どこでだって働けるひと


彼は、きっとプロなんです。

関西に来てシニア向けマンションに住み始めたのですが、1階の大きな玄関には広く弧を描いたコンシェルジュたちのデスクがあります。

彼はそこで、高齢者たちのために業者との取次、相談、こまごまとした手続きをしてくれています。

デスクには常時数人が詰めていて、彼は群を抜くのです。

50歳手前でしょうか、身ぎれいにぴしっとしています。

テキパキと仕事をこなし、疲れた姿は見せません。

住人はみな高齢者ですから、よろよろデスクにやって来ては、電球切れたから替えて欲しいとか、この届けはどに出したらいいのか、と聞きます。

嫌な顔しません。誠実に熱意を持ってどんな相談や問いかけにも答えます。

わたしたちも、玄関を通る際、デスクにあいさつするのですが、彼は顔を上げ、はっきりした声で「いってらっしゃい」、「おかえりなさい」をいってくれます。


そして、笑顔が素敵なひとです。

素敵な笑顔をする人に共通するのは、迷いの無さです。裏を感じさせません。ほんらい自分がすべきことを潔くしているだけと言った感じです。

相手の様子や出方に寄らずに、誠心誠意パワーを放ちます。控えめに。


驚異的なのは、全ての顔と名前を憶えていることです。

3棟、600戸、800人ほどの住人がいて、田中だ、鈴木だがごちゃごちゃ居る。

シニアですから、10年も居ません。住人の入れ替わりも激しいのです。

初日から新入りのわたしたちを覚えていて、こちらが名乗る前に彼から「〇さま!」と積極的に声を掛けてくれました。(2か月経って、〇さん、にチェンジしてくれました)


実は、コンシェルジュのデスクには他の同僚も数人いるのですが、たいはんは顔を上げてこちらを見なかったり、声掛けしてこなかったりします。

当然です。目の前のことに集中しているんですから。忙しいです。

他の同僚の方たちはあまり笑顔は振り蒔きません。

当然です。家庭でも問題があって、職場には困ったり文句のある、よぼよぼした者たちがくどくどと押し寄せるんですから。笑顔はサービス代に含まれるとは書いてありません。

こういう施設の問題の1つは、比較的お金に余裕のある老人が部屋の所有権者でありお客さまだということです。

もう引退していて、僕お金を払う人、君はその対価としてサービス提供する人、と成り易い。

ほんとのお金持ちは使用人を低く見るなんてしないのですが、食うに困らない程度の人たちは、かれらを”使用人”と思いやすい。

ときにゾンザイナ態度をデスクにしてしまう人もいるでしょう。

そんな態度取られたら、住人たちに親切にしてあげようなんて、わたしだって思えなくなる。

老人たちは、はっきりした声もあいさつもしないですし、気難しそうです。自分の体が動かなくなった分だけ、いろんな要求やら文句やらを持ってデスクに押し寄せています。


が、彼だけはなぜか、春風のように爽やかなのです。そばに行けば、きっとアロマが香るかもしれません。

相手の態度に寄らず、親身にさっさとこなしてゆく。

ああ、、この人、ただ者じゃない!

わたしは妄想します。

「きっと、帝国ホテルなりホテルオークラで働いて居たんだけど、年老いた親を世話するために関西に戻って来た。

そこは、しろうとの名ばかりコンシェルジュで、みんなちっとも分かってはいない。

でも、みんながどうであろうが、自分がどこに居ようが、叩き込まれた魂は貫こう」。。

ああ、、彼こそがプロだ! そんな妄想がわたしをよぎります。


全体に気配りできるというのは持って生まれて来た”才能”でしょう。これは、学習ではなかなか伸ばせない。

かつてノーベル賞受賞者を多く輩出したベル研究所というのがありました(AT&Tが親会社)。

学生の時、わたしも半導体を研究していましたから、そこのショックレーたちが半導体トランジスタを発明したのは承知していました。

そのベル研究所で、幹部に成って行った研究者とはいったいどんな人物たちなのかの調査が行われました。

ベル研はみな一流の頭脳を持った者たちでしたから、みなプライドは高いし、競争心は旺盛でした。

でも、管理のプロとして研究所長などになって行った者たちは、意外にも、全体に気配りできる人たちだったのです。

(才能が飛びぬけていたショックレーの管理スタイルは人をいらだたせ、ベル研究所での昇進から外されて行きました)。

争うよりも、よく聞く耳を持っていた人たちが昇進して行きました。

業績がどうかなんて関係なかった。みなのことを配慮できるというなんとも日本的なその結果に驚いたことがありました。


この協調性というのも、たぶん、持って生まれたものだと思います。

そして、人は誠実さを相手を信頼するか否かの基準に置きます。

プロジェクトを組む上で、信頼関係の有無はたいせつなことになります。

いくら優秀でも、見栄えが良くても、美人でも、そんなことはまったく関係ないのです。

わたしがあなたを信頼するかどうかなのです。

が、意外なことに多くの人たちは、この「誠実さ」を自分自身には適用しません。振り返りません。

また、協調性が強調されますが、わたしたちがほんらい協調できない生き物だから、「協調」だ「和」と言わねばならないわけです。

もめ事が起こった時、誰に対しても公平に接し、自分と異なる意見も親身に聞ける。けれど自分の信じるところはちゃんと説明する。みんなを目的に集約させてゆく。。。

これはなにも管理職でなくとも、研究所長でなくとも、各階層で出来る。

でも、公平さを求めるわたしたちは、これまた意外なことに、この「公平さ」を自分自身には適用しません。振り返りません。

相手の”にんげんだもの”をいったん横に置けるのは、努力というよりも才能でしょう。かなり学習困難です。


人と関わる職業のプロは、誠実さがベースです。そして、全体を見ている。そこに素敵な笑顔。。

この3つを持っている方にはなかなかお目にかかれません。

所属する会社や自分のポジションや給料、上司の良しあし、世間上の地位。。。そういったことをまったく気にしていない。

ひたすら、お客さんのことを第1に考え、満足させたいという彼の想いがこちらにも伝わってきます。

だから、自然と彼は笑顔になってしまうのでしょう。

こりゃ、この人、どこに行ってもきっと喜ばれるな、と毎度思います。


ぶすっとし易い他のコンシェルジュたちと際立つ彼をみるたびに、ああ、わたしはありがたいなぁ~とも思うんです。

プロ魂を見るたびに、元気づけられます。

いや、彼だっていじけた時があったでしょう。あるとき、偶然その彼が他者に笑顔を向けた。

そしたら、その笑顔を起点にころころと彼の人生が好転して行った・・・のかもしれないのです。

プロに成ろうとしても才能に依るでしょうが、笑顔が時計の針を進めることも確かにあるのです。

カチリとじんせいの歯車が回るときも、たしかにあるのです。

だから、わたしは、どこに居ようが、誰といようが笑顔を待つ勇気も必要だと思うのです。

足りない才能?ええ、それは他者が彼を助ければ埋めうるのです。

その時、自身の優秀さは当てにできません。熱意と誠意が何よりも大事でしょう。そして笑顔があれば。



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