大好きなクレヨン。お助けマンな写真。らしさにじむ語り。
●写真の色
クレヨンアートをずっとやっていると
ある瞬間、無性に空の写真を撮りたくなる。
もしくは外の写真を撮りたくなる。
クレヨンの色では出せない写真の「透明感」を
すごく心が欲する時がある。
だけど、それなら普段から
写真を楽しんでいればよいのでは?
という気もするのだけど
クレヨンの感じも私には大切で
だからなんとなくどちらのことも
書いてみたくなった。
●クレヨンの色
写真の色では出せないクレヨンの濃厚感と
塗り重ねていけること、描き心地、
厚ぼったさ、色のまざり具合、、
どれも好きということはあるのだけど
何度でも、何層にも、
重ねていけるし、削ることもできる。
自分の心地よい、をつくり出していける。
変わっていっていいんだよ。。
ずっとそんな体験を
味わってきたような気がしている。
なんとなく
クレヨンの色は「存在感」って感じかな。
クレヨンアートをするたびに
なにかを、確かめて、確かめてきたような。
残る色、消える色、再び現れる色
1枚のなかでどんどん変化していくなかには
自分自身を幾度となく感じてきた。
上描きできてしまうことを
自分自身となぞらえて
それでいいのだろうかと思うこともあった。
でもそれは
自分のなかで消化できていく自分や
昇華していける自分を体験していたと思う。
ここで止めておくと綺麗なままだけどなぁと
そのままにしておきたい気持ちや
その先を見てみたいほのかな気持ちとも
何度も出会った。
そんなときには
私はどうしたいかなぁと自分にきいてみた。
そのままにしておいたっていい。
その先に進めてもいい。
アートをするなかでは、本当に
どちらでも大丈夫だった。
そのどちらだって大丈夫、という感覚は
現実で人と関わっているときに
あれ?私、今こっちに持っていこうとしてるな
と気づけて
自分をニュートラルにすることができた。
私は、どうしたいか
ハッキリした答えが出ない時もある。
でもアートの中でなら
ちょっとやってみよっか!をできる。
現実の一歩を思えば
だいぶ気楽に踏み出せることもある。
アートで味わわせてあげていると
いつの間にか、現実での一歩に
つながっていることさえある。
●クレヨンと写真の不思議な関係
あらためて
クレヨンと写真の不思議な関係。
内から湧いてくるものの停滞を感じたとき
写真を通して外の世界に助けられたり
ついつい外に意識が行き過ぎて
内がお留守になったときは
クレヨンアートをして自分に戻ってくる。
そんな風にしながら
自然とバランスとっていたんだなぁと
しみじみした気持ちになってくる。
そして、どちらにも心が動かないときは
本当に一度、立ち止まる時だと思えて
まずは、ぼーっとしてみたり、
目の前の現実に淡々と向き合うことで充分、
ということもあった。
クレヨンで塗るというのは私にとって
『マッチ売りの少女』の
マッチのようなイメージ。
マッチ(クレヨン)を使うたびに
イメージと情熱といのちとつながっていく。
たくさん助けられてきました。
●語りの色
そして、今
あるクラスに通いながら
語ること
近況や自分をわかちあえる時間があることが
どれだけ豊かで
大切なものかとひしひし感じている。
一人ひとりのお話をきくのがとても楽しい。
語れることも、とても嬉しい。
今しあわせに感じられていることも
その人にとって大変なことも
悩んでいらっしゃるかもしれないことも
その人からにじみ出る らしさ を感じられて
その らしさ を感じる瞬間に
なんだか嬉しい気持ちになる。
そして
ああ、私がそのことで悩んでいたことも
大切な時間だったんだなと
その人のお話をきくだけで
なんだか自分を認めてあげられた気がした。
語ることで
自然とお互いをケアし合っていることは
特別なことができなくても
充分かもしれないという
なにか希望のようなものを感じた。
語ることは
その人らしさがにじみ出てくる
水彩の色のようだなぁと思った。
そんな時間を
私もつくり出していきたいなぁと
じんわり思った。
●クエスト(インタビュー)
アートセラピーと自己分析を学べます
https://questnet.co.jp/interview2023/
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