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K-POPのセクシー路線|「推し」の性表現に抱く複雑な感情

特定のグループ(ましてや好きなグループ)に対するマイナスな感情について書くのはあまり良くないのではないかと思って、この記事を書くか迷った。
でも言論の自由の範疇だと思って書くことにする。

私は「推し」の言動や楽曲などあらゆることについて、基本的に全肯定である。

それは「全て肯定しなければファンではない」という考えによるものではない。ファンでも好きではない楽曲はあって当然だろうし、気に入らない言動があっても仕方ないと思う。

私の場合は「全て肯定しなければならない」と思っているわけではなくて、ただ好きな人のことだから全て肯定したいし、してしまうのだ。
もちろん楽曲をリリース同時に聴いて「うーん」と思うことはあるが、何度も聴いているうちに「良い曲だ」と思うようになるし、全て彼女が作った曲だと思えば素晴らしい曲に聴こえてくる。

たとえ世間様から批判されるようなことを彼女がやっても私は彼女が悪いとは思わないし、むしろ批判する人たちを恨めしく思う。

しかし少し前から抱いているたった一つの違和感
彼女が悪いと思っているわけではないし、批判したいわけでもない。
ただ、なぜ自分が違和感を抱くのか、真面目に考えたいと思った。


K-POP女性アイドルによる性表現|抑圧の歴史

K-POPの女性アイドルはときに露骨な性表現をする。主にダンスで。

私が最初に思い浮かべるK-POPのセクシー・クイーンはヒョナである。
ヒョナがソロ歌手としてブレイクするきっかけになった『Bubble Pop!』(2011年)は今でも代表曲の一つとして真っ先に挙げられる楽曲だ。

この時、KBS(国営放送)の放送倫理委員会は『Bubble Pop!』の振付を「過度に扇情的」だとして、ヒョナ側に振付の変更を要請した。
それに対してヒョナが「振付を変えるくらいなら、出演しない方がマシ」といってテレビ出演を取りやめたという逸話がある。

ヒョナは2014年の『RED』ではさらに過激な振付を披露した。


他にセクシー・コンセプトでブレイクした歌手にガインがいる。
ガインの代表曲である『Paradise Lost』(2015年)は私が非常に好きな楽曲で、本当に何度も聴いたが、これも振り付けがかなり過激である。

これも放送倫理委員会に振付が扇情的だとイチャモンをつけられ、ガインは地上波の音楽番組でオリジナルの振付を披露することができなかった。
結局、ガインは番組側と相談の上で振付をおとなしいものに変更し、披露した。

オリジナルの振付は、地上波ではないケーブルテレビのTHE SHOWで披露した映像で見ることができる。

終始、露骨な性表現を伴うダンス。
見せ場は上記動画で02:29~にあたる、歌詞のない部分である。
この部分でガインは床を這う過激なダンスブレイクを披露する。

これは楽曲のコンセプトである、「アダムに禁断の果実を食べさせようと誘惑する蛇」を表していて、性行為を表しているわけではないのだが、それを分かっていてもちょっとさすがに気まずくなる振付。

この振付は地上波では披露されなかったが、それにあたってはガイン側とテレビ局側の対立があったことが明かされている。

ガインによれば、ガイン側は
楽曲のテーマを表現するために必須
として理解を求めたものの、テレビ局側は
いかなる事情があっても床を這いつくばる振付は認められない
と一蹴したという。

このようなテレビ局側の態度に対し、ガインは不快感を示し、
「テレビ局は変わらなければならない」
「寛大になるべきは私ではなく、テレビ局の方」
と公式に発言するほどだった。

ヒョナとガインの事例に対し、私が抱く感想は、
「テレビ局、ウザいな」
に尽きる。

女性がセクシーダンスを地上波で披露することの何がいけないのか?

偉いおじさんたちが、明確な理由もなく、
ただ「けしからん」という感情で却下しているように思えてならない。

だからヒョナやガインのセクシー・コンセプトに対し、私は違和感を抱くこともなかったし、むしろ「もっとやれ」と思っていた。
それは「性表現の規制」=権力による抑圧という前提の上で、彼女たちの性表現が「抑圧に対する反抗」の意味を持っていたからだ。

しかし後から少しずつ考えが変わってくる。

2010年代中盤のセクシー・ブーム|強要の歴史

2015年前後のK-POPはセクシー系が大ブームだった。

SISTAR『Touch my body』(2014年)


AOA『Miniskirt』(2014年)


Girls Day『Something』(2014年)


miss A『Hush』(2014年)


セクシー・ブームのさなかに、特に過激なグループとして登場したのがSTELLAR(ステラ)だ。

中小事務所からデビューしたSTELLARは当初は清純派コンセプトだったが、ガールズグループが溢れるK-POP界で注目を浴びることに苦戦し、デビュー4年目『MARIONETTE』でセクシー路線に舵を切った。

