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好きなことが分からなくなってしまったという


わたしの記事にぽちっと押されて行った。

わたしは、どんな方なのかと見に行った。悲痛な叫びだった。

もし、あなたが再び訪問されたら、見て頂けると嬉しいですほろほろ。



1.ほんとに困ること


小さいころから、いろんな習い事をしてきたし、趣味も多彩だったという。

バレエやお茶は10年以上も続いた。

小説や詩を書いた事もあったし、本はそこそこ読んだ。

作曲もするし、絵も描く、サイトも作る、写真も撮る。

が、しろうとにしては何でも出来るのだけれど、一線を超えれない。

特に、絵にはまってきた。

とても身近な人から、描いた絵に魅力が無いと評されてショックだったという。

けど、たしかに自分でも対象への愛が無いと感じる。

描き続けているうちに浮かんだのが、「自分は本当に絵を描く事が好きなのか」という疑問だった。

やがて、描きたいものが何もなくなってしまった。。


「好きなら下手でも続ければ良かった、でも自分は、絵を描く事が好きではないと気付いてしまった」、というのです。

あれこれと悩んでいる間に気付いたのは、今までほとんどの趣味を褒められるためにやっていたのだという事だったと。

中途半端で何もできない、空っぽな人間ができあがっていたと自分を評していました。

今、何が好きなのか分からなくなっているともいう。

どれもこれも人に見せる為にやっていただけで、ではそれが無くなった時に自分は何をするのか。

ずっと人の目を意識して行動し続けていた事に、今更気付いてしまったというのです。

また写真を撮ることを再開したのだけれど、私は写真は好きになれるのだろうか、と結んでおられた。



2.なぜ『嫌われる勇気』を薦めるのか


Forbes JAPANの連載で各界のCEOが読むべき一冊をすすめるというのがあります。

コンサルティング会社のCEOである宮崎良一さんが『嫌われる勇気』を紹介しています。

会社が本格的な上場準備に入り、いろんなプレッシャーと向き合う必要性が出てきた頃読んだ。

このままの自分ではダメだ、上場までたどり着く精神力が備わっていない、もっと強くならなければ、もっと強くなりたい、そう思い、手に取ったのだそうです。


 
 
立ちあげていた会社は、経営管理支援サービスを提供していて、公認会計士がコンサルタントとして企業の成長を後押しする役割を担う。

創業当時から、公認会計士というプロ集団が、最大限の能力を発揮するにはどうすればよいかを考え、体制を整えてきた。

 
組織の意思決定は、トップダウン型とボトムアップ型に分かれるのですが、

これまでは、リーダー中心のトップダウン型のほうが経営スピードが早いとされてきた。
 
でも、リーダーの能力に左右されやすいトップダウン型より、社員の主体性を尊重するボトムアップ型のほうが斬新なアイデアが生まれやすい。

業績を伸ばす企業にこのボトムアップ型が見られる。

なぜかというと、個々が意見を出し合い、複数のプロジェクトを同時進行できるからです。

事業のスピードも格段にアップする。

 

宮崎さんの会社のようなボトムアップ型企業の社員には、自分の意見が人の役に立っているという実感は大切だと言います。

アドラーの言う「貢献感」が生じることで、自分の価値がさらに高まり、次の仕事に向かえるという好循環が生じる。

これが、強さの最大の理由となる。

アドラーは、「幸せ」はこの「貢献感」から生まれてくるのだと説く。

 

「本書には、私が最初に期待した強くなるための方法は書いて無かった。

けど、創業理念である1人でも多くの人を幸せに導く懸け橋になるを実現できれば、

顧客企業はもちろん、働く自分たちも幸せになれることを、再認識させてくれた。 

この「貢献感」と、一日の終わりにそれがたとえささいなことであっても「成長できた」、

「いいことができた」という自己成長を日々感じることができれば、幸せに向けて加速できるように思う。
 
皆様が、「幸せとは何か」を再考する際の一助になればと思い、本書を推薦致します。」

https://forbesjapan.com/articles/detail/69596)


人のこころは、トップダウン型とボトムアップ型の2つの構えを供に抱えているとわたしは思います。

トップダウン型は、両親や教師のような型を見て習うこころを、

ボトムアップ型は、子みずからが主体的にやろうとするこころを促すでしょう。

もし、冒頭の困っている方がトップダウン型のこころが多いなら、「~べきだ」、「~しなければならない」という気持ちが多くなる。


自分は、絵を描く事が好きではないと気付いた、という。

今まで殆どの趣味を褒められるためにやっていたのだと気づいた、という。

ずっと『嫌われる勇気』を持てなかったけれど、ようやく、ボトムアップ型が始動しはじめたのかもしれません。

しかし、とても大きな抵抗感と犠牲を伴うでしょう。



3.結果に必要なプロセス


先日、田中泰延さんという方がこう言ってたと紹介しました。

「事象(ヒト、モノ、コト)に出会った時、

その事についてしっかり調べて愛と敬意の心象を抱けたならば、過程も含め自分にむけて書けばいい」

なぜ、「愛」が出て来るのか?それが、人と人とを繋ぐ橋だからです。「愛」という言葉は抽象的過ぎますか?

