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◆日々のうたかた 〜愛犬介護所感〜

愛犬、こゆき、18歳。
去年、凄腕獣医さんの手による乳腺がんの手術を受け、見事に回復した。

あれからちょうど1年。
少しずつ、彼女との生活が【介護】になってきている。
実際のところ、やはり大変だけれど、愛しくてたまらないこの日々のことを、忘れぬように少しだけ記しておこうと思い、筆を執った。

こゆきの乳腺がんは、ちょうど後肢の間くらいにある乳腺の右側にできたもので、異変に気づいたのは今から3年ほど前のこと。
何しろ、当時で既に15歳。
獣医さんと相談しながら様子を見ていたが、一ヶ月ほど経っても2cm弱くらいから大きくなる気配がなかったので、下手に手術をしないでおこうという判断になった。
それから2年は、本当に一切がんは大きくなることなく、彼女もいたって元気だったのだ。
何しろよく食べた。
異変が起きたのは、去年の3月くらいから。
それまで全く大きくなることのなかった癌が、少しずつ大きくなってきたのである。

それでも、手術することには、わたしだけでなく獣医さんも躊躇した。
何しろ当年17歳。麻酔には大きなリスクを伴う。
しかし、そこから一ヶ月も過ぎる頃には更に癌は大きくなり、とうとう歩行に支障をきたすようになってしまった。
わたしたちは、決断せざるを得なくなった。

手術したのは、2023年の5月17日。
獣医の先生の豊富な経験と確かな技術、そして何よりこゆきの生命力、全ての奇跡が噛み合って、手術は大成功した。
待っている間は気が気じゃなかったけれど、10時に手術を開始して夕方の16時には帰宅、18時にはご飯ちょうだいと一声吠え、翌朝の5時には「ごはん!ごはん!」と走り回っていたのだから、17歳の老犬恐るべし、と夫と2人で大笑いしたものだ。

あれから、本当にちょうど1年なんだよね。

去年の10月に一度大きな下痢をして、二日ほどご飯が食べられない日があった。
でも、病院に行ったら間もなく回復したんだ。
そのあと、12月には一度歩けなくなった。
でも、その時もすぐに回復して、またすぐにわたしの後ろをついて歩いてた。

その次は、3月3日のひな祭り。
いつもなら朝の5時には「ごはん!」と騒ぐはずなのに、いつまで経っても起きない。
眠いのかな?と隣を覗き込んだら、目を開けたままの状態で荒い呼吸を繰り返し、呼びかけにも全く目を動かさなくなってしまった。
号泣しながらぱぱを起こしにいって、今度こそもうダメだと思った。

今年に入ってから、そんな調子で痙攣も2回。
そのたびに、いつもの獣医さんに助けられていたけれど、こゆきは徐々に徐々に衰弱していって、とうとうすっかり歩けなくなってしまった。
前足でまだ置きあがることはできるけど、日に日に覚醒している時間が短くなって、大好きだったおやつもあんまり食べなくなってしまった。

痙攣は、だいたい朝に起きる。
心臓が弱くなっているから、血液を送り出す力も必然的に弱くなっていて、そのために朝はなかなか身体が動かないのだと獣医さんが教えてくれた。
そのぶん、夜は比較的元気で、よくわんわんと鳴いてくれて嬉しい。

睡眠時間は断続的になって、だいたい寝入ってすぐの夜中の1時、そして3時、次はだいたい5時に何かしらの理由でクーン、と鳴く。
それは『おみずのみたい』であったり『ちっこでたよ』であったり『ままにくっつきたいよ』であったりするのだが、肉体労働の身には結構過酷だ。
それでも、わたしを起こしてきたこゆきの、むわっとした犬の香ばしい匂いを思い切り吸い込むたび、これぐらい全然平気、と思い直す。
目の前の小さな命は、最後までしっかり命をまっとうするためにわたしを頼ってくれているのだから。

自力でトイレに行けなくなったので、おむつが必須になった。
36枚で1982円。一日5~6枚は使うので、一週間でなくなる計算だ。
何しろ立てなくなってしまったので、排泄行為も至難の業。
今のところは足の下に人間の脚を入れてあげるとふんばりが効いて、自分でしっかり出せるみたいだ。
前はペットシーツにしたものを片付けるだけでよかったが、今は排泄のたびに駆けつけて介助しなければならなくなった。

ご飯も、今までの缶を好んで食べなくなったぶん、手作りの胸肉ご飯やソフトふりかけなどで補う。
これもエサ入れに入れておけば自力で食べられた時とは違って、根気よく少しずつ食べさせて、どうしても食べづらいときは手やお箸で介助している。
自分や夫のご飯は二の次だ。
こういう時に嫌な顔ひとつせずに連れ子(?)である犬に寄り添ってくれる夫には、本当に感謝しかない。

