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#ほろほろ、というテーマ ― 「うまい文章」を書けないわたし、とあなたへ


13年間も書いている。なのに、わたし、うまくなりませんよろよろ。

ご参考になるかもしれずと書きますほろほろ。



1.言い訳


もちろん、「うまい文章」だから、結果、人が読むのです。

起承転結し、落ちがある。深い洞察や気づきをくれる。

と、最後まで読んでいただけるよう、途中はメリハリやリズムもある。

時々、力を抜かせてもくれる。

かと思うと、どう展開して行くんだろうと思わせる・・

文章がうまい人は、人が読んでくれるように「うまい文章」を書こうと決めているかのようです。

本当はどうなんだろう?

意図して「うまい文章」なんて書けるん?

意図しても書けないわたしには、とても疑問です。

これは才能の話なの?


悲しいことに、わたしは、なぜか「じぶん語り」をしたいし、「長文大好き」です。

「じぶん語り」をしたいわたしは、力量を付ける気があんまり無いような気もする。

そうだとすると、才能うんぬんの、ずーっと前で既に勝負が決まってるかも。


いや、もちろん、わたしだってがんばったんです。

短い文も書いてみた。けど、つまらない。燃えない。

落ちを考えてみた。けれど、東のにんげんだもの、なんだか熱がこもらない・・。

そもそも、読み手を喜ばせたいという奉仕精神に欠けてるん?

というような、グダグダした内省を今日は言いたいんじゃないのです。

そんな独りよがりな男でさえ、さいきん、ああって思ったことが2,3あるという話です。

もう少し、前に進めそうなんです。

ちょっとだけあなたにとっても素敵かもしれない。へへ



2.その2、3のこと


さいきん、冒頭に「ほろほろ」を無理やりにでも突っ込んでいる。

この秘密の呪文、わたしには霊験あらたかです。

思考(理屈)モードに入りませんように、どうか、感性を響かせてくれますようにと、祈念させてくれる。

「ほろほろ」と書き出すと、当然終わりも「ほろほろ」で結びたくなる。

この「ほろほろ」サンドイッチで感性を促すと、あまり小難しいことが言えなくなるのです。

「ほろほろ」使うと、大袈裟な言い方に隠されがちな小さな誤魔化しも書きにくい。


思考で書くと、断定や決めつけが多くなります。

わたしだって、他者の観念的な文章は読みたくない。

いや、書いてるわたし自身が全然楽しくない。

で、感性で書けという雰囲気「ほろほろ」は、かなり面白い。

たとえば、「大日本帝国憲法は、天皇に主権がありほろほろ」なんていう出だしで書いてみる。

ほ~ら、トーンがまったく変わった。

なんだか、自由に書けそうな気もしてくるでしょ?

