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ヤフコメ民に学ぶ日本語文法 「べき」の使い方


※注意※
このページの目的は「正しい日本語の使い方を学ぶこと」です。
いかなる人に対しても思想・信条を問うものではありません。


こんにちは!asa_swaです。
最近、ライティングに必要な「正しい日本語の使い方」を、改めて見直したいと考えています。
Web上に文章はいくらでも転がっていますが、今回はあえてYahoo!ニュースのコメントに注目し、日本語文法の例文として考えてみたいと思います。


例文:「いちいちコロナという単語を入れなきゃ気が済まんのか、馬鹿馬鹿しい。沖縄タイムスは倒産すべき」


見出しの文章は、あるYahoo!ニュースに寄せられていたコメントの一つです。ニュースは、沖縄の農家さんが栽培しているシークヮーサーが、大量に枯れ始めていて、なおかつ原因不明であることを報じています。

「JA北部地区営農振興センターによると、ゴマダラカミキリやナガタマムシによる食害の他、土壌の病原菌による疫病が考えられるが、どちらが原因か、双方が影響しているのか特定できていない。疫病には2種類の農薬が登録されており、改善事例がある一方、症状を遅らせるだけの報告も多く、効果は不明という。
本部町では県のPCR検査で、幹の根元に発病し木を枯死させる「すそ腐れ病」と診断された農家がある。5~6年前から被害が出て、約300坪(990平方メートル)の9割が枯死。被害額は300万円以上に上る。農薬が効かず、畑をやめることを考えている。大宜味では「シークヮーサーのコロナだ」と悲鳴も上がっている。」

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/3a1a42e16d6521ddfb6ed119f06f3550053f4677


「べき」の意味

今回引用した例文で注目したいのが「べき」です。

「-べきだ」という形式の位置づけは、なお検討を要する。この形式は、文語的なニュアンスをもって、当然(義務、論理的な必然)などをあらわす。
『日本語文法・形態論』(「第16章 むすび」p487)

【意味】
・〇〇した方がいい
・〇〇するのが当然だ

例文:
・落とし物の財布を見つけたら警察に届けるべきだ。

【活用】
助動詞「べし」の終止形
1.動詞+ べきだ
※動詞が「する」の場合、「すべき」となる
「する」+「べき」の形は例文の「沖縄タイムスは倒産すべき」で使われています。
日本語の文法上、正しい活用形です。

2.否定形
・〇〇べきではない
例:今日は天気が悪いので、出かけるべきではない。

3.過去形
・〇〇すべきだった/べきではなかった

2.名詞・な形容詞 である+べきだ/べきではない
3.い形容詞:~い ~くある+べきだ/べきではない


例文の「べき」分析

「べき」は、常識的に見て疑いようがないシチュエーションで使用し、「するのが当然」というニュアンスを含みます。
発話者の中で、「義務」「論理的に考えて必然性がある」「社会常識」「道徳」と考えられることが「べき」で表現されています。

「べき」は明確に相手を指定し、相手の行為や発言について自分の主張を述べる場合にも使用されます。
その場合は、推奨や忠告のニュアンスを含むことが多いようです。

例文:
・あなたは今すぐ休むべきだ。
・ありとあらゆる可能性を、まず急ぎ分析すべき(同ニュース別コメント)

相手がいる文章で「べき」が使われている場合、次の2つの要素を含むと考えられます。

1:「この行動を起こすべきである」という人が目の前にいる、明確に指定できる
2:「べき」の本来の意味から、発話者は「べき」で指定している行動を起こす=社会常識、道徳上当然と考えて主張している。

また、過去形の文章で「べき」が使われている場合、反省、後悔→現状の結果に対する不満のニュアンスを含みます。

例文:
・現状の結果に対する不満:「すでに3年前から見られる現象なら、農業団体も素人集団ではないのだから原因を調査すべきだった。」(同ニュース別コメントより抜粋引用)

個人的に「べき」という言葉がおもしろいのは、ここです。

「べき」は本来、客観的にだれがどう見ても支持されるであろう…ことに使われます。例文の「沖縄タイムスは倒産すべき」で言えば、発話者にとっては「沖縄タイムスの倒産」が当然である…という結論になります。


前文の「いちいちコロナという単語を入れなきゃ気が済まんのか」との因果関係については行間の補足がないのでわかりません。しかし、「べき」を入れることで発話者にとっては「沖縄タイムスの倒産=義務、論理的に考えて必然性がある、社会常識、道徳上自然なことである」と考えていることが読み取れます。


「べき」を使う時の注意点

「べき」は、社会常識に照らし合わせ客観的に見て必然性があることがらに対して使われるはずですが、話者が自らの主張をする時に使うため、どうしても主観的な見方がゼロにはなりません。
つまり、「客観的に見て社会常識や道徳上当然と考えられる」のは、話し手の主観的な主張である、というジレンマをはらんでいる言葉と考えられるのです。

主観的な判断ではないと思われることに使われるにもかかわらず、主観的な見方はどうしても入る言葉、さらに強く言い切る形になるため、使い方はどうしても慎重になります。

例えば、私は「誹謗中傷をすること」は誰がどう見てもアウト、弁護の余地なしと考えています。誹謗中傷しても良いと考えている人も中にはいるかもしれませんが、願わくば少数派であってほしいです。

そのため「誹謗中傷をすべきではない」(「べき」を使った否定文)と、自信を持って発言できます。

しかし、「世界で一番かわいい動物は犬であるべき」だったらどうでしょうか?

おそらく猫派の方からは猛反発があるでしょうし、世の中には鳥派の方も多くいらっしゃいます。ペットというくくりでなければ、昆虫や微生物が一番かわいいという方も少なくありません。
主観的なことがらであればあるほど、「べき」を使った時に独断・偏見のニュアンスが強くなる印象です。


※類似用法
「〇〇なければならない」
・法律、規則、ルールなど、義務の場合
・自分自身のことを述べる場合
 例:私は買い物に行かなければならない。


参考サイト
https://nihongokyoshi-net.com/2019/05/14/jlptn3-grammar-bekida/
https://www.mlcjapanese.co.jp/n3_04_13.html
https://nihongonosensei.net/?p=9215
https://japanese-teacher.tanosuke.com/2018/10/20/bekida-bakidehanai/
https://nihon5-bunka.net/japanese-grammar-intermediate-bekida/


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