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暑いのにセミが鳴かない理由 ― 岸田奈美さんを推す


暑いっ。まだ7月なのに辛い。

気が付くと、セミが鳴いていない。

書いてるのに心がこもっていない。

ああ、、誰が書いたかはどうでもいいような記事を書いている気もするほろほろ。



1.辛い話


最近の推しは、若い作家の岸田奈美さん。

ちょっと前のトークイベントで、彼女は所属するコルクの佐渡島さんからもらった言葉を紹介した。

「その人にしかない感情を書けるのが作家」

「1人歩きする記事(考察モノとか。誰が書いたかはどうでもいい記事)ではなく、あなたならではの感情、視点を加えること」

目がぴたっと止まった。わたしはとっくに理解している、つもりだった。

おお、、ぜんぜん出来ていない。悔しいっ。

もちろん、佐渡島さんは、万人にではなく、彼女に言ったのです。本来できるであろう人に。


正直いえば、わたしの書く9割は、「誰が書いたかはどうでもいいような記事」ばかり。

自虐ではなく、実際、「考察モノ」が多い。

きっと、わたしは主張したい。いや、聞いて欲しいのだと思う。

ああ立派な考えだね、いやぁよく出来たねって。

若かった母は、わたしに「バカ」「バカ」とばかり言っていた。

母に反論することも思いつかず、小さなわたしはただただ悲しかった。


他人の考察モノほどつまらないものはないって、じぶんでも思う。

でも、何が辛いかって、分かっていてもそうは出来ないことってある。

無視しているんでも、さぼってるんでも、ナメているんでもない。

なぜか、ほんとにそう出来ない。

文末に”ほろほろ”と付けたがるのは、わたしのせめてのお詫びだったんだ、きっと。



2.岸田奈美


彼女がXで発振すると、こんなコメントが寄せられる。

「あなたの文章を読むと気持ちが救われる。

その行動力と健やかさやユーモアは天才だと思います。

自身や家族への将来への不安に押しつぶされそうなときに、不意にタイムラインに見るあなたのツイートで救われます。」


「久々に文章を読みたいから読む本でした。

長いこと、本は何かのために読む感じだったのでありがたいです。笑って泣いてとてもとても楽しめました。」


凄腕です。たとえば、彼女はこんな文をがりがりとあげて来る。

赤ベコの話なんか、ほろほろしちゃう。

今週から彼女原作のドラマがNHKでスタートしてる。

七転八倒の人生なのですが、「もうあかん・・」という出来事を笑いに変えて生きてる。


彼女は、自身をこう紹介している。

「1991年、神戸市北区生まれ。

中学2年生のときに起業家の父が突然死、高校1年生のときに母が心臓病で車いす生活、弟が生まれつきダウン症。

認知症で荒ぶる祖母と、よく吠えるかわいい犬の梅吉も一緒に毎日が楽しい。」


もうたいへんなワケです。楽しいなんてもんじゃなく、思い詰めたらすぐ生き地獄へ。

ずっしり彼女の肩にみんなの期待やら買い物やら何やらがかかってる。

辛い目にも合って来た。始終、怒ってもいるでしょう。

高校の時だったか、付き合ってた人から言われたそうです。

「結婚したら、ずっと弟くんの面倒みないといけないなんて、無理っ」


岸田奈美さんは、弟をこよなく愛する。本の中でこんなふうに言ってる。

「弟は昔から、みんなが上手にできる大抵のことは、みんなより下手だった。

うまくしゃべれない、はやく走れない、文字を覚えられない。

それでも弟が、まったく悔しそうでも、さみしそうでもなかったのは、とにかく弟がいいやつだったからだ。(略)

そんなわけで、いいやつの弟は「競争すること」「比べられること」「ふつうでいること」から限りなく遠ざかって生きていた。

弟はいいやつとして元気に生きているだけで、世界の期待にこたえている。

本当はみんな、そうなんだけどね。」


いや、彼女自身、いいやつなんだ。その人は、先のトークイベントでこうも言ってた。

「辞書にないような感情はすべての人が持っていますが、それをいかに表現できるか。

そして、1つの記事の中で書き手の感情の変遷が1本の流れになっているかも大事です。」

そんなん無理っ。もうあかん!