それで大ブレイクしたので、STELLARのセクシー路線は過激化せざるをえず、2015年の『Vibrato』は議論を巻き起こしつつヒットした。
MVでは露出が多く体のラインがはっきり見える過激な衣装で、露骨に扇情的な振付と演出がなされた。(現在はMVは削除されている。)
当時から「やりすぎ」という批判はあり、メンバーたちは戸惑いを示しつつも「仕方ない選択」と自分たちのコンセプトを受け入れる考えを示していた。

2020年にメンバーの一人が当時の心境について告白。

「MV撮影当日に、衣装が急に変わった。強く反対したが、結局はそれで撮影することになった」
「活動当時、露出が多い衣装を着すぎてトラウマになり、今も真夏に長袖に長いズボンを着ている」

ほかにも、同時期に活動したセクシー系のグループのアイドルが複数、
「露出の多い衣装を着るのが嫌だった」
「撮影の前にたくさん泣いた」
「今も苦しんでいる」
と明かしているし、中には事務所の社員から暴力を振るわれて従わざるを得ない環境に置かれていたと明かした人もいる。

こういう事例に対しては、心が痛むでは済まされない。
一言で言えば「あってはならないこと」だ。

そういうセクシーな衣装やダンスを、彼女たちが好きでやっているなら構わないが、見ている側としては、好きでやっているのか、強要されているのか、見分けがつかないから困る。

「推し」の性表現について

(G)I-DLE(もう名前出しちゃうけど)は、デビュー当初からセクシーなコンセプトをやることはあった。
しかし、露骨に扇情的な振付をやるようになったのは『Queencard』以降であるように思う。

『Queencard』(2023年)は、パフォーマンスビデオでのソヨンが胸を抑え、ウギがお尻を抑える振付が「下品だ」と炎上し、その後の披露ではおとなしいものに変更された。

その次のタイトル曲『Super Lady』(2024年)のMVにはかなり刺激的なシーンがあり、ソヨンの振付にも一部、過激な部分がある。
(なんとなく、キャプチャーを貼ることはしない、できない)
そのコンセプト・フォトも大胆な衣装で、同様に露出が多かった女性グループとの同時期カムバックだったことから「真冬の露出合戦」と煽られたりもした。

そういえば『Super Lady』の先行曲『Wife』は歌詞が扇情的として放送倫理委員会から放送禁止を喰らった。

『Super Lady』の次のタイトル曲『Klaxon』(2024年)は露出度がかなり高い上に、振付も(というかソヨンの振付が)過激な部分がある。

これも『Queencard』と同じく「夏だから」という理由で片付けられるのかもしれないが。

とにかく『Queencard』から最新の『Klaxon』に至るまで、かなり露骨な性表現が続いている。

(G)I-DLEは『Queencard』の前に『Nxde』(2022年)を出した。
その歌詞で、女性を性的に見る視線そのものを批判した。

「どうして裸をそんな目で見るの?」
「それってすごく失礼だよ」
「私たちは裸で生まれてきた」
「変態なのは君だよ」

その歌詞には非常に共感したし、『Nxde』のときに批判が殺到した、非常に露出が多い衣装に対しても、私は悪いとは思わなかった。
だって裸への肯定がテーマなんだから。

もしかしたらソヨンは『Queencard』以降の扇情的な振付をやる前に、あえて『Nxde』を出したのかもしれない。

(G)I-DLEはソヨン自身が作詞作曲してプロデュースもしている(つまり会社から強要されているわけではない)という事実と、この『Nxde』の歌詞によって、性表現に対する批判や心配を完全に封じ込めたと思う。

そういう目で見る方が悪いんだよ」って本人たちが言っているんだもの。

だから心配する必要はない、心配してはいけないと思って『Queencard』以降のコンセプトを見てきた。
け・ど・も。
やっぱり違和感は拭えない。

自分の中に生じていた違和感に気づいたのは、『Klaxon』のリリース後、Xでのとあるポストを見たときである。
具体的な文面は忘れたが、趣旨をまとめると、
『Klaxon』のパフォーマンス動画(さっき貼った動画)でのソヨンの扇情的な振付が、その後の披露では穏やかな振付に変更されていた。その変更に対する落胆を示すポストであった。
「本当にがっかり」とかなり強い言葉で失望が綴られていた。

ソヨンが振付を何者かの要請によって変更したのか、自発的に変更したのかは知らないが、とにかくその人は、ソヨンが過激な振付をやめたことに失望したようだ。
それを知って自分が抱いていた複雑な感情に気づいた。
アイドルが性表現をやるのも、ファンがそれを楽しむのも自由だが、それがいずれ「性表現への期待」に繋がり、「性表現をやらないことへの落胆」に至るなら、結構危険なことじゃないだろうか。

その危険性への認識から、「それ(性表現)は本当に必要なの?」という疑問に繋がる。

『Nxde』で露出の多い衣装を着るのは分かる。
「ヌード=裸」というテーマだったから。

『Queencard』もまだ分かる。
先行曲『Allergy』で描かれた「自己の容姿への否定」へのアンサーとして、究極の「自己肯定」をテーマにした『Queencard』では、「自分の体への肯定」も表現する必要があったのだから。

