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「鬼子母神」

 いらっしゃ〜い。本日はいつもと違って東の神話のお話です。誰もが一度は聞いた事のある「鬼子母神」のお話。我が子は事のほか大切にしますが人の子は容赦無く食べまくる女神の神話です。お話自体はそのままですが、お話の教訓はというと少々違います。

 その教訓が本件の核心ですが、魔女の教訓を理解するためにはいくつかの前提知識が必要です。まずはそちらから始めましょう!


未知を嫌う人の性質

 早速ですがこの絵は何を表していると思います?薄暗い洞窟の中のようですね。柱のようなものもあります。人とも悪魔とも言えぬものが雄叫びを上げ光を吐き出してます。今あなたはご自分の頭をフル回転させ、この絵が何を示すのかを探っています。色々と記憶を当てはめ意味を探します。

……………    …………    ……………

 では答えですが"別になんでもありません"。ただ適当に拾ってきた絵を意味深に語ってみただけです。なぜこんな意地悪をしたのかと申しますと、未知と既知に関する脳のお話がスタートだからです。

 人は未知を嫌います。人は未知に遭遇すると、記憶を遡り取り敢えずの答えで埋め合わせます。

 人は既知を優先します。どれほど滑稽であろうとも既知を当てはめ未知を取り除き安心を得ます。

 あちらが「99%の真実と1%の嘘」を語るのは、人は「未知」ですと探究してしまう可能性があるため「既知」にし思考を固定するためです。

「探求すればいずれ誰でも辿り着く99%の真実」

「真実に辿り着けさせない1%嘘」

 こうすることにより「どれほど滑稽であろうとも既知を当てはめ未知を取り除く」という行為を勝手に延々と繰り返します。余程の人でない限り自分で未知を探求しようとは思わず、とりあえずの答えで未知を埋め合わせます。そこに権威がつけば尚更のこと。

 そして人は既知、いわゆる"自分の記憶"を疑うことはしません。まっさらな状態のところに何かを教え込まれたら、それが基本になります。ですから洗脳は疑いを持たぬ幼少期から行われます。

 そうして形成された"常識"に疑いを持つことはありません。例えば、自分が使用している言葉の意味が、いつの間にか書き換えられていたとしても、書き換えられた方を常識として記憶しておりますので「そんなことはあり得ない」となってしまいます。


言葉の置き換え

 既知のコントロールで最も厄介なのが「言葉の置き換え」です。古くからの言葉はそのままに、意味や使い方を変えてしまう手法。小説1984の付録でも言及されている古くからある危険な手法です。

 1984の付録には「自由」と言う言葉の意味の置き換えについて書かれています。意味を消したと言った方が正確ですかね。我々は「自由」と言う言葉を言葉通り「自由」に使うことが出来ます。しかし1984の世界は違います。大衆には言葉の意味を限定し使用させました。

 例えば、「自由」は「自由=免れる」と言う意味に限定されています。「除草剤を撒いたこの畑は雑草から自由である」や「虫除けを使ったこの犬はシラミから自由だ」などの「免れる」という意味においてだけ「自由」が用いられます。「政治的に自由だ」や「知的に自由だ」、「精神的に自由だ」や「人は自由だ」と言う意味の「自由」は存在しません。なぜなら、そんな概念は存在しないからです。

 「自由に考える」と言う言葉が存在しなければ、その行為もまた存在しません。考えられなければ行動にも移せませんから、管理する側にとってはとても都合が良いのです。

 そして、オーウェルが警告してたくらいですから現実世界でも同じ事が行われています。現実の「置き換えられた言葉」と「鬼子母神」を繋げると、教訓は全くの別物となります。

※オーウェルが属したフェビアン協会は日本ではこれだと言うことを忘れないで下さい。

Fabian society



鬼子母神

 夜叉"毘沙門天"の部下の武将八大夜叉大将"散支夜叉"の妻で、500人の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。そのため多くの人間から恐れられていた。

 それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラを乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。

 そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言った。彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。

 そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えた。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。

wikiより引用

 本件の核心であります「鬼子母神から読み取れる魔女の教訓」を先に申し上げますと「子に対する愛を捨てよ」と言う事です。

 …… …… なんかわたくしが酷いことを言う人みたいに思ってない?

 多分、あなたの「愛」とわたくしの「愛」では意味が違うのですよ。これが前述した言葉の置き換えです。ある一つの言葉が消え、愛と言う言葉で上書きされた故です。


御大切と渇愛

 本来、みなさんが「Love」って感情が湧き人に伝える時の言葉は「御大切」であり、これが消えた言葉です。では現代において「御大切」の代わりになっている「愛」の元々の意味とはなんでしょう?