こゆきは、わたしのところに来るまでのたった6年の間に、飼い主が2人変わった。
1人目はネグレクトで虐待ぎみの飼い主だったそうで、蹴とばされたのを目撃した前の飼い主が怒って引き取ってきたのだそうだ。
しかし、その飼い主も生活保護の人で、引き取って可愛がっていたまではよかったが、結局お金の問題で面倒を見続けることができず「アサさんが引き取ってくれないなら保健所に連れていく」と脅迫めいたことを口にしながら連れてきた。
以来、ずっと大切なわたしの家族だ。

しかし、そんな育ちのせいか、こゆきはどこかクールで影を帯びた犬だ。
お散歩もあまり好まない。
15分も歩けば「だっこ!」が始まる。
それでいて、だっこもあまり好まない。すぐに降りたがる。
犬らしい遊びもあまり好きじゃない。
最初の1分くらいは一瞬おしりを高く上げてしっぽを振るのだが、秒殺で我に返ってそっぽを向いてしまうのである。

ところが、介護生活に入って彼女に変化が訪れた。
おそらくは、自由にならない身体や、遠くなってしまった耳、よく見えない目のせいだろう。
クンクン鳴くのでお水やご飯を差し出しても、要らないという。
かといって、おむつを替えたばかり。
何かと思って抱っこしてみると、あれだけ抱っこが嫌いな犬だったのに、全身をぺったりとわたしにくっつけて、スヤスヤと寝るようになったのだ。

これまで一緒に過ごしてきた道のり。
介護生活の少しの大変さ。
色んなものが相まって、いつもこゆきの匂いをふくふくと嗅ぎながら泣きそうになってしまう。

この短い生の終盤にきて、やっとままを頼りにしてくれたね。

介護生活に入ってから、ほとんど予定は立てられない。
ただ、一度寝てしまうとほぼ18時まではうんともすんとも動かないくらい眠り込んでしまうので、そういう時に夫と交代で家を空ける。
夫は時々「うちはお犬様ファーストだからなあ」などと零すが、それでも彼がわたしの仕事の日に付きっ切りでこゆきを見守ってくれているから、わたしも安心して仕事に行けているのだ。

お犬様ファースト。
あとどれくらい、それをしてあげられるかは解らない。
実際問題、我が家は今のところ夫が自宅警備員をしてくれているので、こゆきにも24時間体制で介護ができるけれど、一般の共働きのお宅などはもっと大変だろうと思う。

金銭的にも決して甘くはない。
普通に飼っていてもお金がかかるのに、介護用フードにおむつにシートにおしりふき、粗相も増えるので必然的にクリーニング代はかさむし、当然ながら獣医さんにかかることも増えたので医療費もかさむ。
少し前にXで「貧乏人にはペットを飼う権利もないんですか!?」という議論が盛り上がったことがあったが、わたしは今の状況を鑑みるだに「お金に余裕がないならペットなんか飼わんでほしい」と思ってしまう。
してあげたいことがお金のためにしてあげられない、というのは犬にとっては言わずもがな、してあげられない本人だって辛いに違いないのだ。
そんな想いをした末に「じゃあペット捨てよう」というあらぬ決断を経て我が家へ来た家族を持つ身として、この議論はまったくもって他人事ではない。

ともあれ、介護は全然楽ではないが、それでも、最後までこの愛すべき小さな命を全力でサポートし、寄り添えることは誇りであり生き甲斐であり、幸せの形のひとつには間違いないと思う。

わたしの肩に顎を乗せ、小さな手をきゅっと胸に置いて眠る顔に頬をくっつけてくんくんと匂いを嗅ぐだけで、一日の仕事の疲れなど吹っ飛んでしまうのだ。
わたしは子どもがいないので、他には、くっつくだけでこんなにも胸をしめつける愛しさを感じさせてくれる存在は居ない。

保健所でアルバイトをしていた頃、あまりにも可哀想な扱いをされる老犬をごく稀に見ることがあった。
詳細は辛すぎるので書かないが、あぁいう道を選ぶ飼い主にはならなかったことだけ、誇るべきものの少ない自分の人生においては誇りだと思う。

今日、こゆきは久しぶりに吐いた。
三日前に変えた薬が少し胃の負担になっているのかも知れない。
明日獣医さんに相談しなくては。

幸いにも、だからといって食欲にはそれほど変化がないようで、夫と2人で安心した。
結婚した当初は「おれ猫派だし」などと宣っていた夫も、今ではわたしがいない間はこゆきの横にぴったりとくっついて、わたしが隣にいくと邪魔者扱いにする始末。

こゆきが居なくなったあとの世界のこと。
今はなるべく考えない。
目の前にあるこの命の温かさと匂いだけ、抱きしめていたいと思う。

介護の時間を悔悟にしないために。

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