事実、記憶は簡単に書き換えられるそうです

令和元年水無月30日 毎日ARUYO通信第316回
事実、記憶は簡単に書き換えられるそうです
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今日は実家に帰っていました。
実家は踏切のすぐ近くにあります。その踏切は大きな通りにあるのですが、その近くまで行くと大変な人通り。
そう、今日は1年で最もこの通りが混雑する日であることを忘れていました。
毎年6月30日&7月1日は、この通りで御富士山という縁日が開催されているのです。
幼い時はこの2日間は1年で最も楽しみな日でした。
金魚すくいに射的。かき氷にたこ焼き、焼きそば…そして、カブトムシなどなど、子供にとっては何でも売っている、エンターテイメントパークだった訳です。
毎年、もらったお小遣いで「何を買おうか?」って心躍らせていたことを思い出しました。
しかし、そんな夢のような日も、もう中学生ぐらいになってからは1年間で最も心穏やかにならない1日に変わっていました。付近の治安が悪くなりますし、ごみ臭くなるし…

まあ、それはさておき、縁日もだいぶ変わりましたね。
射的やカブトムシは見当たらない。
一方で、タイラーメンが売っていたり、かき氷がおしゃれになっていたり。
かき氷って言ったら、ブルーハワイかメロンかイチゴですよね。
黒糖ミルクなんて、少なくとも縁日ではありえなくないですか!?笑
なんてことを思ったのですが、この光景を見て、最初に思い出したことは、金魚すくいと射的なんですけど、危うく自分は結構、
金魚すくいも射的もうまかったかも?
なんて思いそうになりました笑
金魚すくいなんて、自分ですくったことなんてほとんどないはずです。
射的に関しては、1等賞狙いで行くもんだから、いっつも何もゲットできずだったはずです。そんなものだったにもかかわらず、
「まあまあやれていたかも」
みたいな勘違いを起こしそうになりました。
勘違いと言うか、記憶の書き換えですかね笑
少し昨日の内容とも関係するかもですが
人間って、意外と記憶を簡単に書き換える生き物かもしれませんよね。
よく聞くじゃないですか?年を取ると、例えば、
高校の引退試合でボロ負けしたのに、接戦をした。
とか
自分は得点も取っていなくて、活躍もしていないのに、あたかも活躍していた。
なんて話にしちゃったり。
美談を作っちゃうみたいな。

美談ではないですけども、冤罪なんかも記憶の書き換えが関係しているようなことも聞いたことがあります。
自分は実際に犯罪を犯していないのに、
「犯罪をしただろう」と毎日毎日取り調べを受けていると、
ある時から「自分はやっていたんじゃないか?」
って思うようになって、実際に認めてしまう
なんて話も聞いたりしますよね。(書籍で読んでいる限りですけれども)

脳って結構だまされちゃうものっぽいんですよ。
分かりやすいところだと、だまし絵ってのがありますよね。
怪我もそういうことがあるらしいんですよね。
例えば、捻挫をして、時間の経過とともに、症状は完全に回復をしていたとしても、脳が「まだ痛い」って信号を出している。
その結果、実際は痛みが発生しない状態にもかかわらず、痛みを感じ続けてしまうなんてこともあるようです。
あるいは、
嫌いな食べ物もそうみたいですね。
その味が嫌いなのではなく、いつまでも、嫌いになった状況の記憶が味を嫌いにさせているってこと
なんて話も聞いたことがあります。

悪い記憶も良い記憶に書き換えられる。
やってもいないことをやってたように勘違いしてしまうこともある。
実際に感じてもいないことを感じているように錯覚してしまうこともある。
もちろんその逆もあるかもしれません。
しかし、
こんなに割と簡単に、脳(記憶)がエラーを起こしてしまうものであるならば、
例えば、人を傷つけたり、騙したり、法を犯したり…しない範囲であれば、自分にとって生きやすいように、勝手に書き換えてもいいんじゃないか?
騙しやすいのであれば、自分の都合の良いように騙してしまってもよいのではないか?
それで、よりよく生きることが出来るのであれば超良いかもしれない
そんなことを思ったのです。
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記憶は結構簡単に書き換えられるものらしい。
あるいは、人の脳ってのは結構簡単に騙されるものらしい。
嫌なことは忘れるし、何でもなかったことを美談にしてしまうこともある。
であるならば、
自分にとって生きやすいように、勝手に書き換えてもいいんじゃないか?
騙しやすいのであれば、自分の都合の良いように騙してしまってもよいのではないか?
それを使ってよりよく生きれば良いのだ。



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