いや、ちょっと例が悪かったか。


先日、あなたの文章は女性的かもというようなコメントを頂いてびっくりしたんですが、当然かもしれない。

見渡すと、ほろほろ言う男って見たことがない。

思考中心の男は、絶対に使えない。それに男には、これはかなり恥ずかしい。

もちろん、女性自身も使わないのだけれど、柔らかな感覚になります。

それを「女性的かも」と表現してくれたのかと思う。

もちろん、「ほろほろ」付ければ、なんでも免罪されるわけではないのですよろよろ。


わたしは、じぶんのこころを自由に歩かせたい。

だから、素に書く。正直に書く。

歩いた道のたまたまいくつかにあなたが心寄せてくれたなら、わたしも嬉しいぃ。

それが創造ということだと思う。

すんごいネタや高度な文章スキル、巧みな比喩が創造だとはわたしには思えない。

もしここに自由のスペースを産みだせたなら、あなたがそこに参画し、あなたが自由にイメージしてくれる。

あなたが、喜んでくれる。

ああ、、なんてそれは素敵でしょう。


だから、読み手が参画できるということが、創造の場ということだと思うのです。

クリエィティブな文章を創作するというけれど、

書き手が素材を提供し、読み手が自由にイマジネーションできる文章のことでしょう。

書き手だけで完結するモノではなくて、協業プロセスだと思ってます。

村上春樹さまのような作家たちは明らかにそれを願っている。

読み手によって想像の範囲が変わるから、様々な評価が存在し得る。

「うまい文章」のことを言いながら、わたしはあなたと供に創造して生きていたいんだと思う。



3.意外なことが起こった


ほんとは、「ほろほろ」でも「よろよろ」でも「おたおた」でも、何でも良かったのです。

使うようになってから、意外なことが起こってます。

あまり信じてはいただけないかもしれませんが。


「はて、この文をあなたがどう興味を持つんだろう?」という視座がいただけている。

ちょっと、うまく伝わるか自信ないんですが、

「ほろほろ」君が来る前まで、実はわたし、あなたのビューを想像していなかった。

あなたは、興味持つかな?

あなたは、どんなことで実際困ってるんだろう?

そういうことは、分かっているつもりなだけで、ピンと来ていなかったと思う。

なにせ、書きたいっていう想いが強いタイプなので。


「ほろほろ」君は、メタ・メッセージとなっている。

「このメッセージはこんなふうに読んでください」という、メッセージを説明するメッセージです。

さあ、わたしがこれから書くメッセージは感性を落とさずにね、と言う指示なわけです。

この指示を受けたわたしは、意外なことに、あなたの視座も気にし出した。


「ほろほろ」君は、2重のメタ・メッセージになっている。

柔らかくお読みくださいという読み手へのメッセージでもあるし、

書き手であるじぶん自身への柔らかく書いてねというメッセージでもある。

そうすると、暗示にかかったようにほろほろとわたしは指示書に従って行く。

これは、ひどく硬い男が全力で柔らかく書いたものです。


冒頭の数行はなんども直しています。

何度も、気に入らない。

とても、気に入らなくなってしまった。

あなたには、たいしたことない数行にしか見えないと思います。

が、じつに、落ち着くまでに何度も直している。

(うん?その割にありきたりな数行に落ち着いたな、とはじぶんでも思うけど)


推敲では、なるべく「不要な筋」を削除し出した。

長くなるのは、次々と思考が分岐して行くからなんです。

で、「ほろほろ」君が来てから、かなり、枝分かれが目につく。

未だ長い!とあなたは言うでしょうが、この作業って、身を切られるほどに辛いですほろほろ。

残念です。半分にはできません。でも、2割ほど身軽になってます。へへ


メタ・メッセージとは、この文章をこう読んでくださいという指示書です。

それは暗示的なので、わたし自身ははっきり認識しません。

でも、「ほろほろ」と置くと、硬くは書けなくなる。

じぶんの視野に別な角度が差し挟まれてしまう。

うまい文章とは、たぶん、読み手側の視野が見えてる書き手のことを言うのだとすれば、

今までのわたしは、読み手もじぶん自身もよく見えていなかった。

想いの強いひとは、じぶんを客観視するってすごく苦手なのです。

読み手側からの視座を得る以前に、じぶん自身を俯瞰することが出来ない。

これは、欲だけでなく、恐れの局面でも起こる。


“Don’t think, feel!”と、映画『燃えよドラゴン』で主人公のブルース・リーが言った。

何度やってもカンフーがうまくできない弟子に彼がこう言ったのです。

ああ、、「うまい文章」も、思考では書けない。

あなたを感じずには、あるべき様には書けないから。

生き物である限り、感じるが先になるのでしょう。


ああ、、偉大なるほろほろ君よ。

こうしてわたしは生涯、あなたに跪くのですほろほろ。



#ほろほろ


P.S.

「よろよろした人たちによる、ほろほろとした柔らかな再生を目指す」はテーマとなるかもしれない。

機会がありましたら、文末に「#ほろほろ」と置いて行こうと思います。

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