている。

じぶんがよく知っている仕事の構えをガラリ変えるのは、ひどく難しいのです。

なので、なぜうまく行かないのかを徹底的に探り続け、じぶんの欠点をリアルに受け取ります。

毎晩、反省会をひとりでガリガリやってます。

じゃあ、どういうことをしたら繰り返さないのかを発見しないとなりません。

アプローチは勝手に想像するのではなく、かなり調査し検証します。

だれかにNLPのメンターを紹介してもらわないとヤバイなって毎日思ってます。

「自分を創ること」は、過去から抜け出し、素直に現状を認めるチャレンジでしょう。

ということで、とうぶん、モンモンが続きます。ほとほと。



P.S.


最近、フレンチ・ラチィーノにはまってます。ラテンです。

年を取り、老人役に染まるなんてわたしは嫌なんです。

でも、彼を見てください。「人はみな、面白いものだ」なのです。声は高いがパッションがいいっ。

こんなおじいさんにわたしも、なるっ。



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