ペットボトルの鯉

一人暮らしを始めた時に買ったニトリのローソファーの背には、二日前くらいに着た仕事着が裏返しのまま引っ掛けてある。その下に、一回使ったバスタオルが埋もれている。

最後にお風呂に入ったのは、いつだったんだろう。髪の毛のベタつき的に、一週間くらい経つ。ベッドの下には飲みかけのペットボトルが散乱している。上から眺めると、池で口を開けて餌に群がる、鯉みたいだ。こうして寝ているベッドにさえ、足元の方にはいつか脱いだままのトップスが転がっている。

そういうのが、平気になってしまった。
その時点でダメだったのかもしれない。

せっかくお暇を頂いたんだからちゃんと生活しなきゃ、と思う。お風呂に入ってさっぱりして、掃除して、自分の生活みたいなものを取り戻さなきゃいけない。そう考えているうちに、気づけば夕方になっている。別に動こうと思えば多分動けるんだけど、動く気にならないんだよなぁ。なんか疲れて、もうどうでもいいから寝よ、ってなる。

どうしてこうなってしまったのか、分からなかった。どちらかというと能力にも恵まれて、自分がまさか「弱者」になる日が来るとは思っていなかった。昔、自分や他人に向けていた言葉が、今、自分に刺さる。

いいからやれよ、って。
出来るまでやれよ、って。
やる前から言い訳の準備するなよ、って。
出来ない言い訳ばかり覚えやがって、って。

動けないんだよ。本当に。

転がったペットボトルは、どう考えても邪魔なのに、それを捨てる気力も、ゴミ袋もない。ご飯も面倒だ。作っても買ってもゴミが出る。ゴミが出たら、捨てなければならない。そういうの、全部、今の自分には出来ないんだ。

「頑張りすぎるなよ」
「気負いすぎるなよ」

チープな言葉だ。私のSOSは届かなかったのに、医師の診断書は、信頼するらしい。なあ、見ず知らずの医師の言葉と、私のSOS、どちらが重要だった?

家の目の前の路面電車の電停は、一駅一駅の間が短い。歩いても、5分もかからない。たったそれだけの距離を、歩けなくなってしまった。

一体いつからそうなったのか。
そんなの、説明出来るはずがない。

だって、このペットボトル、いつのものかなんて、分からないんだから。なあ、いつから、こういうの全部、平気になってしまったんだろうね?

※2年前に書いた文章です。
 今はペットボトルの鯉はいません。
 

OLとバリキャリとオタクの中間地点にいます。 「忘れてみたい夜だから」という番組をRadiotalkとPodcastでお届けしています。 【Radiotalk】 radiotalk.jp/program/31133