それは「渇愛」です。

 わかりやすく申し上げると「執着」です。故に前述のわたくしの言葉「子に対する愛を捨てよ」とは「子に対する執着を捨てよ」と言う意なのです。そして、子は自分の子であろうとなかろうと「御大切」にせよ。我々人間が無限の連鎖を繋げられる唯一の手段ですから。

Aleister Crowley's Symbol

 つまり、人が神と同じ力を行使できる唯一の手段が生殖行為であり、その神聖な行為の結果、子供が誕生すると言うこと。故に子は神聖であり御大切にして然るべき。ただし気をつけなければいけないことは、渇愛と御大切を履き違えぬこと。これがポイントです。


母の愛の深さ

 ちゃんと「愛」=「渇愛・執着」って変換して下さいましね。きちんと変換されていると、上記の「母の愛の深さ」って言葉にゾッとするでしょ?

 母親は十月十日のあいだ胎内に子を宿しておりますので父親より子に対する愛が強い傾向にあります。悪いケースでは母親が達成できなかった夢を背負わせたり、自意識が生まれる前に託したり。自分と同じような失敗をさせたくない一心から、本来は子供自身が自分で乗り越えなければならない壁に梯子をかけてあげたりと……

 わたくし自身の同級生や、過去の生徒や友人の子など多くの人生を見てきた経験から申し上げますと、過保護だった子は将来めっちゃ苦労します。逆に、早い段階で親離れをしていた子は、自分の人生を現実的に考え自分の人生を歩みます。大きな壁にぶつかった時も、諦めずに登り切るのも後者の子でした。

 親が良かれと思い差し出すその手は、計らずとも子の足を引っ張る結果になっていることの方が多いです。故に「子に対する愛を捨てよ」と申すのです。子は人格を持つ一人の人間であり、親のクローンではありません。失敗も成功も本人の経験であり、そのどちらも子の人生を彩る大切な要素です。その有無を決める権利は親といえどもありません。

 「親」と言う漢字は「木」の上に「立って」「見る」と書いて『親』です。木の上からのこのこと降りて行くものではありません。


 人の人生も宇宙と同じく螺旋。バイオリズムと言えば分かりやすいでしょうか?人生のリズム。みな多少の差異はあれど浮き沈みがあるのが当たり前。親ができることは、木の上から"立って"見守り、沈んだ時に沈み切らぬようそっと助言を与えることくらい。渇愛ではなく御大切。何事も本人次第なのです。

 また、"立って見守る"ことも大切です。座って休みながら見守る姿を見せるのではなく、親もまた頑張って立っている姿を見せないと。子に勉強しなさいと言うならば、親も同じように机に向かわなければならないのです。子は親の姿を見て育つのですから。


ざくろ

 余談です。この記事を書く前にツイートで鬼子母神についてお尋ねした時、何人かの人が「ざくろ」のお話をされてましたが、ぶっちゃけわたくしざくろの話を知りませんでした。不思議に思い調べてみたらこう言うことでした。

 天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果を持つ。なおこれをザクロで表現するのは中国文化での影響であり、これは仏典が漢訳された時は吉祥果の正体が分からなかったために代用表現したものである。よって仏典中の吉祥果とザクロは同一ではない。また鬼子母神が人間の子を食べるのを止めさせるために、人肉の味がするザクロを食するように釈迦が勧めたからと言われるのは、日本で作られた俗説にすぎない

wiki

 そしてザクロと言われてわたくしが思いつくのは二つ。一つは2本の柱。ジャキンとボアズの装飾には百合とザクロが用いられています。ザクロの学名は「Punica granatum」で、このPunicaは「カルタゴの」が語源です。カルタゴってどこの民族の植民地だか覚えてます?ソロモン神殿を作った人の出身地ってどこだか知ってます?

 もう一つは女性性。ヴェシカと一緒。紋章を見れば明らかね。わざわざ果実に傷をつけ女性器に見立てています。故にキ〇〇ト教では”豊穣を表す聖処女”の表造物であり、時に教会を表します。また「知識の木」を表すともあります。ザクロって色々と意味深なんですよ。


Arms of the Province of Granada (Spain)


 んで何が言いたいかというと、日本の神話に誰がザクロを後からねじ込んだか?ですよ。色々と意味深なザクロを。もうちょい言っちゃいますと、どういう勢力がねじ込んだのかと。どういう勢力が伝統を創出したのかと。あっ、これ言っちゃいけないんだった。伝統が創出できるって。御大切と言う言葉もどこへ行っちゃったのかしら?

ミステリーね〜(棒)


まとめ

 置き換えられた愛の意味を元に戻し鬼子母神から魔女が教訓を拾うなら、「子はみな等しく御大切なのだから、我が子に対する愛を捨てなさい」となります。

 それにね、愛を捨てるのは何も子供に限った話ではなく、全てにおいてなの。形あるものいつかは崩れる。諸行無常の理なり。いずれ崩れるものに執着しても何も残りません。棺桶の中に持って行けるものは己だけ。何に時間を使えば良いのか分かりますね?メメント・モリを忘れないでください。

Memento Mori

 

 本件はこれまでといたします。あなた様の心にわたくしの鬼の心が届きましたなら引き続きお付き合いをお願いいたします。


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本:『As above So below』

アパレル&小物:Cavalier Camp

動画:Channel 113

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