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「感情のトリガー」を引いてくれた方への感謝 その2 ー 同棲解消記録 『色恋を持たない多崎ありゅーと、彼の巡礼の年』

コロナ前ぐらいにつながりのできた同年代の2人(A、Bとする)がいる。それぞれ別の会社で働いているものの、各々色々あってたまたまオフィスが近接していることが判明し、久々にランチに行くことに。
正直こんな私事をつらつら話してしまってよいのか(関係性の意味でも、久々に会うという主旨の意味でも)それなりに悩んだが、結局、この事変について話した。なんかもう話さずにはいられなかったというのが本当のところ。

「話すことで楽になる」というのは間違いないもんで、
話題のそれなりのポーションをさらってしまった申し訳なさはありながらも、とてもいいランチだったなぁと思っていた中で


翌日にAから、謝罪のLINEを受け取った。


拍子抜けしてしまった。

そんなそんな、謝ることなんか何もないですよ!!!
そもそもなんで!?ということでAと再度話してみたところ…


A:
・私は自分の失敗とか悲しい出来事とかを周りに話す際は、その話をすることで周りが楽しめるように、ポップさを交えてイジられに振り切る方向で話す傾向がある。
・ありゅーさんがこの話を持ち出した時の温度が、私のこの振る舞いに極めて近く感じたため、いつも自分がされて心地が良いようなかたち(=うまいイジリの温度の合いの手)、笑いに昇華する掛け合いで返した
・ところが、話を進めていくうちに、どうもそういう方向ではないということに気づき、自分の振る舞いは的外れだったと感じている、気分を害されていたなら本当に申し訳ない

ということだった。



私のパーソナリティは元来、Aのそれと全く同じである。すなわち、場があったまるためにイジられに走ることを厭わなかったり、失敗等の負の話題を「面白さ」に向かうように語ったりする行動様式である。むしろ、私とAが、近いというかほぼ一緒のパーソナリティを持ち合わせていることが明らかになったかたちで、大変嬉しかった。

同時に、今回のランチにおけるこの話の持ちかけでも、
私は例に漏れず、イジられに、笑いに昇華する方向で話を切り出した覚えもある。そう、いつもみたいに。

ただ…


結果、笑い飛ばしきれなかった。


ここで登場するのがBなのだが、Bの話に向き合うスタイルがとても丁寧に寄り添う、「お辛かったですね…」というものだったことも影響していると思う。終始こちらの心情を伺いながら、穏やかに耳を傾けてくれた。その温度も影響したのかもしれない。

A、B、いずれも向き合い方としてとてもありがたいものであり、そこに優劣なんてない。


ただ、笑い飛ばしきれなかった理由はきっと、それだけではなかったのだろう。


いつもの行動様式で話し出したものの、結局その着地を実現できなかった私。このことに、同じパーソナリティを持ち合わせ同じ感覚で向き合った上で違和感を感じたというAのLINEで改めて気付いた。
同じ感性でラケットを振り合う2人である以上、元来とても上手くいくべきラリーが、今回はそうはならなかった。


で、この件を通しての気づきは身も蓋もないのであるが、


あぁ、私、結構傷ついてるんだな。


ということに改めて思い至ったということ。


これまでの人生の行動指針に従った会話展開ができなかった、笑いに昇華しきれなかった自分に気づき、その背景たる感情に気づくことができた。

自分の振る舞いを他者との関わりの中で気付かされ再考して、「あぁ自分は傷ついているのだ」ということに思い至る、という、大変興味深い経験だった。

最後に、こんなにちゃんと私の件に向き合って下さったA、Bには感謝しかないし、結果として、とても良い化学反応だったようにも思う。


他者との関わりの中で自身の感情に気づく。
感受性がバグっているからなのか、それとも意外とそうやって地球は回っていたりするのか。
真相は掴めないままです。

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