見出し画像

私的最難題「恋」について

「恋」、したことありますか?
ー要約ー
恋をしたことがない人の恋についての書き散らし。
個人的な考えを整理するためのもの。


ー恋と愛の私の捉え方ー

 恋愛漫画や歌、文学、様々な形で目にする「恋」という感情。
 私には恋することは素晴らしく、輝いている。皆それぞれが持つ宝石のように感じます。どんなにその過程で傷ついても、苦しんでも、時には心の底にしまって、それでも手放すことはせずに大事に大事に、人生を共に歩んでいく。なんて眩しくて危ういものなんだろうと思います。
 そんなに素晴らしいものを私は今でに経験したことがありません。長い人生のまだまだ道半ばですが、「恋をしたことがないなんて嘘だろ。」または「気づいていないだけだろう。」と皆さん思われるでしょう。それもまた正しいでしょうが、今までの人生で恋をしたという自覚が如何せんないのです。
 しかし、「恋」について理解はできませんが、「愛」については意外にも理解できるのです。恋と愛はそれぞれ一般的に「人を好きになって、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」を恋。「〈相手/ものごと〉をたいせつに思い、つくそうとする気持ち」「恋(コイ)を感じた相手を、たいせつに思う気持ち」を愛と言います。よく恋は自分主体、愛は相手主体のように表現されています。
 たったこれだけの違いですが、「恋」は「愛」よりも難しいと私は感じます。愛の中でも「親愛」「友愛」「敬愛」このあたりは皆、理解しやすく、共感を覚えやすいのですが、「恋」になると途端にハードルが上がってしまうのです。

ー考えられる原因ー

 これまでは、恋や愛の現象そのものについて述べてきました。そして今からは私が「なぜ恋を理解できないのか、自分が恋していると気づかないのか?」について考えていきます。
 実はこれらの事柄は私のある考えに原因があると、大方見当がついています。
 ではそれは何か。それは私が「相手幸せになりたい。」ではなく「相手幸せになってほしい。」という意識で生きているということです。一見、助詞が「と」から「に」に変わっただけですが、これがかなり違いがあるのです。「相手に幸せになってほしい。」をという考えを紐解いてみると、私は私の家族や友人などの大切な人達が幸せになる場面に潜在意識レベルで端から自分が含まれていないということなのです。
 皆さん思い出してください、恋とは自分主体、愛とは相手主体だと上記で私は書きました。と言うことは、私の考え方には恋に必要な自分『I』の部分がないのです。
 そんなに卑屈になるなという声が聞こえてきそうですが、決してネガティブな意識からこのように考えたわけではありません。
 また、前提として私には「物事や自分自身を合理的に判断する傾向が強く、感情を後回しにしてしまう。」という特性があることも大きく関わっています。
 それを踏まえて、もう一つ、恋をするには致命的な考えが、「人に何かしてもらう」ことが恐怖を感じるほど苦手ということです。皆さん幼い頃に、大人や先生から「人に迷惑をかけるな」「(問題を起こすな)何もするな」と言われた経験はありませんか?私は身に覚えがありすぎます。決して私が直接言われたわけではありませんが、誰かが注意されている時、集団で行動する時、耳にタコができるほど聞いてきました。
 それが縛りになったとは思いたくありませんが、同じ言葉を何度も何度も幼少期に刷り込まれてきたので、何も影響を与えられなかったとも言い切れません。
 ここで注目したいことが、この迷惑や問題がどの程度のものなのかです。きっとこの発言をした人達は「言うことを素直に聞いてくれ」くらいの気持ちだったと思います。
 しかし、子供にはそんなことまでわかりません。素直な性格で発言した人物を信頼している場合には子供たちは疑うことすらしないでしょう。自分が正しいことをすれば良い、大人の言うことを聞いていれば大丈夫だと思い、いつの間にか自分の中の「良い子」に囚われて本当の気持ちと理想とで板挟みになってしまうなんてこともあるでしょう。世の中の良い子は自分の気持ちを隠して演じるのが上手い場合がほどんどですしね。
 私の場合、些細な頼み事やお願いすら相手の迷惑になるのではないかと思い込み多少無理をしてでも自分でこなす、までをよくやっていました。
 これらは私が、恋愛という他人との共同作業を行う場面において、致命的な弱点として働くのです。
 この、人に頼み事ができない、人に何かしてもらうことが苦手という部分にはまた大きな理由があるのですが長くなるのでそれはまた今度。

ー小話ー

 ここまで色々書き散らしてきましたが、私は恋を認識できないことに実はあまり危機感は感じていません。ただ、「隣の芝生は青く見える」と言うように、他の人が大事にしている恋を自分は持っていないのは勿体無い、素晴らしいものを私も触れてみたい、それくらいの気持ちです。
 また、ここで散々恋をしたことがないと書いていますが、人を好きなったことはあります。家族や友人に対して日頃から好意を伝えるようにもしていますし、人生の中で告白されたこともあります。ただ、人が幸せになる想像は上手いのに、自分が人と幸せになる想像をするのが下手という認識です。
 「私の初恋遅いな。白馬の王子様よ、早よ迎えにおいで。」みたいなテンションですね。
 そして、中には「幸せになってほしい」「人生を共にする一番じゃなくて良いから、友人枠では一番でありたい」と思う友人もいます。それを恋というのかもしれませんが、その人とこの先どうにかなりたいとは思わないので個人的には愛(友愛)だと思っています。

ーまとめー

 皆さんの初恋や最後に恋したのはいつですか?もしかしたら今恋しているという方もいるでしょうか?
 恋の形や表現は十人十色、だからこそ美しくもあり儚く、苦しみも伴うのでしょう。恋とはなんて綺麗なのでしょうね。
 もし、この先あなたが恋をすることで苦しみや痛みを経験することがあるかもしれません。しかしきっと、後から振り返れば若い時の良い思い出となるでしょう。恋や愛は常に消費が伴います。一方が相手に注ぎ続けることはできません。
 だからこそ、日常の中で目に見えない好意を言葉にして相手に伝えてみなせんか?きっと嫌がる人はいないはずです。
 
 個人の稚拙な考えですが、あなたと出会えたことを心から喜ばしく思います。世の中にはこんな人もいるんだ程度にあなたの役に立てれば幸いです。
 またのご縁がありますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?