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島へ渡る 瀬戸内国際芸術祭2019その4

2019.08.04
4日目 大島

 当初は最終日にのんびりまわるつもりでいた高松港周辺を三日目の午後に済ませてしまったので、ガイドブックに所要時間三時間とあった大島に行くことにした。
 大島には国立ハンセン病療養所「大島青松園」があり、ハンセン病の歴史を知ることが大きなテーマになっている島だ。この旅を計画しはじめた時点ではまったく視野に入っていなかったのだが、瀬戸内に来るひと月ほど前の七月のはじめ、「元ハンセン病患者の家族への賠償を国に命じた熊本地裁判決について、政府が控訴しない方針」というニュースを見かけたことを思い出し、そういえばハンセン病のことをまったく知らないな、いい機会だから行ってみるか、ぐらいの気持ちで、向かった。

 大島行きの船は官有船で、無料で乗れる。観光目的のほかの高速船とは作りが違うと感じた。官有船に芸術祭の観客を乗船させることが問題視され、乗船できなくなったこともあったようだ。現在は定期旅客航路として認可され、一般の乗船が再開されている。

 まずは、こえび隊(芸術祭のボランティアサポーター)のガイドツアーに参加して、三十分ぐらい島内を案内してもらいながら説明を受けた。
 現在も青松園で暮らしている人たちは、高齢などの要因で生活に手助けが必要なものの、ハンセン病の治療は完了しているので「患者」ではなく「入所者」と呼ぶのだ、とまっさきに教わった。
 症状がすすむと視覚障害が出ることがあるそうで、島内の至るところで「ふるさと」や「乙女の祈り」のチャイムが流れているのは目が不自由な入所者のための盲導鈴とのこと。メロディーによって自分の位置を把握できるようになっているのだそうだ。

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 道の真ん中には白線(盲導線)が引かれている。

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 納骨堂や神社、教会を集めた「宗教地区」と呼ばれるエリアにも連れて行ってもらった。かつてこの島に連れて来られた人たちは、積極的に宗教の入信をすすめられたという。八十八ヶ所巡礼ができるよう、八十八体の石仏が置かれた場所もあった。

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 作品にも圧倒された。

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 とくに印象に残ったのは山川冬樹「歩みきたりて」。作品そのものもとてもよかったが、作品の一部として掲示されていた、ハンセン病を発病して大島で暮らしたという歌人・政石蒙の短歌がとてもよかった。

見送りのわれの見る水尾帰りゆく君達の見る水尾のつづけり(政石蒙)

 高松港から大島行きの船が出るとき、芸術祭のスタッフさんたちが手を振ってくれて、船出を見送る・見送られるというのはなぜあんなにも情緒があるのだろうか……と思い返していたときに、この歌と出会ったのだった。

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 隔離や強制労働、中絶など非人間的な扱いを受けたことを生々しく伝える作品もあった。

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 軽症者が重症者を介護させられたとか、ミニ八十八ヶ所を作ったりして環境の改善はされても島から自由に出ていくことは叶わなかったとか、結婚できても子を持つことは許されなかったとか、ところどころ『わたしを離さないで』のヘールシャムを連想した。

 この日の私はあいちトリエンナーレの展示中止の件を引きずっていて、おそらく直島や豊島のような環境を楽しめるテンションではなかった。それが大島の歴史を題材にした作品と向き合ったことで、回復した部分があった。
 私のこういうところは不健康なのかもしれない。
 二日目の記事に書いた「違和感、とも言いきれないこの『感じ』」というもやもやした感覚の正体は、「居心地がよすぎる」ことに起因するのではないか、とあとから思った。自然はうつくしく、食べ物はおいしく、人はやさしく、すべてが快い。あまりにも居心地がよい。そのことに逆に不安をおぼえ、不穏なアートを観ないと安心できないなんて、どうかしている、それは私の歪みなのでは、とも思う。

 大島の海も浜辺も松林も楽園のようにうつくしい。
 何の罪もない病気の患者を差別と偏見だけで隔離する土地に、楽園のようにうつくしい島を選んだ理由を思うとき、私はやはり、ただうつくしく快いだけのものを全面的に信じる気持ちになれない。

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 カフェ・シヨルのお菓子が売り切れていて、食べそこねたのが残念。梅のスカッシュもおいしかったけれど。
 休憩しながら観た「月着陸」も忘れがたい。ここで鴻池朋子という作家を知った。

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 ここに来てほんとうによかった、大島を見ずに帰らないでよかった、と心から思った。ものすごく勉強になった。

 高松港に戻ってからは、空港行きのリムジンバスに長蛇の列が出来ていて、乗れるかどうかハラハラした。空港に着いてからも思ったより時間がなく、結局お昼を食べそこねたまま飛行機に搭乗し、あっという間に羽田に着いた。

 旅行中に大学ノートに書いていた日記や写真を引っ張りだして振り返っていると、とにかく瀬戸内の景色のうつくしさに圧倒されてしまう。最高の夏だった、という感傷ばかりこみあげてくるが、持ち帰ってきたものはそれだけではないはずなのだ。一年かかっても言語化できていないのが情けないが、ゆっくり考えたい。
 そしてまた島で過ごせる夏が来ることを、心から願っている。

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