見出し画像

遠くから励ます声がする時


あともうちょっと、という瞬間はわたしにも分かります。

で、うーん、、、と唸る。

そのままUpするということがどうしても出来ない・・・みたいな時があります。

なんべんも挑む。

そこをがんばって抜けても名文にはなりませんが、抜けるとたしかに悔いは無い。

何度も記事をかじる。

だから、いつも歯がぼろぼろ。ニイッと笑うと、前歯が欠けている。



1.未熟かもしれないけど


 「そこをのりこえれば良いシーンが書けるのに、

  未熟な人はストーリーの展開につまると、シーンを飛ばしてしまう。」

  (松山善三)


我が聖典、ウィキペディアによると、引用した松山 善三(1925年 - 2016年)は映画監督、脚本家。高峰秀子の旦那さん。

監督業だけでなく、『人間の條件』『人間の証明』、『恍惚の人』のような脚本もこなし続けた。

『人間の証明』の脚本では、プロアマ問わずとの条件で実施された公募に応じた。

ベテランの身でありながら一般公募にあえて応募するという気骨を見せた。

「そこをのりこえれば良いシーンが書けるのに・・」という視座は、プロとしての松山善三の目がそう見ているわけです。


彼自身も脚本家。他者の脚本を見れば、当人が困ってる様子が手に取るように分かった。

でも、とにかく書きあげてしまわなければ1つの作品として世には出れない。

「未熟な人」は困るとシーンを胡麻化した。「現在」に踏みとどまれない。

ああ、、逃げたな。


でも、「未熟な人」は、ダメな人ではありません。とにかく完結させて世にカタチとして問うたのですから。

この世には、わたしのような「残念な人」たちがいっぱいいて完成させずに終わる。

ああ、だめだなと思えば書き続けることをやめてしまう。いや、書く前にやめてる。

やめてしまえば世の批判にさらされずに済みます、自尊心が保てます。

いつか良いものを書こう、書けるかもしれない、いや書けるはずだと、幻想を抱き続けられる。

逆に、ブログはささやかな範囲を書かせて気晴らしする手段になる。

今日は、ちょっと辛口だ。


他者が読むなり観に行きお金を出してくれる「プロ」と、

その下にはお金を出すにはイマイチだという「未熟な人」がいっぱいいて、

さらにその下には逃げる「残念な人」がゴマンといる。

松山善三の言葉を読むと、わたしの体中がヒリヒリする。

なぜ「プロ」たちは、プロになれたんだろう??


「プロ」だって、「残念な人」だった時もあるだろうし「未熟な」作品も書いたでしょう。

やがて、ここを超えたらというよりも、これじゃない、このままではだめなんだという自分の声に従ったはずです。

どこかの1点で、どこかの境で踏ん張った。

なぜ逃げずに踏ん張れたんだろう?どこから、そんな根性持ってきた?



2.遠くから励ます声がする


先日も書きました。

小澤征爾が亡くなり、村上春樹が寄せた。

春樹さんは、夜明け前、静けさの中で原稿をこつこつと書き進めながら、

「今頃は征爾さんももう目覚めて、集中して譜面を読み込んでいるかな」とよく考えたと言うのです。

同僚、仲間、同志というような感覚でしょうか。

しかも、孤独にシーンと包まれる夜明け前に。。


どうせ自分はプロには成れないからと、記事をここで書いているわたしは、自分ひとりぼっちです。

いつも、自力でなんとかしようとしている。

すべて、自力でなんとかできるはずだと思ってるのなら、尊大でしょう。

いや、さっさとプロを諦めてるんだから、自力でやれそうな範囲に自分を囲い矮小化している。

意外なことに、わたしはじぶん自身を押さえつけ決めつけているから、傲慢です。

だから、やってみなはれ!という声はしない。ひとりでなんとかしないといけない・・。


春樹さんは、孤独ではなかったのですね。

小澤さん、どうしてるかなぁとふと思って、よしっ自分も頑張ろうって奮起した。

春樹さんだって、時々未熟な人になり、残念な人にも落ちようとしたでしょう。

にんげんだもの。ときどきは尊大で傲慢になったかも。

で、小澤さんのことを想った。「自分が」という視座をそうして外した。


リアルに支え合う友を持つ人もいるんだけども、

こんなふうに、ずいぶん遠い人にだってリンクすることが可能なんですね。

しかも、村上春樹ほどの知名度、実力があっても、やっぱり支えてもらわねばならないということです。

小澤さんとはそんなに何度も行き来があったはずないんです。

始終LINEで連絡、なんてしてない。会った回数なんてすごく少ないでしょう。

でも、春樹さんは小澤さんにスピリッツを感じた。小澤さんも春樹さんの感応に答えた。

朝方。まだ夜が明けきらぬうち。春樹さんは自ら小澤さんに近寄って行って奮起した。

みずから私は職業人ですと割り切る村上春樹の意外な面を知りました。

残念な人は、みずから残念にさせているのかもしれない。



3.From the New World


小澤さん、1973年からボストン交響楽団の音楽監督を29年間務めてました。

春樹さんは、ジャズばっかり、のわけがない。

きっと小澤征爾指揮の『新世界より』あたりを聴いていたのかもしれない。

ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』は、新天地へのエネルギーに溢れています。

わたし、小澤征爾指揮、ボストン・フィルをなんべんも聴いた。

なんべんも、なんべんも。ほんとに、new worldです。

今ここにいるわたしはすさんでいるけれど、赤い砂のメサの広大な大地にあけぼのがぐわぁーとあがって来て胸がいっぱいになるんです。

ああ、、そうなのか。

From the New Worldなんだ。

かれらは強く次の次元が開くことを願ったのです。

あまりに、今が情けないから、その屈辱に堕することがどうしても嫌だった。

自身に堕することを許さないというよりも、あまりに現在の自分が辛かったのかもしれない。

才能があるほど、この世は辛いのかもしれない。未来がわたしを呼び、励ましていたでしょう。


From the New World。

遅まきながら、小澤さんのご冥福をお祈りします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?