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6パック入り随筆の種の詰め合わせ

就活用の写真を撮ってきた。
スタジオに入るとメイクさんがお世話してくれた。なんとなく声のトーンが男性っぽい。多分「元男性」だと思う。申し訳ないけど身構えてしまった。

メイクが始まって会話してるうちに、いつも通り話せている自分がいた。そして話していても向こうの性別云々は関係ないと思い始めた。

僕ら人間はなにかしらのレッテルを貼ったり貼られたりしている。その方が考えなくて済むからだ。例えば付き合っちゃいけない「3B」の人たちはチャラいとか。(美容師、バーテンダー、バンドマン)

実際バーテンダーの人を見ていても全員がチャラいわけではない。でも「この人はチャラいのか、それともチャラくないのか」を見極めるためには何回も会って交友関係も知った上でないと判断できないその手間を省くためにレッテルなり、短絡的な解釈があるのだとしたら合理的ではあるし、理解もできる。

そして性別に関しても、ある程度偏見は存在しても仕方ないと思う。先程と同じ理由で、判断には手間がかかるので偏見で思考停止にした方が楽だから。

ただ、人と人がうまく共存していくには偏見で身構えたとしても、歩み寄って理解しようと努力する必要がある。バーテンダー全員がチャラいわけではないし、ゲイの方が全員筋肉好きなわけではない。女装してるからってゲイだとは限らない。
話して、行動を見て、1人ずつ、個別にストーリーを理解するべきである。

性別の問題だけではない。レッテルは存在としてある程度必要なものではあるが、多様性を尊重するためにはレッテルが邪魔になる。

時間をかけて対話する、そんな社会になるといいな。

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認知バイアスについて考えていた。

有名な話で「これは睡眠薬です」と言って医者が小麦粉を渡したとしても、患者は「医者が言ったから」という理由で無自覚に信じ込み、小麦粉を服用し実際に眠れるようになる。自分の経験を顧みても直観的にそのことは理解できる。

あるいは大きな災害があった後に地震保険や火災保険の加入率が増加する話。災害が起こる確率は「統計的に」変化がないのに、災害を目にしたとたん人間は不安になる。コロナの株式市場への影響も似たような話。

同じ構造の話で「飛行機と車、どちらが危険か」と尋ねた時、飛行機の方が危険と思ってしまうことがある。「統計的に」事故率を考えれば車の方が圧倒的に危険だ。だがテレビで飛行機墜落のニュースが流れ多くの犠牲者が出たことが世に出れば、あくまで確率はほとんど変化しないのにリスクが増大したように感じる。

このような事例から人間は時に合理的でない、バイアスのかかった認知をすることがあると分かる。この類の認知バイアスで厄介なのが評判に関するものである。例えば「サッカー韓国代表選手はファールが多い」という評判が日本では確立されていると思われる。実際日韓戦の際は解説者でさえそのように言及することもある。

優秀な読者のあなたは恐らく私が何を言おうとしているのか理解していると思う。統計的なデータの根拠がないのに悪い噂が出ている、ということだ。

<ざっくり言うと>
「サッカーで韓国のファウル数は尋常じゃなく多い」というイメージが「嫌韓厨」の間で広まっているが、統計を見ると事実ではない。
アジアカップ過去3大会のファウル数は日本の方が多いぐらいであり、ワールドカップ過去3大会の韓国のファウルはオーストラリアよりも少なく、平均よりも少し多い程度。

認知バイアスが働くと、「外から見れば合理的ではない」判断をする場合がある。ただ本人からすれば、それが合理的でないことにはなかなか気づけない。だからここで認知バイアスと自分の研究分野であるゲーム理論を絡めて行動分析まで持ち込めたら卒論は楽しそうだなあと思っている。

実際なぜ認知バイアスが起こるのかはよく分かっていないが、サバンナなど荒野で生き残る時に有効だったものが、バイアスとして残っている説もある。なので進化ゲーム理論という分野で分析すればそれなりの仮説は作れそうだと思っている。(仮説の検証は難しそう)

あるいは認知バイアスによる、口コミ閲覧後の飲食店評価への影響にも興味がある。仮説は作れそうだが、検証が数値分析になるので統計を復習する必要がありそうだ。

あと証拠集めが難しいけれど、認知バイアスを不当に使って恐怖をあおり、利益をあげるような機会主義的行動など…
すこしずつ勉強が楽しくなってきた。

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就活が始まった。地元就職を第一の目標にし、地元の銀行を第一志望にした。

思えば家族のお陰でなんとかやってこれた。親は両方京都出身ではないし、別にこれと言って京都らしいことをしたという自覚もない。京都のちょうど良い田舎感が好きだ。別に大成功はいらない。ただ家族と友人達、仕事相手とうまくやれればそれでいい。

「豊かさ」についてはプロ奢やえらてん、鴨頭の影響を大きく受けている。社会的地位や周りから見た幸せではなく、自分の置かれた状況を幸せだと認識することが「幸せ」の定義だと僕は解釈している。

だから「自分にとっての幸せ」を見つけて欲しい。誰かに決められたものでなくていい。決められたものでもいい。ただ自分が納得できることが大切。

https://twitter.com/girlmeetsng/status/1178292090607943681?s=21

↑参考:日本人と欧米人の幸福感の違いについて

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最近午前中にも起きられるようになり、朝起きて散歩に出ている。近くの神社へ行きお参りする。墓参りの日もある。

周りの幸せと自分の幸せをもう一度認識し、感謝し、そして祈る。幸せを理想の状況としてではなく、現状として認識することでより幸福感が上がっているように思う。そして帰りには大好きなコーヒーを飲んで帰る。おつかいを頼まれることもある。そんなことも幸せで。

科学的に見ても午前中の散歩はセロトニン分泌に有効で、うつに効く。だから毎日とはいかなくても続けている。

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餅田コシヒカリ。
一発で名前を覚えてしまった。

あの芸名をつけた人は天才だろう。あんなにもイメージを膨らませ、納得できる芸名はない。
ネーミングセンスには嫉妬すら覚える。

僕もライターの端くれとして好きなことを適当に書いているつもりだ。時にあのような絶対に勝てない巨大な(揶揄するものではない)才能の前では絶望することもある。

自分は感情を大切にしている。好きなことを書くことも大切だ。しかし職業としてのライターはそうではないかもしれない。「自分の見ているものを短い言葉で相手に伝える」これが1番重要だと感じる。

「餅田コシヒカリ」
そんな名前、どうやったら思いつくんだ。

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最近文章を書くのに抵抗がなくなってきた。ESやビジネスメールを書く度に面倒だけど良い経験になっているように感じる。noteもそうだ。書くのは苦ではない。

「読みやすい」と言われるのは嬉しい。難しい話でも簡単にして色んな人に世の中の面白いこと、楽しいこと、しんどいことをみんなに共有していきたい。

ありがとう。

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