田中さんは、プロセスがどうであるべきかの指針を与えました。


先の困っている方は、「どの趣味も褒められるためにやっていたのだ」と気が付いたという。

つまり、悩みのサイクルに落ちたのは、「結果」を求めていたからとなります。

 ①事象に対する愛と敬意を抱く

  → ②あるカタチを表現してみる

   → ③他者が共感する

最初の①が無いと、③の結果だけに目が行くわけです。

うまく書けば、褒めてもらえる、賞賛される、という結果を目指すばかりとなる。

②と③の間だけを行き来する。

でも、①が無いと、他者からは共感はされない。わたしも書くことに悩む時は、決まって①が落ちている。

①はアドラーなら、「貢献感」というかもしれない。


その方のように外世界を器用に処理できる能力があると、成果を求め易くなるのも頷けます。

が、にんげんは、食べ物と水の次に、「愛と敬意」を求める。

わたしたちの間を結ぶのは「愛と敬意」であり、自分自身とも結ぶ。

趣味の話に限らず、お付き合いも仕事も子育ても夫婦も同じだと思う。

自分がやっていること、仕事のこと、相手のこと、友だちのことを好きかどうかが分からないということがあるかと思います。

でも、すべてにこの黄金律が貫徹しているとすれば、ワンダーです。

なぜ、①が欠けてしまうんでしょう?



4.内向型、外向型


わたしは、じぶんの内部との対話はしますが、外との対話はヘタです。

内向型は、自分自身の好き嫌いをはっきり認識しているけど、他者の意図は読み間違えやすい。

先の方は、たぶん外向型でしょう。

外の情報を、苦もなく取り入れ吸収することが出来るんだもの。

他者の想い、どのようなスキルが必要かといったことは、割と容易に理解できる。

でも、自分の内面がどう感じているかをさらっと処理し易い。


ボトムアップ型は、生存戦略上、組織が止むを得ず取る体制のことですが、

ユングは内向・外向という人格タイプを定義した。

彼は個々人の発達上、どちらかによってしまうと言う。

なぜなら、生まれた環境に適用して行く上で、外か内のどちらかに注意が集中してしまうのです。

個人は生き残り戦略をかけてそこを発達させる。

ところが、例えば、外向型なら、代償として内向面に未発達な部分を抱えてしまう。

そこに無意識な複合体(コンプレックス)を生み出す。

本人は意識できないので、統制下には置けない。

外向型は、内なる感覚や感情(たとえば”嫌だ”や”好き”)を十分には味えない。

統制されずに無意識のまま放置された部分は、ときどきとんでもなく暴れる・・。

どんな人も偏りを持ってしまう。そこの声を聞かずに進むと、しっぺ返しを受ける。

その偏りの深さによって、精神病やウツを発症することを彼は発見したのでした。


冒頭の方は、うつ病であると書いていました。

”困って”おられた。

嫌われる勇気なんて、そうそう誰でも持てるわけではないのです。

きっと、長い間押さえつけられて来たあなたの内面が、ようやく声をあげてきた。

無意識に放置されて来たこころの深層との会話が始まったのだと思います。



5.ここで書くということの解放


わたしも青年期に悩みました。

受験勉強を数年間、強いたせいか、夢中になれる趣味や活動を見つけられない。

高校野球で甲子園に出場する生徒たちが輝いて羨ましかった。

何をしても、夢中になれないじぶん・・。夢中に成りたい病に罹った。


わたしの病は、仕事と家庭の忙しさの中にやがてかき消され潜伏しました。

そして、50歳を過ぎた時、ブログを書き始めます。

書いても書いても熱が冷めないのです。

青年期から30年も経過していた。

1周してグルリ戻って来たわたしは、足元に少年のじぶんを発見したのです。

そうだ、そうだ、元々好きだったじゃないか!

誰も読まず、誰も褒めなくとも、ただ書くことが好きだったのです。

おじさんと成ったわたしにブログが答え始めた。

わたしは、1000日間、夢中で書きました。


今思うのは、やはり①②③のことです。

ひとは、他者の”ため”にモノや想いを作るようDNAに刻まれてるでしょう。

自分のために作っても、誰も喜ばない。意外なことに自分自身も。

”愛”とは、感情というよりも、見返り無く他者へ向かう眼差しだと思います。


きっと、家庭内の権威、友だちとの力関係をサバイバルするために、その方は外に目を向けたでしょう。

それは、生存戦略だったのです。

外向型は内部に、内向型は外部に問題を潜在下に抱える。

が、ヘタクソなりに向き直せばいいのです。

わたしは、やっと50にして聞き始め、そこから十数年も書き続けても飽きません。熱が続く。

遅くは無いのです。しかも、あなたは若い。

誰にもあると思います。本来、わたしがしたかったことが。


あなたは、外向型で器用だからいろんな活動をしたのではないと思う。

あなた本来は、創造する人だったでしょう。

創造するとは、こころ広々と動かすことです。

誰と比較するものでもなく、成果を求め自慢するような狭く小さなことではないのです。

同類への愛と敬意があれば、自由に創造することほど大切なことはないでしょう。

ここに居る間は、自身を喜ばせ、創らせてあげて欲しいのです。

あなたへ

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