でもそのあとの楽曲では、セクシーな振付が楽曲のテーマに沿ったものだったのか、よく分からない。(もちろん、私が決めることではないけど。)
もしかしたらそれは彼女たちの自己表現というよりは、大衆からの注目と支持を集めるための戦略ではないかと思えてくるのだ。
事実、彼女たちにそういう過激な振付を期待する人がいるのだから。

私は『Wife』が放送倫理委員会に拒否されたのは不当だと思う。
だって、確かに性行為を匂わす歌詞はあったけど、『Wife』は「女性の性の解放」を歌う内容だったからだ。
それがダメだというのは抑圧にほかならない。

『Queencard』『Super Lady』『Klaxon』の扇情的な振付に関しても、下品とは思わない。悪いことだとも思わない。
ただなんだか自分の心に寂しさを感じる。

というのもなんかソヨンばかりやっている気がするから。
露出もソヨンばかりが多い気がする。
(ソヨンの衣装には、ときどき本当にハラハラさせられるものがある。)

たとえばミンニやウギばかりがやっているなら(二人は少なくともミヨン・シュファよりは多い)、「そういう表現が好きなのね」と納得すると思うのだが、ソヨンだとどうしても納得できない。
リーダーだから、プロデューサーだから、率先してやらなければならないと思っているのではないかという感じがする。なんだか悪い意味での切実さを感じるのだ。

ソヨン以外の四人もセクシーなコンセプトはやる。
以前は露出が極端に少なかったシュファも、徐々に露出の多い服を着るようになり、最近はセクシーなコンセプトを積極的にこなすようになった。
それを彼女たちが完全に自発的に望むようになったなら全然構わないけど。
もし(G)I-DLEというチームの中に「年齢を重ねたら露出をすべき」という空気が流れているんだとしたら。権力を握るポジションであるソヨンが、自分の立場から生じる責任を感じて、率先して露出しているんだとしたら。

それは本当に女性の性の解放と言えるんだろうか?

私はソヨンのインスタグラムをフォローしているけど、ときどき投稿される非常に露出の多い服での投稿には、いいねを押すことができない。
悪く思うわけじゃないけど、私はそういう表現が好きで彼女が好きなわけじゃないから。
たまにしっかり着込んでいると本当に安心する。私はそういう彼女が好きだから。

結局は「私の好きな人には私の好きな姿でいてほしい」というエゴの押し付けにほかならないとは分かっている。
本質的には、過剰な振付をやめたことに失望した人と変わらないのかもしれない。

もちろん露出するからって嫌いになったりしない。
でもやっぱり、もし次のカムバックでソヨンが露出の少ない服を着ていたら、私は本当にホッとすると思う。

最後に

去年の夏には、tripleS(トエス)のソヨンが「露出の多い衣装は着たくない」と発言して物議になったことがあった。
驚くことに「アイドルなら文句を言わずに着ろ」と主張する勢力があったのだ。

もし露出の多い衣装や扇情的な振付を、「嫌でもやるのがプロ」と考える人がいるなら、それは重大な人権侵害であることを指摘したい。
芸能人でもやりたくない仕事を拒否する権利はあり、それが性的なものであるなら尚更だ。

最近はKISS OF LIFEが見ていて少しハラハラする。
KISS OF LIFEの所属事務所S2の創業者ホン・スンソン氏はCUBEの創業者でもあり、かつてヒョナをプロデュースした人だから、そういうプロデュースが得意なんだろう。
KISS OF LIFEのナッティは、かつてのヒョナに通じる健康的なセクシーさを持っているし、彼女を活かすプロデュースがなされていると思う。
ヒョナはCUBEを追い出されてからもセクシーなコンセプトを貫いていた「K-POPのセクシー女王」であるし、ホン・スンソン氏はそういう(セクシーに向いた)人材を見極めるのが得意なのかもしれない。

ヒョナやガインの時は何とも思わなかったのに、KISS OF LIFEで気まずくなるのは、ヒョナやガインは私よりうんと年上だったが、KISS OF LIFEはジュリー以外は私より年下だからだと思う。
年下がそういうことをやっていると本当に気まずい気持ちになる。
KISS OF LIFEは、今は全員が成人している(韓国は19歳成人)から、年齢は批判する理由にならないが。
ナッティはともかく、KISS OF LIFEの四人が四人とも本当に心底同意してやっているのか、外側から確実に分かることは何もない。

私はKISS OF LIFEに対して「下品だ」と批判することもできないし、無批判に受け入れることもできない。

「下品だ」と批判できないのは、もちろん率直に下品だと思わないからでもあるが、女性の性表現をそういう言葉で封じ込めることは、これまで繰り返されてきた差別と抑圧の延長にほかならないからだ。

無批判に受け入れられないのは、やはり2010年代のセクシー・ブームと、その後に判明した諸々を知ることになった身としては、K-POP界には二度と同じ過ちを繰り返さないでほしいと願うからである。

いずれにしてもこの問題は、女性の性表現に対する社会の抑圧強要が同時に存在していることで、より複雑化しているように思う。

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