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はじめての入院 ― サードライフ


3日間、人生初めての”入院”というのをし、痛い目しました。


1.ポリープくん

ことの始まりは、関西への移住準備を始めた5月頃。ベンに鮮血が混じり始めました。

6月には仕事を停年退職し、断捨離に明け暮れた。

そして、わたしは、会社にさよならしたと同時に、住み慣れた街を離れました。

体は、何かを知っていたんでしょうか。


まあ、そのうち治るだろうと放置し、関西へ移ったのでしたが、下血は起こり続け、家族が心配しだした。

医者に行くと必ず何かを言われる。はず。

行かなければ、言われない。

手術です、大腸ガンですとかなったらたいへんなことになっちゃう。

血を見るのがなによりも怖い。

なので、ズルズル言い訳してたのですが、でも、行かねばならないか。。


で、医者に行くと、大腸にポリープがある可能性を指摘されました。

検査しますか?と聞かれた。

もう専門家がそういうのですから、Yesしかない。

最初の検査は日帰りでした。

前日から、さんざん渡されていた下剤を飲み、腸がすっからかんとなりました。

先生はわたしに麻酔し、カメラをコウモンから入れ、先端の器具で見つけたポリープを焼き切った。

で、先生は、この8つ以外に未だ3つあるといいます。

その3つは大きすぎる。

なので、大量出血という万一に備えて入院して削除しましょうという。

シロウトに反論するネタはとうぜんないのでYesというしかなく、2週間後に病院を再訪したのです。


バッグにいろいろ入れて入院手続きをし、大部屋に入ると、先に80歳ぐらいのせんぱいが2人。

ひとりのAさんは体は動かせれないけれど、頭脳はクリア。

もうひとりのBさんは自分では体を動かせず、ほとんど昏睡状態。

看護師たちが入れ替わり立ち替わり来ては、体温血圧、注射を打つ。

おしめを替える。

Aさんは夜中に突然吐いてしまい、わたしがナースコールを。

Bさんは、さむがっていたけれど、大量のおしっこをもらす。

看護師さんは、医師の補助というよりも、もう8割がた”介護士”なのですね。

やってることは、介護施設とほとんど変わらない。

ううーん、なにか変。(若い看護師に聞くと、介護中心で自分もへんだと思うと)


