理不尽な子ども時代を支えてくれたのはエンタメでした

EMDR治療の初回カウンセリングで、先生に聞かれてピンとこなかったことがある。

「そんなに辛いことばかりなのに、どうやって過ごしてたの?」

え?と止まってしまう。

たしかに、家族との楽しい思い出も少ないし、学校が好きだったわけでもない。

いったい、何を支えにあの頃を生きてたんだっけ?


よーくよーく思い出してみると、
とにかくテレビだけが楽しみだった事に気がついた。

数少ない親の教育方針で、おもちゃらしいおもちゃは持ってなかった。

遊び道具といえば、チラシやカレンダーの裏に絵を描いたり、どこからか貰ってきたヨーヨーや、毛糸であやとりをするくらいしかなかった。

1人でもできる娯楽は、図書館で借りた本を読むことと、つけっぱなしのテレビを見ることだった。

父はほとんど家にいなくて、母は仕事や家事でいつも忙しい。

学校ではテレビは1日1時間と言われて時代だけど、うちは子守り代わりにテレビをつけていた。

常に家族じゃない大人が家にいた環境だっし、夜の大人向けの番組もほぼ制限なしで見れていた。


まだビデオがない頃は、アニメもバラエティもドラマも、ほとんどが再放送なしのその時限りだから、すごく集中して見ていた。

今より歌番組も多くて、毎週ランキングが入れ替わるのが面白くて、ワクワクした。

田舎のわりにお笑い番組も多くて、見れる番組は全部みた。

金曜ロードショーみたいな、映画枠もほぼ毎日あったから、流行りの洋画を毎日見てるかんじで、クラスの誰よりもハリウッド映画に詳しかった。

そうやって曜日や時間も覚えて、新聞でテレビ欄を毎日チェックして、家族との思い出はあまりなくても、頭の中はワクワクでいっぱいだった。

今日の楽しみ。

今週の楽しみ。

来週の楽しみ。

そうやって日々を過ごしてした。


父は家庭に関心がなく、
母の視界に入れない子ども時代。

そんな私のいちばんの友達は
テレビだった。


今日はあれとあれを見て、
明日はあの映画を見よう。
シリーズものだから新しいの楽しみだなー。

テレビ欄で、大好きなクリントイーストウッドや、ポールニューマンを見つけると、幸せな気持ちで過ごせた。
子供らしくない私は、アイドルよりもハリウッド俳優が好きだった。


そして、ふいに理不尽な出来事に遭遇したりもするけど、その時はあまり深く考えないようにして、また意識をテレビの中に向けていた。

現実のことは考えない。

今日の楽しみはなんだっけ?

辛い時も寂しい時も大好きなテレビに助けてもらう。



テレビは今もつけっぱなし。

ひどいフラッシュバックが始まってからは、寝てる時も消さない。

あの頃と違って、今はサブスクなんかもあるし、ついててくれるとひとまず安心する。


大人になってもからも、映画や音楽、そしてお笑いにたくさん支えられた。

前の夫から逃げる前日は、1人で映画館にいって、パイレーツオブカリビアンなのに2時間ずっと泣いた。



「テレビばっかり見てたらバカになるよ」と言われた世代だけど、

私の場合、本当にエンタメにお世話になってきた。

最悪な時にわたしのそばにいたのは、親でも友達でもなく、その時でさえ映画やテレビだった。


親に感謝は難しいけど、
エンタメをつくる人達全てに、めちゃくちゃ感謝してる。


残念ながら、手を差し伸べてくれる大人には出会えなかったけど、

素敵なエンタメにたくさん出会えたことは、ギリギリな私の人生の大きな栄養になっている。

機会があったらクリエイティブなお仕事にもチャレンジしたかったな。

学ぶ機会も夢見る気持ちも持てなかったことは、大きな後悔になってるけど、

テレビや映画を通して、学びや希望に触れる機会があった。


人はどんな状況でも、自力で光を見つけるのかもしれない。

そんな自分のしぶとさにちょっと笑う。


こんど先生に同じ質問されたら、ちゃんと答えられるかな。

私を日々支えてくれたのは、画面の中の人たちでした。

心から感謝しています。


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