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私が親と離れる事を決めた理由~機能不全家族~

こんにちは!アルパカです^^

皆さん、ツインレイの関係においてもっとも大事な
「過去のトラウマの癒し」ちゃんとできていますか??

私は、今回片割れと出会ったことで、自分だけでは気づくことのできなかった過去の傷に直面させられ、今やっと7割くらいの傷が癒えてきました。

今までの記事では、ツインレイや片割れのことしか書いていなかったので
今日は、自分自身の過去について少しお話していこうと思います☆

私は、機能不全家族という家庭環境で育ち、母がうつ病&アダルトチルドレン、父が無関心&軽度のアスペルガーという感じでした。

物心ついた時から、母の顔色を伺うのが当たり前、母から父の愚痴を聞くのは当たり前、そんな母を見て父は怒りもせず笑ってるだけ。
これが家族と過ごす空間の在り方でした。

母は。子供は親より下の立場なんだから親を敬え、ここまで育ててもらったんだから感謝して恩返しをするのは当たり前、父の愚痴も家族なんだから聞くべき、聞かないなんて薄情だ。と、本当につい最近まで悪気なく言ってくるような人でした。

私は高校を卒業とともに、親と離れるために上京しましたが(この決断をちゃんと10代でできた自分を褒めてあげたい!笑)
たまに帰省すると、両親の生活が苦しいアピール母にされ、親の老後の為に貯金しといてねと言われ、一番最近だと還暦を迎えた母が「還暦祝いで家族旅行に連れて行ってね!」と対面でもLineでもせがむような日々(笑)

今までも自分なりにできる限り沢山の親孝行をしてきましたが
母が満足する様子は全くなく、むしろ要望は増える一方。。

さすがに、私も28歳なので色々世の中的にズレてることや、母の子供に対する態度はおかしいなと、感じてはいましたが、何せ28年間母にコントロールされて生きてきたので、これも情で、何とかして連れて行かないといけないのかな・・・と感じてはいました。

ですが、片割れの彼と出会い、自分の中にインナーチャイルドが隠れていたと知り、動画や本を見て自分自身と向き合っていく中で、母がくれていたのは【見返りの愛】だったんだと気づき、私は母のためにも自分の為にも、親から離れなければいけないんだな。という結論に至りました。

ただ、決して悪い時だけではなくて、もちろん母の事も父の事も好きだし
家族と過ごす時間も半分くらいは好きだったので(今思えば本心から楽しさや幸せは感じていませんでしたが・・・)
今は物理的な距離も離れてるし、会う回数さえ減らせばやってけるんじゃないか?ちょっと我慢して、嫌な時は嫌!と素直に伝える事さえ出来ればこのままでもいいんじゃないか?そんな気持ちが浮かんでしまい、結局、彼を手放すことが先に進み、最後まで残ったのが”親と距離を置く”ということでした。

そんな葛藤が起こる中で彼との再会の日(7月18日)が刻一刻と近づいていき、このまま彼に会ってもいいのか?自分の中で一番芯に根深く残っている問題が解決できていないんじゃないか?そんな焦りも出てきました。

根本的な問題が解決できていないのに、彼と再会して統合に向かうわけはないので、なんとしてでも、彼に会う前にこの課題はクリアしておこう。
そう思い、一昨日の夜、父と電話をすることになったのです。

母には2週間ほど前に手紙で過去の自分の思いや、嫌だったこと、全てを伝え、その後、話し合いの場を設けようとしたのですが
「今は何も考えられない」と断られ、先に進みそうになかったので、
見かねた父が仲裁役として間に入ってくれました。

父は電話に出るや否や「手紙読ませてもらったけど、正直あんな色んなことがあったとは想像もつかんだというか、信じられへん気持ちになった」と私に言いました。
父は無関心に見えて実はちゃんと私たちのこと、見てくれてたに違いない。そう信じていましたが、この電話で父が本当に家族に対して無関心で私と母の事を理解していなかったという事実を突きつけられ、本題に入る前にショックを受けるという・・・(笑)
しかも、娘がそれだけ苦しんでいたという事実を知ったにも関わらず
「ごめん」の一言もない。。