3.忘れていること


星の王子さまは、言いました。

「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」


彼女が描くダウン症の弟。ほんとに、健気でかわいい。

姉が弟に注ぐ視線は、きっと自分自身への眼差しでもある。

彼女は、限りなく不器用なのです。

まるで、ADHDのように注意配分がへた。そのかわり、ものすごい集中力がある。

(わたしのパートナーがそうなので、この言い方になります)

ということで、人が普通に配慮できたりすることが出来ない、と思う。

ちょっとしたことでもめ事が起こってるはずです。

彼女自身、不用意な言葉を吐いてしまう。そして、それがとんでもないことになったりする。

実際、大好きなパパに「死んでしまえ」と言った日に父は入院しそのまま2週間後に死んでしまう。

「普通の事」ができない人だとおもう。(外してたらごめんなさい)

「普通」から除外された者は、除外されている仲間のことは良く分かる。


考察モノだったり、誰が書いたかはどうでもいいような記事を書いてはいないか?

いや、対象に強い興味があれば、わたしだって、じぶんらしい文章を書いている。たまには。

でも、ただの関心程度の時もある。たいはんは。

そこにアンテナを持っていないのに、わたしは、ああだこうだと言ってしまうのです。

だから、「考察モノ」が多くなる。

きっと、岸田さんにだって、できないこと、興味がどうしても持てないことがあるとおもう。

彼女だって、苦手で書けない領域が山のようにあるはずだ。

でも、ある範囲なら鋭いアンテナが立つのです。


確かにこの世には、作家が満たすべき要件なんていう無理難題をクリアできる者もいる。彼女のように。

誰が書いたかはどうでもいいような記事、を書いている者もいる。わたし。

それは、仕方無きことだ。あかんやんって、泣くしかないことだ。

作家になることだけが幸せじゃないし。

やっぱりわたしたちは、みなデコボコし向き不向きがあるんです。

と、へこんだ時、わたしは彼のことを思う。

じぶんが忘れてる大事なことがあるっていう。



4.星の王子さま


星の王子さまのいうことは、いつもほんとです。

わたしは、わたしの細いスリットを持っていて、そこからの眺めは「わたしにしか見えない世界」です。

その狭い隙間からなら、わたしにも世界を見ることが出来る。

小さなわたしはそうして世界を確かに見ていた。

でも、わたしは子どもだったことを忘れ、傲慢にも出来ないことに進んでしまう。

出来ない・・・。

へこまないと、わたしがわたしらしく在るという点には戻れない。

そこからまた世界を見ればいいのです。

そしたら、「誰が書いたかはどうでもいいような記事」かどうかなんて、もうどうでもよくなる。


わたしは、わたしを誠実にやり切るしかないのです。

実際、彼女でさえ、「100文字で済むことを2000文字で書く」人だと自分を表現している。

最初、それは自虐的なジョークだと思った。

いや、冗談では無く、授かった狭いスリットを精いっぱい生かそうと努める者の言葉でしょう。

比較なんてしてる暇があったら、その細いほそいスリットから凝視しないといけないと。


「大切なものは、目に見えない」と王子さまは言った。

普段、くらくらし、よろよろしながら、生きている。

ある時、こんなに暑いのにセミが鳴いていないと気が付く。

いや、この胸にいる。

そう思い出したとたん、どこかで微かにセミの鳴いてたことに気づく。

セミはいつだっている。

大勢鳴かないと気が付かないわたしは、こころ弱ってたんだ。

と、ようやく気を取り直した。



P.S.


しし座です。もうすぐ誕生日が来ます。毎年、わたしから母に電話する。

母は小さなわたしに「バカ」「バカ」とばかり言ってた。

始終、お尻を叩かれた。ひどい母だ。

でも、電話の最後にわたしは言うのです。

産んでくれてありがとうございます、と。

それは、産みだした者への感謝というより、きっと仲間への声掛けなのです。


慣れない大家族の農家に嫁いで、不安ばかりだったでしょう。

陽が昇るまえから深夜まで働き詰めでくたくただった。

気の強い彼女は誰にも負けないとしたと思う。

姑や小姑ともめ事が絶えないし、無関心で守ってくれない夫だったし。

彼女の実母は、過酷な運命に翻弄された人でした。

安心させたいばっかりに「良い所に嫁げてわたしはしあわせよ」と娘はずっとウソを付き続けた。


わたしの母はひとりぼっちでした。

唯一当たれたのが長男のわたしだった。

もちろん、そんな気はわたしにはなかったのですが、

雪のひどく降る村で、わたしたちはペアとなり凌いだのでした。

親子であるけれど、同時にあまりに雪の降る孤立無援の世界での仲間でもあったでしょう。

お変わりありませんか?


Upした写真は岸田さんのサイトからお借りしています。素敵です。ぺこっ。



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