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不安になった時の行き先


物書きの女性の方でした。

先行きが不安になると、会社勤めの人たちと同じ行動をしたくなる。

普段は車通勤をしているけど、出勤ラッシュのスーツの波に飲まれながら時々作業場まで歩くという。


そんな良いもんじゃないんですよ、この波。

わたしはいつもその波から抜け出したかったんだから。

いや、命に係わることで波から離脱しそうになった時、確かにわたし自身も彼女のように波を見ていたのです。

確かに不安を消してくれる何かがスーツ波にはあった。

あっ、いや、家族のことなのでやたらと長い。



1.スーツの波に逆行する


みんなと一緒にいることはひどくイライラする。

でも、いざじぶんだけ離れてみるとみなしごハッチの気持ちだ。

お外でいじめられても、わぁーんと泣いて帰れる母のいるお家は必要だ。

もう大人だから、それは無理だから、代わりのものがいる。

じゃなきゃ、ハッチは寂しさにつぶされてしまう。やばい。


ある時、心臓に猛烈な疑念が出た。ビートがまともな鼓動を打ってないという。

自覚症状はまったく無かった。体のことなんか無視していた。

ああ、働き過ぎたかなと思い当たった。

産業医はすぐ精密検査に行けという。


しぶしぶわたしは有休をとり、早朝、駅までバスで行き、駅から徒歩で郊外の病院へと向かった。

いつもの見慣れた街じゃなかった。

わたしは、その朝、新鮮な驚きで街を見ていた。

顔に翳抱えて急ぐサラリーマンたちが次々に駅に群れて来る。

その流れにわたしだけが逆行する。

わたしだけみんなと方向が違ってて、わたしだけがスーツを着ていない。

いつもの小田急線が向こうに見えた。

驚くことに、小田急はわたし以外のみんなを載せて新宿に向かって行く。

じぶんはあれに乗らなくていいのが、素朴に不思議だった。

世の中と逆さに歩きながら、わたしだけがみんなと離れて行く。

世界の運行軌道から自分だけ脱線して、とんでもない方へとじぶんが向かってる。


いや、この景色はいつかどこかで見たような気がする。

なんだか、知っているものだ・・・。ああ、、違和感がない。

そうだっ、孤独だ。日常に隠されていただけでいつも直下に居たんだ。

スーツの波と、逆さに進むわたし。

スローモーションのように朝の風景が見えた。


病院での検査結果は、思ってた以上に悪いものだった。

医者は治療法は無い、原因は分からない、長生きは出来ない、と言った。

言い方はもっと優しくて曖昧だったけど、要はそういうことだった。

そうか・・ビートがいつの日にかペタンってへたるんだな。

トントントン、ツー・・・・・って波形が直線へと変わるんだ。


意外なことに、ショックではなかった。

いや、ガンになってあちこち切り刻まれずに済む我が身に安堵した。

あれは転移しましたとか言われながら最後まで痛い目しないとならない。

そうかそうか、心臓ピタッと止まって終わりなのか。

ビビリなじぶんらしい終わり方だなぁ、と妙に納得した。


病院を出て秋空を見上げた。

赤とんぼが手の届きそうな低い位置をスイスイと飛んでいた。

幼稚園の園児たちの走り回る声が聞こえて来る。

じぶんの胸に、黒い雲のようなべェールのような、すっきりしないものが掛かったことに気が付いた。

そうか・・もう一生この黒雲を払い除けられないのか、と愕然とした。

二度とスッキリすることが叶わないじぶん。

わたしは、死ぬことをやっぱり怖がってたんだ。平気なわけでは無かったんだ。


家に帰り、お医者に言われたこと、じぶんが納得したことをかのじょに伝えた。

あらぁ~、そうなのぉ~と、いつも冷静なかのじょはそのままに受け取ってくれた。

でも、人生最大の危機の日だったから、わたしなりにショックを受けていると思う、と口が他人事のように言い足した。

こういうとき、なんでも話せる相手って居てくれないとすごく困る。

サラリーマンだからって群れていれば安心っていうわけじゃないのだ。

分解すれば、ひとりの人間だ。

いつか群れを離れることが前提だし、転職だ病気だとそんなのいつ来るか分からない。

底に流れる不安を滅多に感じずに済むのは、かのじょがわたしの”お家”になっていたからだろう。