入院1日目は食事を段々止めてゆくだけ。

暇ですから、マハラジの難しい話を読みます。

2日目は朝6時から、下剤をさんざん飲んで、午後に先生のお声がかかるのを待ちました。

お尻からカメラをグリグリ入れ、ポリープを焼き切るのですから、患者には麻酔を点滴でします。

手術室へいくと、4人の看護師が待機していて、下剤はどんな味かとかいろいろ聞いてくる。

ポリープ削除はよくあるのですかと聞いてみる。

あなたが初めてですという。

ええ”-っ。

看護師たちがなんだか緊張していた理由が分かったのだけれど、もう麻酔が入り始めていて、引き返せない・・・。

麻酔をするといっても、検査(手術)後半では意識がおぼろに戻って来ます。

最初の検査では、「動かない、動かない」と先生がいっていて、でも、挿入されるカメラが痛いので「うっ」とか「あっ」とかいって身をよじってしまう。

そうすると、必死な先生は「動かない、動かない」と怒る。

いや、、、怒られても、ねぇ、、痛いんだもの。「うっ」。

昨日の検査(というか手術)でも、検査(手術)後半では意識がおぼろに戻って来た。

先生から「おならをしないで」と厳重注意が来た。

ポリープを処置し易いように、腸内にガスを送り込むので、わたしはおならがしたい。

先生、怒る。

でも、ぷっと出ちゃう。先生、手元がぶれるので、怒る。

いやぁ、、でも、出るんだもん。ぷっ。

で、看護師さんが指でわたしのコウモンを抑える・・

まあ、痛いわ、たいへんだわ。。わたしに全身の力が入る。

先生も看護師もわたしも、精いっぱい頑張らせていただきました。


「さあ、終わりましたよ」という声で全身脱力へ・・。

で、先生はわたしに「ほら」と戦利品を見せてくれました。

親指の先ほどの大きさのポリープくんが3つ。

ずいぶん、大きく育ちましたねと言う。

実は、小さな8個と大きな3個以外にも腸内には、プチ小さいのがかなりありました。

「センセイ、また、来るんですか?」と聞くと、そうですね、1年後に再検査でしょうねという。

おお・・・。

こちらは、シロウトでそれを否定するなんのネタも無いので、がっくりする。

また、下剤攻めとカメラ攻撃にさらされる・・・。



2.生死の境

なんで、ポリープなんか出来ちゃったんだと、呪ったのです。

でも、先生曰く、脂っこいもの、甘いもの、肉が大好きで、タバコを吸い、運動嫌いなら、また来るはめになりますという。

よし、朝はヨガを30分やろうと軽く決心しました。

まずは、プチできるところからと、甘い判断をしたのには、理由があります。

最初の検査で取った8個は、すでに検査が終わっていて、昨日聞くとそれらは悪性ではなかった。

ああ、、、良かった。。

先生が言うには、1個だけ悪性、1個だけ良性というのはなくて、ガン化しだすと、ほぼどれも悪性判定されるそうです。

悪性だったら、抗ガン治療となるし、他への転移を追いかけないといけなくなります。


死亡の原因で最も多いのは「がん」で4人に1人が「がん」で亡くなっています。

ガンの死亡率で最も多いのは、男女とも「気管、気管支及び肺」で、

以下、男性では「胃」、「膵臓」、「結腸」、女性では「膵臓」、「結腸」、「乳房」と続いています。

で、この「結腸」と「直腸」が大腸なので、男女ともに大腸がんはなかなか他人事にはなりません。

タバコ吸いのわたしは肺ガンも起こり得る。

いままでは、免疫が働いていて、一度も入院とか手術はなかったのです。

けれど、転居を機会に、きっちり、大腸ポリープが疑われ始めました。

実は前立腺肥大も疑われ、ガン化していないものの経過観察中。そう、男子は前立腺もヤバイのです。

なにかで死ぬんだなという遠い先に蜃気楼を見ていたわたしは、停年であっという間に射程内にロックオンされた。

確実に”死んでゆくシーズン”に入ったということです。



3.先輩たちの夜

頭脳明晰なAさん。入院している理由は分かりません。

携帯で何やら書いているし、受け答えも70台にしてはすごくクリア。

でも、ほとんど体を動かせない。いちいち看護師を呼んで電気を消してもらったりしている。

ああ、、動けなくなるのはなんと辛いことかと思った。

頭だけが明晰なまま。でも、まあ、泰然自若といった受け答えをしていた。

夕方からすこし胃がもたつくと言い出した。看護師はどうしたのかといぶかる。

そして、朝方突然吐いた。

ほんにん動揺していました。

ガンの手術をした後なんですかね・・。


Bさんはもう動くこともままならず、注射を打たれるときだけ「痛っ」という。

ご飯もほとんど食べれず、こんこんと眠り続けていた。

何の病気でしょうか?

夜中に何度も看護師が様子を見に来ます。

検温、脈拍、注射・・。


ふたりを見ていて思ったのは、人間、動けなくなったら”終わり”なんだなということでした。

ベッドに横になると、ますます動かなくなる。そして動けなくなります。

他者に世話になりだすと、ますます世話になる。

こりゃもう意地でも世話になんかなっちゃだめなんだ。骨折しないように適度な運動をし、そして食事を簡素なものにしてゆかねば。タバコも、とわたしは思った。


でも、どんなに入院を遅らせても、いつか病院に入るでしょう。

だとすれば、好きなモノたべてすきなことをしても、一緒かとも思う。

いいや、男子は骨格が大きいのです。

AさんもBさんも、動かす時は看護師ふたりがかりでおしめを替え、ベットを直し、患者を動かした。

あっさり、入院なんて人はめずらしくて、きっと、最初は自宅で動けなくなる。

それを面倒みるのがお嫁さんだとすると、これはかなり骨が折れるでしょう。


わたしは暇で、なかなか眠れなかった。

他の部屋も似たようなもので、終夜、看護師たちが見回っていました。

大きな手術や病気、老衰・・・。

最後の時は、なかなかにたいへんなのですね。



4.サードライフ

65歳で定年し、セカンドライフが始まります。

まだ、頭も体も動く、派手にお金を使わないのであれば、妻と多少はどこかで食事をとか、映画をとかできる。

でも、75歳以上を後期高齢者と言うのは、理由があるんですね。

きっちり、最後のお勤めをするんです。

もう、動けない、あたまも劣化し、世話にばかりなる。お金も底をつく。。

セカンドライフで何を生きがいにしたらいいんだ話があるんだけど、そんな10年間はオリンピック2回みたら、もう終わるのです。

そこからは、果てしなく不自由で長い夜が続く。

それをサードライフというのでした。


今日は無事退院し、自宅に帰りました。

もうタバコをぷかぷか吸いました。

3日間一切脱走を許さない空間でした。

食事はかのじょにお願いしておかゆを。

ポリープ切除したばかりなので、負担がかけれない。

お風呂もざっと体を洗った程度で浸かりませんでした。


関西の住まいはシニア向けマンションです。

入居して知ったのですが、わたしは「若手」という扱いを受けています。

社会からはもう用は無いといわれた老いた身なのに、ここではわたしの上に30年間のシニアが積まれている空間でした。

みんなよろよろしながら、大浴場に来ます。げっそり痩せ、背が曲がってます。

マンションの中も補助器具を使って歩行してます。

ほんとにみんなよろよろ。

入院してまた言われました。「あなたは未だ若いから」と。

たしかに瀕死のAさん、Bさんに比べたらたぶん10歳以上若いのです。

関西に来て、いきなり”若手デビュー”でした。



4.どうする、おれっ!

で、この話にはなんのオチもなくて、あなたがまだまだ先だと思う年齢なら、つまらないと思います。

でも、最後のぴたりとすべてが停止する着地点は、みんなが行くところ。

さまざまな道筋があると思いますが、着地直前はAさんやBさんのようにたぶん、かならず成る。

それは1,2か月と短いものかもしれないし、数年にも渡るのかもしれません。

でも、最後はひどくしんどそうです。

ええ、、この話にはなんのオチもなくて、あなたはまだまだ先だと思うのですが。


セカンドライフは、悔いの無いサードライフを送るための準備期間なのでした。

わたしの場合であれば、ガン化する要因を除き、ヨガを毎朝とりいれる。

そして、ずっとブログを書けるようにして行くということになるかと思いました。

それは、かのじょに迷惑かけないようにするということと、孤独の夜にも書くことで世界とあなたにつながれるようにしておくということです。

この3日間のはじめての入院は、いままで見ないよう避けていたことに返事をする機会となったのでした。

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