『まだ、何者でもないあなたへ、私へ、贈る』~名もなきビジネスパーソンへ
『よく言われる「MBAなんていらねー」に私が思うこと』
今日はまだ、何者でもない私から、同じようにまだ何者でもないあなたに、仕事でもがくあなたに、名もなきビジネスパーソンのために、書きたい。
「MBAなんていらねー」そんな批判がある。そんなことを謳う本もある。
確かに、MBAを取って、人生が劇的に変わったり、「華々しい満塁ホームランを打てるようになる」訳ではない、と思う。
MBAホルダーの数は増え、希少価値も減っている。そんなことを聞いたら、ガッカリするだろうか。
今日はMBA before, afterを、私の経験と思いを書いていこう。お手本にはならない不器用な経験だが、見本(サンプル)にはなるだろう。
ある日、私は突然、荒れた海に投げ出された。
私の直属の上司(=部長)が会社を辞めた。私は、輸入業務の仕事をしていたが、突然、ひとりでイタリア食材300種類の交渉、購買の全責任を任された。引継ぎ期間は2週間。
その職場では中間管理職がおらず、部長直下だった私が、突然部長の仕事だったものを担当した。2週間では、何も引き継げなかった。ほとんどは、部長の経験と勘に頼っているような仕事だった、からだ。
まるで、ドーバー海峡の荒れた海に放り出されたようだ。
HELPって言ったら、浮き輪は来るんだろうか・・・
だいたい、私にそんな体力はあるんだろうか・・・
確かにイタリアの地で、美味しいイタリアンもワインも飲めたから、一見優雅な仕事に見える。しかし、現実は、とても泥臭い仕事、だった。
正直、イタリアに行くなら、仕事ではなく観光で行きたい。
「友達だったら、楽しくて最高な人達」なのに、仕事になった時の、交渉相手になった時のイタリア人は・・・厄介だった。
私が働いていた輸入商社は、世界30か国から食品やお酒を輸入していた。30か国と仕事をしているのに、その会社では代々「イタリア・リスク」という言葉があった。例えて言うなら、小学校の卒業写真で、撮影の日に来られなかった子が端っこに「特別枠」で掲載されているようだ。
イタリアだけは、別枠だった。
部長が去り、仕事を引き継ぎ、私は心労で自然に痩せていく。イタリアンを食べているのに、ワインも飲んでいるのに、なぜ痩せていくのだろうか。
イタリアに50年ほど住んでいる作家の塩野七生さんが、イタリアに関するこんなジョークを紹介していた。
子羊:「神様、イタリアは美味しいものも、美しいものも沢山ありますね。 他の国と比べて、不公平じゃないですか?」
神様:「大丈夫、イタリア人入れておいたから」
この国民性は何なのだろうか。
どうして私はこんなに苦労しているんだろう。
それが知りたくて、イタリアの歴史、国民性の本を沢山読んだ。ざっと70冊読んで、私の今のところの答えはこれだ。
Q. どうして、私はこんなに苦労したんでしょうか。
A. イタリアの交易の歴史を読みたまえ。ローマ帝国時代にしても、ヴェネチア帝国の時代にしても、 どれだけ「したたか」に交易をしてきた人達だったか。ヴェネチア共和国なんて、ローマ教皇すら何もできなかったんだから。あなたは、その末裔と仕事をしているんだよ。
突然、部長からバトンを渡され、イタリアの地に乗り込んだ私。大男の中に、小柄なアジア人が1人の交渉の場。
言うなれば、「アルファロメオ」 vs 「軽自動車」 のようだ。BONDに入る前の私の強みなど、「燃費」と「小回りの良さ」位だけだった。
何て、頼りない存在なのだろう。実際、逃げたい時が何度もあった。常に、一人で交渉へ行った。(単に、コスト削減のために一人で行かせただけでは?とも思う)
ある時など、暴風雨のようだった。イタリア(特に南)の方は、感情表現が豊かである。初期の頃の私は、大きく揺さぶられた。(今思えば、「イタリア人劇場」だった、と分かるけど)
エンストし、脱輪し、一般道で「タラタラ走ってんじゃねー」と煽られ、ナビをつけても道に迷うような状態だった。こんな成果じゃ、日本に戻れない。
「戻りたい、戻れない、気持ちウラハラ」
(by 中森明菜「禁区」 )
しかし、私は暴風に耐え、準備し、仕事に慣れていく。白状しよう。「大前研一ライブ」の大前学長の説をそのままコピペして、自分の意見のように語ったことを。。。よくもまあ、ペラペラとEU経済を語ったもんだ。
真似る、は学ぶ、の語源らしい。そうこうしているうちに、私は少しずつコツも分かり、成果も上げた。それは、一重にBONDと、学友のアドバイスのおかげ、だ。
そのうち、私はだんだん態度がデカく、もとい、経営者層と、対等に交渉をできる人材として少しは成長した。
ランボルギーニが来ても、動じないほど、肚が座った。
『こちらは、レクサスですが、何か。』
イタリアと仕事をしてきたこと、ちょうど、Value Based Marketing の授業を受けていたことが、私の価値観に大きな影響を与えた。私にとって、幸せは何なのか。人生は短い。何があったら、いい人生だった、と思えるのか。