父は何もしなかったかもしれないけど、何もしなかったことがむしろ問題なわけで、せめて「気づかなくてごめん」とか、なんかそういう言葉は出ないもんなのかなぁ・・・と。
期待してはいなかったけど、あー、本当によくこういう親のもとで
自分押し殺しながら頑張ってきたなぁ・・・と。
あんなに頑張ってたのに親には何も伝わってなかったんだなぁ・・・と落胆。

そして、本題の母と距離を置くという話しに関しては、父も、今はその方がいいと思う。と意見が一致し、最悪、母がなにも変わらなければ死ぬまで会うこともないという意思も伝え、了承を得ました。

そしてその後、父から「母や父が介護が必要になった時も面倒をみる気はないってことだね?」と聞いてきたので、そこも「面倒を見るつもりはないし、それは親自身が自分でなんとかすることだよ」と、少し冷たいかもしれませんが、これ以上、親のコントロールや依存心を掻き立てない為にも
あえて突き放すようなことを言いました。
すると父は娘の私にこう言ったんです。
「母はその辺納得いかんやろけど、父はもとから子供に頼ろうとか面倒を見てもらおうとは思わへんし、誰かに迷惑をかけるくらいなら早く逝った方がいいなと思ってるから、そこは心配しなくていいよ」と。

これをね、言われる娘の気持ち、分からないんですかね?親って。
あくまでも、大好きなんですよ、両親のこと。
親の口から「早く逝った方がいい」なんて死んでも聞きたくない台詞なのに
平気で言えちゃうもんなんですねぇ。
なんて子供不孝なのでしょうか。
とまぁ、つくづく残念な気持ちになりましたが

でも、所詮こんなもんなんですよね。

結局、両親に理解してもらおうとか、親だから理解してくれるだろう。って
どこかで期待していましたが、全然無理でした(笑)

結局、母と距離を置くことは決まったけど、なんか腑に落ちないというか
あまりの”親子”という関係の儚さに、彼との事で涙を流した量とは比にならないくらい、電話を切ったあと大泣きしました(笑)

ベランダで空を見ながら泣いてたんですけど(宇宙への報告も込めて)
一気に走馬灯のように家族で過ごした日々が浮かんできて
確かにそこには楽しくて、家族で笑い合ってる日々があって
でも、同じくらい苦しかった光景も浮かんできて、もう今世ではこの家族という存在と笑い合う事も、会話をしながら食事をすることも、ないのかもしれないと思ったら、さすがに辛すぎて(笑)
もっと、両親にしてあげれる事はあったんじゃないか、我慢してた方がマシだったんじゃないか?こんな傷ついて苦しいのに、そう思って仕方なかったです正直。

でも、私はこうしてこのタイミングで母と別離することがきっと、運命で決まっていて、ここまで母や父と過ごしてきた時間そのものが
私の成長の為に与えられてた時間で、やっと私も母もここから自由になれるんだなぁと。

母もね、きっと辛かったと思うんです。知らず知らずのうちに娘に依存して、コントロールしないと気が済まなくなって、私を失う事を毎日恐れて、私に寄りかからないと立っていられないくらい弱ってた。
母も依存していたけど、私は逆に母を依存させてしまってたから
だから、自分ができる最後の親孝行は、母を私から解放することだったんですよね。

本やユーチューブなどでもよく言われていますが、一度、依存してしまった
親子関係は簡単には戻りません。
お互い、依存し続けて歩んでいくか、親と子供の間に”境界線”をしっかり引き物理的にも精神的にも距離を取るか。

私はもう、後者の選択しかとれない事は自己統合を進める中で感じていたので、離れる決断をとりましたが、これが100%正解というわけでもありません。
でも、もし同じような状況の方がいたら、一回離れるという選択、距離を十分にとるという事も考えてみるといいかもしれません。

私はいよいよ、ここからが本当の意味での自己の癒し、自己統合、自愛を進めていく時間だなと感じたので、諦めずに、この悲しみと向き合い、明るい未来へ前進していきたいと思います☆

皆さんもインナーチャイルドを癒す本当の意味をもう一度深く、よく感じて
しっかり癒していってください^^

今日も最後まで見てくれてありがとうございました☆


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