少しだけ小説風自己紹介
気付いたら、思ってもいない場所にいた。
走って走って、無我夢中でただただ前へ進むことだけを考えていたら、いつの間にか元いた場所とは全く違う景色にたどり着いていた。空気はきれいで、空が高くて、息がしやすい。酸素が肺の奥まで入る感じがする。血が巡る感じがする。ちゃんと、生きている感じがする。前にいた場所では、生きているというより、死んでいなかっただけかもしれない。
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わたしの人生は、小説風に書くとこんな感じだ。看護師になろうと思っていた小学生時代、英語を学んでみようかなと思った高校生時代、やっぱりリハビリの道を目指そうと決意した大学生時代。大学の英語科を卒業後、専門学校みたいな大学に入学してリハビリを学び、卒後はそのままリハビリ病院で勤務した。そして数年後の今は、パン屋さんで働いている。並べてみると全然脈絡がない人生。まるで思い付きで生きているようなこの二十九年間。これがドラマの登場人物の人生として紹介されたら、「なにこの甲斐性のないやつ」的な感じの批判をもらいそうだ。
でも、パン屋さんで働きながら生きている今。今が、一番生きていて楽しい。息がしやすい。視界が開けている。わたしがわたしを認められている。今までよりずっと、自分のことも、周りのことも愛せている気がする。
両親から大切に育ててもらった割にはずっと自信がない人間だった。だから(だから?)なにかと失敗を恐れて、嫌われるのを恐れて、いろんなことを頑張っていた。向上心というより「恥をかきたくない」と思って頑張っていた気がする。ただ、頑張ることは自分なりのそのときの判断で決めていたから、頑張りたくないことを頑張っていたわけではないと思う。選んだものには選んだ理由があった。英語だってリハビリだって、自分で求めて学んで、一時は本気で向き合っていた。
ただ、学んだ先で出会った環境は、生きやすい場所ではなかったのかもしれない。最初の場所を離れ移動を続けて、だんだんと自分に合う場所を選べるようになってきたのだと思う。移動を重ねるごとにしんどさがなくなってきた。なんか、酸素をもとめる魚みたい。息のしやすい方向へ、方向へ、と向かっていたら気付いたらパン屋さんにいた。今まで、ほんとうは嫌いだったこと、我慢していたこと、向いてねぇと思ったこと、たくさんあったのだ。離れなければ気付けなかったことたちは、離れて振り返ることでやっと冷静に見つめられる。「頑張ればどうにかなるさ」で生きるより、頑張りやすい場所を選ぶ方が健全で、優しくて、愛だと今のわたしは思う。
パン屋さんでずっと働くかどうかは、それは全然分からない。もしかしたらもっと酸素濃度の高いところがあるのかもしれないし、今がべスポジなのかもしれない。正社員でもないパートの販売員だから気楽にパン屋さんで働けているのかもしれない。ここの正社員になりたいのかと聞かれたとして、それも分からない。並べてみると分からないことだらけでびっくりする。
ただ、今思っていることは、パン屋さんの仕事だけじゃなくて、「書く仕事」をとにかくやりたいということ。これは確かなこと。情報をまとめることを第一と置くウェブライターではなくて、思いや心や世界についての文章を書く仕事をしたい。要するにエッセイを書く仕事をしたい。文章を書くことでどうにかなりたい。
この「エッセイを書く仕事」の難しいところは、どうやってその道に進めるのか分からないということ。英語もリハビリも、それを仕事にする道はある程度示されていた。けれどこの「書く仕事」というのは、とくにエッセイを書くという道というのは、まじでどう切り開けばいいのか分からない。わたしが尊敬するライターさんは「入口がありすぎて」難しいと表現していた。じゃあどうすれば⁉となるのだけど、とにかく今できるのはたくさん文章を書いて、人の目に触れる場所に置いておくこと。ただ、それだけなのです。いつか、誰か見つけてくれたりくれなかったり、わたしがグッドな行動を起こしたり起こさなかったりして、書く仕事でどうにかなれますように。そう思って今日もパソコンを開く。
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