わたしのはなし②~エンパスを生きる~
何記事かに分けて、私について書いていきたいと思います。
幼少期
私は、経営者の父と専業主婦の母のもとに生まれ、5つ上の兄がいます。生まれてすぐ風邪か肺炎にかかり、小児喘息を発症しました。身体が弱く、小児医院に行くたびに次の病気をもらってくるという具合で、子供がかかる病気はすべてかかり、幼稚園は半分くらいしか行けませんでした。母は、私を病院に連れていくために車の免許をとったり、私に付きっきりでした。
喘息に良いとお医者さんからの勧めで、幼少期から水泳を習い、母はバレエを習わせたかったようですが、「いやだ」と断り続けていたのを覚えています。なぜかとにかく「嫌」だったんです。もし幼少期にバレエをやっていたら、私のダンス人生は違ったものになっていたでしょう。
病弱であった上に、エネルギーにもとても敏感な子供でした。親や周りの大人が期待してることや、どうしたら機嫌がよくなるかを察知して動くといったことを自然とやるようになっていました。
遠足や林間学校、学校の行事のときは、いつも必ず具合が悪くなって、行っても休憩室で一人寝ているということばかり。
元気な時は、外で遊ぶことが好きで、お転婆で女子や弱い者いじめする男子を追いかけまわしたり、おしゃれが好き、目立ちたがりで、学級委員などを率先してやる子供でした。
中学~大学時代
中高一貫の女子校に入り、天真爛漫な同級生を横目に、どこかでうっすら心にモヤがかかり影がある、すっきりと前向きな感覚になれない自分がいました。
「自分とは何か」「なぜ生きているのか」「宇宙の先に何があるの?」と考えるようになりました。
そんな自分の心の状態はありつつも、新体操部に入部して中学生らしい生活を送りながら、次第に身体も丈夫になっていきました。そして、中学1年ときに高校3年の憧れの先輩が、卒業後、NYに行きダンサーになったと聞いて、漠然とジャズダンスとダンサーに憧れを抱きます。
高3受験生になり、大学に行って何がしたいのかわからず勉強に身が入らない日々。以前から興味のあったジャズダンススタジオに、親に内緒で3か月通いました。そこでは、幼少期から踊りの教育を受けてきた「エリートダンサー」のお姉さんたちがいて、部活でちゃらちゃら踊っていただけの私の身体とは雲泥の差でした。この人たちと同じ土俵に立ち、勝負するのは無理だ、勝てないと悟り、ダンサーになることはあっさりあきらめます。
一浪して、大学に入学。
何がやりたいか分からないまま過ごしていた大学1年の終わりごろ、友人に「すごくいい先生がいるから!」と誘われダンスの体験レッスンに行くことになります。「私はもうやめたから」と言っても、しつこく誘われ仕方なく行ったのですが、そこで運命的、宿命的というのか、私のダンスの先生となる人に出会います。
この出会いから、私のダンス人生が始まりました。20歳の春でした。
心の影
心のモヤモヤ、すっきりしない影は10代の頃からずっとあって、いつしかそのちょっとした憂うつさも自分の中で通常運転になっていました。
私が中学~高校の思春期の頃、父親の仕事はバブルで全盛期でした。
男性が仕事が忙しくなればなるほど、ストレスを家庭に持ち込み解消することは、よくある構図ですが、私の父も、ストレスがたまりイライラして、その怒りを家族にぶつけていました。家族4人での食事、お正月などは苦痛でしかなく早く過ぎ去れと思っていました。
両親は愛情深く育ててくれましたが、私は自分の心を開き理解してもらっていると感じたことはなく、孤独を感じていました。いつの頃からか、家族に自分の話(自分がどう感じているか等)もしなくなりました。
後から振り返ると、この心の影は、うつ病ほどの症状ではないので、病気とも判断できないくらいの、軽度の憂うつさでした。
家族をみてみると、母方のおばさん、母、いとこにも同じような症状があり、暗い表情、うつうつとした感じ、繊細で世の中に上手く適応できないといった特徴があり、遺伝的なものであると気づきました。兄や他のいとこにはこのような特徴はみられないのですが、兄弟の中で一人はいるといった感じです。
私の人生の大半は、このうっすらとある憂鬱さを払拭したい、楽になりたいという一心で、自己探求をしていたように思います。
それが何なのか、原因がわからなかったからです。
幼少期にトラウマがあるのか、過去生の影響なのか、どうしたら癒されるのか試行錯誤していました。
大学生の頃、学生のために設置されていたカウンセリングを受けた時、そのカウンセラーが酷くさらに傷ついてしまい、それ以来カウンセリングを信用できなくなりました。そのためスピリチュアルな方法を模索するようになりました。
20代になってからは、退行催眠療法(ヒプノセラピー)、エネルギーヒーリング、植物療法等々、何でも可能な限りセッションを受けにいくようになりました。
私が高校生の頃、1980年代くらいから注目を集めたニューエイジブームの影響を受け、多種多様な精神世界の本がありました。
シャーリー・マクレーン著「アウト・オン・ア・リム」との出会いが、私にとってのニューエイジへの扉となりました。
彼女の本を読んだとき、誰にも相談できないでいた、自分が感じていることの本質が何かがわかり、自分と同じように見えない世界を探求している人たちが世界中にいるのだと知り、とても心が救われました。
10代の時から、本だけが自分を理解してくれる友のような存在でした。
ネガティブな方へ思考がいってしまう自分の癖にも気づいていましたが、自分の心をどうしたら楽にできるのか分りませんでした。
そんな中で、ダンスに夢中になり、「自分を表現したい」という欲求を満たすようにのめり込んでいきました。
つづく
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