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「伝える必要がないけど伝えたいこと」を伝えたい。

カフェでめちゃくちゃ美味しいケーキに出会った時。
お店でとっても親切な対応をしてもらった時。
ありがとうございます以上のことばを、伝えたいと思う。

「とっても美味しかったです」「丁寧に対応してもらって嬉しかったです」「あなたのここが素敵でした」と。そんなことを伝える想像をする。頭の中では、渡すことばを決めている。言える言える、大丈夫。そう思っていざ言おうとしても、店員さんを前にすると緊張して喉が詰まる。準備むなしく伝えられないことが多い。

「ありがとうございました」「ごちそうさまでした」とボソッとつぶやいて終わる。そのことばすら、しっかり目を見て言えたことは多くない。

病院で働いていた時は、お礼のことばどころか、相手にとって聞きたくないことまで伝えることが必要だった。雑談し、リハビリし、そして伝えづらいことも、伝える。早く退院したいと泣く患者さんに「まだできないのだ」と伝えることは辛かった。安全に生活できるように頑張りましょう、少しでも良くなるように一緒に頑張りますから、と何度も伝えた。そのような、相手にとっての「嫌なこと」を伝えなければいけない場面は少なくなかった。わたしは、お礼を言うより遥かに伝えにくい「嫌なこと」を、確かに伝えることができていた。それは、仕事だったからでしょう。伝えないといけなかったからでしょう。

今、伝える必要のないこと、でも伝えたいことを、なかなか伝えられない。嬉しかったこと、感激したこと、素敵だなと思ったことを、大きな声で伝えたい。その気持ちはわたしの中に強くある。友人や家族には言える。あなたはとっても素敵だよって。でも、欲張りだから、もっと広い範囲の人にも伝えたいなと思うのだ。わたしに関わってくれた、わたしのことをあまり知らない人にも。

twitterを見ていると、接客中にかけられた嬉しいことばに感激した人、好きな服を素敵だと言われて嬉しかった人など、他人のことばに喜んでいる人を時々みる。身近な人に褒められるのはもちろん嬉しいし、そばにいる人が自分のことを認めれてくれる以上に幸せなことはない。でも、時に赤の他人からのことばが大きな力を与えてくれることがあるじゃないですか。背中を押されることって、少なくないと思うのです。

わたしが他人の何かに感謝を伝えることで、必ずしも言われた側がめちゃくちゃ喜んでくれるとは限らない。ただのone of themのことばで、あんまり意味を持たないかもしれない。でも、もしかしたら、伝えることでその人の1日だけでもほんのり幸せにできるかもしれない。ちょっとにやけさせることくらいは、できるかもしれない。

こう思うのは、わたしが他人に言われたことばに影響を受けやすいからかもしれない。残念ながら人間は嫌だったことばかり覚えているし、わたしも例にもれずそう。中学生の時に通りすがりの学生に髪型をからかわれたことは一生忘れないし、初めましての父の同僚に「暗い顔だね」と言われたことはずっと胸に影を落としている。いまだに思い出してはへこむのは本当に癪だ。赤の他人のことばなのに。

正直、嬉しかったことや感謝を伝えても、残らないことは多いと思う。わたしが良く覚えているのも、嬉しかったことばよりも嫌だったことばだ。
さらに、他人である自分が言ったことばが、相手に大きな良い影響を与えると考えるなんて、おこがましいとも思う。傲慢とも言えるかもしれない。
でも、伝えることで少し嬉しい気持ちになってもらいたいと思う。そしてわたしは、喜びや感謝を伝えたことで少し満足してその日を終えたい。つまり、ただの自己満足だ。

「伝える必要がないけど伝えたいこと」を、臆せず伝えられる日が来るのを夢見ている。想像する自分は、いつも笑顔だ。

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