サラリーマンは、お嫁さんを終生大切にしないと生けない。



2.スーツ波に戻れない子


父親が水平線に沈む頃、今度は子たちが働き手となって戦場に赴く。

我が身が有限であるという不安の最大の慰めは、後に続く子たちの波を見れることだろう。

ただし、子がスーツ波に乗るとは限らない。

今は職業選択の自由があるとみんなは思っているけれど、そうでもないのだ。

どこに向かうかに、その人らしい必然というものが貫くだろう。


就活をしてある大手に内定したてつ(長男)は、すぐにその内定を辞退した。

内定も取れずに仕方無くどこかに流されて行くのは、彼のプライドが許さなかったんだろう。

人並であることが証明されたのだ。もう、それで良かった。

「僕はサラリーマンにはならない!」と彼はわたしに宣言し就活をエンドとした。

わたしに良いも悪いもない。

彼の選択は、意外じゃなかった。違和感も無かった。

「たいへんな道だけど、がんばりなされ」と返事した。

わたしの、ハッチくんへのはなむけの言葉った。

「はなむけ」は「これから去って行く人」に送るものだった。


わたしは、ずっと自分の適性を生かせる道を探すよう、人と同じ道は通らないよう、推奨した。

それは子どもたちがごくごく小さい内から刷り込むように言った。

大学院まで行っても大企業に行っても、それは「なんぼのもの」でもなかったから。

まったくエゴ以外、何の役にも立たない。

高卒でも八百屋のオヤジでも、良い。

わたしの父母は中卒の百姓だったが、それで不幸というわけではなかった。

父は、こしひかりを誇りを持って育てた。


ほんとに自分が夢中になれることが大事なんだとてつには言って来た。

どっちに行ったって楽なことなんか無いんだ。

無いけれど、もし自分が向いている、あるいは好きであれば、ずーっと工夫しがんばれるんだ。

ずーっとがんばれば、八百屋は一流の八百屋に成れるさ。ラーメン屋でもいい。

ラーメン屋のおやじを世間はどう見るかは知らないが、誇れる自分かどうかは本人が決める。

仮にそんだけ頑張っても一流に成れなかったとしても、これ以上どうしようもないとすっきり納得できるさ。

何をどう選んだら良いかなんて、初めてなものだから誰も知らないんだ。

自分に言い訳しなくていい道を見つけて欲しい、と言って来た。

人と同じ道は、安心ではあるけど、それは幻想だろうとスーツ波のわたしの口は言って来た。


かなり生意気だったてつは、サラリーマンをたぶん舐めていた。

いや、それだけは辛いっ、と内定した時点でもう一度自分に打診した結果だったのかもしれない。

自分自身の不器用さ、生き苦しさをずっと抱えていた気もする。

その反動が、”生意気”に見えていただけだろう。

自分はいっけん誰でもやれそうなサラリーマンというのに不向きだと、彼は自分を知っていたのかもしれない。

彼は、一匹狼となり、番組作成の世界に飛び込んで行った。


2,3年経って、「僕はサラリーマンやれないな。もうやりたくても、やれない」と言った。

定型をはみ出した生活しか元々できないのか、もう戻れそうもないのか。

ふんっと舐めていた世界に戻って、また1から適応できるような自信がどこにも残っていないことに気が付いた。

どこにも帰属しないひとり社長で生きて行くしかない。。

ちょっと、悲壮感に包まれ、彼はぽつんと言った。


サラリーマンの多くのひとは、役割が割り当てられルーティンな仕事ばかりだ。

そのお役が好きでやってる人というのは、ほとんどいないと思う。

だいたい、どの大学を出ましたとか、何学部で勉強しましたなんてまったく関係ない役割となる。

型にはめられ、役をこなすよう要求されるだけだ。

嫌?嫌なら辞めたら、と言われるずいぶん卑屈な立場しか残っていないことがすぐに判明する。

なので、息苦しさがハンパない。

ちょっと自営業者には想像できないかもしれないが、スーツ波自身の辛さはそこだろう。


確かに、「わたしは〇〇会社に勤めています」と言えばそれだけで了解してもらえたり、有休休暇があったり、健康診断だってある”勤め人”だ。

”勤め人”とは、普通な人ですよぉ~、わたし怪しくないですよぉ~という安心の身元保証書でもある。

「お義父さん、娘さんと結婚させてくださいっ」と挨拶に行く時に、これを実感できる。

