ここが変!日本の武道、武術。シーズン1。

何故、柔道は、この様な姿になってしまったのだろうか?
戦前、または戦後直後には、柔の名人、達人とも言える先生方が、いらしたのが、資料で残っている。また、空気投げで有名な、三船久蔵師範も、映像資料で、素晴らしい技の数々を見せている。

しかし、第一回の、東京オリンピックで、柔道が、正式種目で採用されてから、徐々に雲行きが怪しくなった。

オリンピックへの参加は、嘉納治五郎師範の、オリンピック憲章「スポーツの力で世界を平和に」が、柔道の、「自他共栄」の精神と合致すると判断したからである。

しかし、オリンピックは、その理念を捨て、商業オリンピック化してきてしまった。

まだ、第一回の東京オリンピックの時は、まだ良い。

無差別級決勝で、日本人を、破って優勝したアントン・ヘーシンクは、優勝が決まった時、試合場に、歓喜し迫る仲間に対し、手で制し、礼を重んじた。

しかし、このオリンピックから、連盟は、メダル欲しさから、体重無差別で行っていた柔道を、体重別にし、軽量の者が努力して大柄な者を倒す必要性を、無くした。

そして、術を、身に付ける事から離れ、勝利至上主義が、はびこるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?