あれはきっと、見えないネグレクトだった

子どもが被害に遭うニュースを見るたび、とてつもなくいたたまれない気持ちになる。

すごく悲しいし
ものすごく腹が立つ

親になった今も、虐待する親の気持ちより、過酷な人生を数年で閉ざされた子どもを思うと、胸が苦しくて仕方ない。


自分の子ども時代を振り返ると、決してニュースになるような暴力はなかった。(父から母への暴力はあったけど)

ご飯は三食たべれたし、服も兄のお下がりだけど、最低限ではあった。

だから、虐待のニュースはすごく気になるけど、私は該当しないしな…と自分ごととは感じていなかった。


でも、複雑性PTSDの治療を続けていていると、誰も気づかなかったけど、私の状況もある意味虐待だったのだと思うようになった。

殴られてはいないけど、両親と目が合った記憶がない幼少期は、やはりおかしい。

いくら思い出そうとしても、疎遠だった父はもちろん、三食ご飯を作ってくれた母とも目が合うことはなかった。

いつの間に妹は母のひざに座っていて、
次は私の番かな?と母を見ながら待ってみても、名前を呼ばれることはなかった。

兄の進路を両親が話していたから、次は私かな?と期待して待っていても、私の進路の話題が出ることはなかった。

「〇〇は将来どうしたい?」

周りは毎晩親と話してたらしいけど、とうとう何も聞かれないまま学生時代は静かに終わった。


こんなの一般的に言う虐待じゃないし、きっと不幸でもない。
釈然としないまま、誰も気にかけない子ども時代は過ぎていった。


自身が子育てしてみてわかったこと。
一番の違和感は、やはり親と目が合わなかったこと。

小さい頃は特に、子どもの目を見ずに子育てするなんて無理だ。

まだ話せなくても、一緒にいれば何度も目を見ながらお世話した。
体調が悪い時なんかは、子どもは目で色々伝えてくる。


親と目が合わないなんて、些細すぎて周りは誰も気づかなかった。
わたし自身、あの違和感を言葉にすることもできなかった。


子どもに興味がない大人はいる。

我が子に愛情を注げない親もいる。

そんな大人にとって、可愛くない子の子育てはきっと辛いものだろう。

目を逸らしたくなるのも理解できる。



理解はできる。

でも、そのツケは全て不遇な子どもが背負うことになる。


親自身が気付けないなら、

せめて誰か気づいてくれたら…


人生のほとんどを、トラウマやフラッシュバックに支配されることはなかったはず。


もし子どもを愛せなくて悩んでる人がいたら、勇気を出してカウンセリングを受けてほしい。

表面上は問題なくても、
静かなる虐待は、水面下でじわじわと根を張っていく。

親自身はもちろん、
目を合わせてもらえないまま育つ子の、その先の長い人生のためにも、

目の前の困難から目を逸らさないでほしい。




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