いちいち自分を説明しなくて済むのは、考えて見るとすごいことだ。

できれば、小さな会社ではなくて、CM流してる有名な企業の方が話が断然早い。

ああ、、あそこね、わたしも知っている、大丈夫だなとお義父さんは即断する。

相手の父親は、実は、義理の息子候補に興味はぜんぜん無い。

ちゃんと娘を養ってくれそうで、娘が納得しているのなら、誰でも良いということなんだろう。

愛は、きみたち、当事者の専管事項だし。

勤め人は、外でいじめられても泣いて帰えれる”お家”はとっくに消えたので、自分でお嫁さんと作るしかない。


ブウブウ言いながら、みんなで渡れば怖くないみたいな船に乗っているのが、”勤め人”ということだ。

でも、てつには、船はない。

誰も助けてくれないうちに、船への戻り方をすっかり忘れてしまったと言う。

あれは、ローマ帝国所有の手漕ぎのガレー船なんだが、自営業者は妙にこれに惹かれる。

そんないいもんじゃ、ないっ。あれは、奴隷船なんだよ。


”ふつう”の感覚、世間一般が身に付けているであろうモードが脱落してしまったのだろう。

きっと、てつはポツリ浮くようなどこか孤独なんだと思う。

いや、そもそも、そんな器用に組織に適用できそうもないから、番組作成という業界に向かったんだろう。

やっぱり、これはわたしの血を受けた彼の必然の悩みなんだ。

そもそも、普通ではあれなかった人、だったのかもしれない。


友だちや恋人の間なら簡単に聞けることが、親子となるとほとんど聞けないのが残念だ。

何でだろう?



3.仕事、飽きたよ


40年もサラリーマンだったわたしだけど、てつの気持ちは少しは分かる。

血を半分分けているであろう身内として、自主独立を求めた彼の気持ちも分かる。

皆と同じではありたくなかったのだ。

わたしの話を聞き一番考えてくれた子だったのだ。

わたしも、社畜となろうともサムライだ、みたいなプライドはあった。ような気がする。

いや、彼もやっぱり、いろんなプロデューサーたちの無理難題にへいこらさせられている、半サラリーマンなのだ。

純粋にスーツの波の外で働ける人って、いないんじゃないだろうか?


「オヤジ、会議で笑うっていう経験ないだろ?」と最初自慢げにいっていた。

確かに、そんな笑いのある会議に参加したことも開催したことも一度もわたしには無かった。

熱望したお笑いの番組の企画にようやく参加できるようになった頃だった。

若造でなんの実績も無い者は、たいがい、エンドロールに載ること無いままに去って行く世界だった。

でも、かれは業界に入り込めたのだった。


それから数年経つと、会えば「仕事、飽きた」しか言わなくなった。

てつは、何かに怒り腹を立てていた。

サラリーマンなら定型のワクの中にいる安心感はたしかにあって、だから、会社や上司の悪口に花が咲くのだ。

てつは、「飽きた」以外に、他者の噂話や悪口を言ったことが無い。言っても仕方ない。

安心を求めようにも、ひとりで荒野に出て行ってしまったのだ。

そんなハズレ者は、みんながいる所には帰っては来れないことを知っていた。


てつも、個人タクシーのうんちゃんも、自分が病気したら終わりだ。

誰も有休なんかくれなくて、誰も何も保証なんかしてくれない。年金や保険なんか入っていないかもしれない。

てつもきっと、ふと出勤ラッシュのスーツの波に飲まれたくなる時があるかもしれない。

ひとりぼっちだもの。

フラフラと仮想的な安心を確保したサラリーマンたちの匂いを嗅ぎたくなることがあるのかい?


息子が段々と窒息して行くのを見るには、実は辛い。

なにかしてやれないか、と思うけど、オヤジだからといって彼にしてあげれることはあまりない。

本人もそこは、わたしに泣きつけるとも思っていない。

誰もが働く辛さを抱えていて、それは自分ひとりだけの悲劇じゃないし、型をはずれたのは自分の選択だったんだ。

彼が働くようになって10年ほど経ったけれど、会えばいつも、「仕事、飽きた、飽きた」とわたしに愚痴を繰り返す。

彼は、ほんとは孤独がひどく辛いのかもしれない。

サラリーマンのように、愚痴を言って誤魔化せる相手がいない。

ひとり社長は従業員もいないから気楽だろうけど、しかし、辛いだろうと思う。

仕方無いと分かっていても、それを呪文のようにオヤジの前で繰り返している子。

何か光が見えて来ると信じたいんだろうか?

