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完璧の呪縛から開放された話

現在、留学先のフォルケホイスコーレの授業の一環として裁縫をおこなっている。実践的なデザインの練習だ。


裁縫を教えてくれるのは、陶芸の授業でもなにかとお世話になったリッケ。

陶芸も裁縫も、決して得意分野ではなく、何度も失敗を繰り返し自分に心底呆れたり落ち込んだりしたが、彼女はいつも励ましてくれた。だからどれだけ苦手でも最後まで諦めずに取り組めた。


リッケは母なる大地のような圧倒的な安心感と信頼感、そして暖かく寛大な心で私達を受け入れ認めてくれる、人としても指導者としても素晴らしい人だ。魔女の宅急便のオソノさんのような人を想像してもらうといいと思う。

オソノさん


そんな彼女の指導のもと、私は裁縫を始めた。

最初はみんなバッグを作るということになり、制作に取り掛かった。
おそらく小学生ぶりにミシンを使ったのだが、私は見た目の理想と自分の実力のギャップがあるあまり、思うように進められない自分に嫌気が差していた。他のメンバーがちゃくちゃくと出来上がる中、休憩時間にも1人残って教室で黙々と作業をしていたとき、彼女はやってきて私にこう伝えてくれた。

「完璧につくるなんていうのは私にも出来ないわ。それは主観でしかないし、完了したという客観的事実の上に、付加価値的に完璧にこなしたという主観的要素が加わるだけだから完璧であることにそんなこだわる必要はないのよ。
それに今回は挑戦したということに意味があるんだし、あなたの作品は凄く良くできてるわよ!」

おそらくこんな感じのことを言ってくれていたように思う。(英語なので詳細は違うかもしれないが)

このとき、私はたった一度の挑戦ですべてを完璧にしようとしていることに気付かされた。

挑戦する過程や好奇心で動いたときに、完璧であることを求める必要はない。

私は何を作りたいのか、それを考えて形にするというプロセスを経験することに意味があるということを彼女から教わったのだった。

ありがとう、リッケ。

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