いや、まだ、キミが”お家”だと思ってくれてるならいいなとも思う。



4.スーツ波が好きな子


のぶ(次男)は、祖母であるお義母さんの血が色濃く反映している。

わたしやてつのように、世間に逆らうという感覚が無く、権威や文化や伝統をすんなり「是」とする。

年上や先輩や先生や上司の言うことを聞く。もちろん、わたしの話も、兄の話も。

無批判ではないのだけれど、注意深く聞き、判断はしている。

人と競うことを好まない。

高校に入って、ある日、「中庸」という言葉にしびれていた。

のぶは、「ぼくは、中の上という位置がいいんだ」といい、難しい言葉をどこからか拾って来てひたすら感心していた。


目立ちたがらない。

就職するなら、インフラの会社が良いといっていた。

最初から、サラリーマンに成る気でいた。

絶対にみんなに必要な縁の下の仕事が良いとも言っていた。

自分という者の存在意義は周囲が与えるというゴールデン・ルールを早くも知っていた人だった。

JRや東京ガスを強く希望したけれど、タイミングも悪かった。氷河期だった。


ある業界3位の会社に入り、「昔気質の人たちが製造現場には多いし、先輩も良い人多いんだ。この会社は良い人が多いんだ」と満足している。

給料の安さや上位の会社との格差に気が付いていないわけはないけれど、他者比較ではなく、自分が大切に思うことからぶれない。

「僕は、気持ちの良い人たちと働ければ嬉しいんだ。

ああ、仕事たいへんだよ。もう、へろへろだよ。

うん、いつか、田舎に越して牛と犬を飼いたいな。

ずーっと日がな一日、日向ぼっこできたらいいな」。


上司や先輩たちに可愛がられる人だけど、自分の中に猛烈に熱いものもある。

いつもは何されてもヘラヘラしている。けれど、絶対に譲らないことがある。

そこは、仏陀だろうが天皇だろうが、社長だろうが、嫁さんだろうが譲らない。

そして、不幸なことにずーっと彼の底には、冷たく怜悧な奈落がある。

彼は、そこに落ちないように普段は気をつけている。

けれど、ときどき、どーんと落ちるという。

すべてを透明な目で見ている自分がいる。好きも嫌いもなくなる。

個人と言う属性がすべて欠落してしまうという。

虚無感やウツ状態とは違うようで、突然、奈落の底が開くという。

マハラジの言う「絶対状態」に近いのかもしれない。

中庸を貴ぶ人は、中に灼熱の太陽と極寒の極北を抱いていた。

いっけん、世界との良好なインターフェースを持っているように見えて、誰にも触らせないアンタッッチャブルな聖域を抱えさせられている。

これに感づいているのは、お嫁さんとたぶん、わたしだけだろう。


かなり打たれ強いのぶであり、サラリーマンであることを自ら望んでいる。

外から見たら、彼はしっとりスーツ波が似合う人だ。

安心の保守王国にっぽんみたいな人だけど、その信奉するサラリーマンという在り方に彼もへろへろになっている。

30代半ばは中堅だ。激務だ。

彼は妻や子を守る善き人だ。

他者を羨まず、自分らしさに従う。

だからめったなことでは不安にはならない。

が、不安を通り越して、いきなり奈落に落ちるという。

そんな時は、ピクピク痺れてるぐらいしか手がなくなるという。

やっぱりサラリーマンが何も安心材料になるわけじゃない。

波たちも、人ごとに何かを抱えている。

不安なんか無いなんて人、この世にいるんだろうか?



5.子たちのオヤジ


彼らは、いつも気難しいオヤジに気を配って来た。

そして、そのオヤジに対して猛烈に働く人というイメージがあるという。

彼らが10歳を超えてからは、マネージャのわたしを見ていた。

早朝に会社に出かける人。

赤坂や六本木がどんなに遠くても、バスやギュウギュウの電車も苦にせず行く者。

夜は見たことが無くて、母親がいうには毎日、1時か2時か3時にタクシーで帰って来てるという。

休みの日は、会社に行ってるか、そうでないなら、家でひたすらゲームに没入している人。

よく怒ってた人。。。


きっと、かれらは、働くとはたいへんなことだなとは気が付いていた。

かれらは、「オヤジは猛烈に働いてた」と言う。

自分にはとうていマネできないし、マネする気も無いということだ。

やると成ったらガリガリやるわたしは、サラリーマンの典型に見えていたんだろう。

いや、かれらは、ジャンバルジャンやたつのこ太郎を読んでくれたことをいつまでも覚えている。

いくつになっても、彼らはそれをわたしに話す。

さあ、寝ようかと子どもたちを寝かせつけた。

読んでると、わたしの胸がいっぱいになって嗚咽が出そうになる。ヤバイ。

30分どころか1時間でも読んだ。

熱い男が真剣に読んであげた季節もあったのです。

かれらとは、目隠し鬼ごっこ、サッカー、モノポリーに熱中した。

こう書いてくると、なんにもしなかった父でもなかったんだ。

たぶん、シニカルに働きバチを見ていたというよりも、大人になったら僕は出来るのかな?という感じがあったのだと思う。



たまたま、わたしの元に来てくれた魂のような気がする。

ほんとは、ここに来なくて良かったんだろう。

けど、ちょっと情にほだされたというか、わたしがお願いしてたのだろう。

わたしは、孤独にひどく弱いから。

友情出演ということで、今世ドラマに出てくれることになったんだろう。

「お前はおれの子だっ」とかいう感覚がわたしには、最初から無かった。


日々は、怒ったり笑ったりでしかない。

小さな命が成長して、もう自分で働いている。

父として、参考に成った人だったかというと、かなり怪しい。

ガリガリと働いていればいいわけではない。

もちろん、大人となった子たちも不安になることがあるだろう。

不安になった時のあなたの行き先になれていない。

わたしは、子をおもう時、申し訳ないと思うのです。


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