イタリア人のジョークも、人生を考えた。9月上旬に出張すると、イタリア人たちは、みなバカンスの話をしていた。
「シニョーラ吉田は?どこに行ったの?」
その年はトラブル対応に追われ、長い夏休みをキャンセルし、2日だけ夏休みを取っていた。まだ夏休み取ってない、と言った時、狂人を見るような、憐れな子供を見るような、イタリア人3人の視線。彼らは心の中で言っていたはず、だ。
日本人じゃなくて良かった・・・
「V・A・C・A・T・I・O・Nだよ?知ってる?そっか、日本人だから、意味が分かってないのか」
面白かったので、そのジョークは笑ってしまった。でも、確かに、私は、私たちは、本当の「休暇」の意味を知っているだろうか。一体全体、私は何のために働いているのか?あの日から、ずっと考えていたように思う。
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会社を辞めよう、と決めたのは昇進試験の会場だった。
大きな試験会場で、100人ほどが、社内の昇進試験を受けようとしていた。黒いスーツを着た社員が、背中を丸め、試験を受けていた。電卓をたたく音と、カリカリと文字を書く音しか聞こえないピリッとした空間。
でも、私はこの会社に居る自分を全く描けないことに気づいた。BONDの学友は、転職エージェントを紹介してくれたり、親身に相談に乗ってくれ、感謝している。
私は、会社名を変えることではなく、
働き方を変えたかった、ことに気づいた。
イタリアと仕事をしてきて、3つのギャップに気づく。
仕事のやり方、環境問題への真剣さ、人生の優先順位=家族。
前職のイタリア食材バイヤー時代、私が一番悩んだことは、欧州の良い商品を見つけてきても、日本でなかなか売れなかったこと。価格競争にあおられ、品質よりも、生産者の思いよりも、「安い商品」を探してくれ、良い商品の価格を下げろ、とリクエストが来たことだ。
こんなレッドオーシャンに居るの止めましょう、と何度か提案したが、上層部は大胆な転換を図ることを、決断することを恐れているように見えた。
昇進試験は、頑張れば合格してもう1段階上の役職につけたかもしれない。でも、30分で全部終わらせ、早々に会場を後にする。
カッコよく言えば、心の声に従って、辞めた。サステナビリティについて、専門的に学ぶため、大学院にも入りなおした。現実的な話では、私は副業でサイドビジネスを始めており、その収益が安定し、会社を辞める見通しが立ったことも、背中を押した。自宅療養の高齢の親を抱えている私は、昔のような働き方は続けられない。こんな決断ができたのは、BONDのおかげ、だと思う。
最近、嬉しいことがあった。大前研一ライブで、私の質問が取り上げられた。私の質問に、大前学長はかなり長く、解説してれた。「オイシックス」のRTOCSに関する質問をした。まさに、私がバイヤー時代に悩んでいたこと、を質問する。質問が取り上げられ、学長は長く、丁寧に解説してくれた。少なくとも、取るに足らない質問ではなかった、ということではないだか。職業人として悩み、考え続けた「砂を噛む」ような日々に、「いいね!」を頂いたような気持ちになった。
入学当時の私のRTOCSはひどかった。でも、今、突っ込んだ質問ができていることは、素直に感慨深い。
MBAは知識を学ぶこと、がゴールではないと思う。思考する方法を学ぶ、ではないか。
MBAホルダー = 華々しいホームランを打てるようになるわけではない。
大前学長が、私の質問を取り上げ、詳しく解説してくれたことは、例えるなら小さな小さなヒット、だ。
でも、入学前と比べて確かに【打率が上がっていること】に気づく。私は新鮮な驚きを覚え、嬉しかった。
「MBAなんていらねーな」
フレームワークと横文字ばかりを並べる輩を揶揄した言葉だろう。確かに、知識は陳腐化する。
私はこう思う。
「あの大変な2年間をやり通した人しか、見えない景色がある」
あの、ゴールドコーストの夏の青い空や、大学近くの湖の景色が、どれだけ、私を励ましてくれているか。この思い出で、One Extra Mile 行ける、んだよ。ただの海外旅行では得られない、授業とグループワーク、BPをやり切った開放感とリンクしている、空なのだ。
派手で華々しいホームランはなくても、私たちは、確実に打率をあげている。
MBAの学びは、インナーマッスルを鍛えるようなもの、だ。
この筋肉は派手ではなく、表面からは見えない。でも、私たちの大事な骨を、軸を、しっかりと支える大事な筋肉。
いつの日からか、「求人広告」の枠に自分を合わせようとしていた。職務経歴から、私ができるのは〇〇、〇〇歳だから、この仕事。
でも、それって、昭和の時代に作られた概念だ。求人広告の項目は、この時代に合ってないのでは?これに、合わせる必要はあるのだろうか。ポジションも、仕事も、作ればいい。
BONDの授業でHONDAについて調べて、すっかりファンになった。毎回、ハッとするメッセージを発信するHONDA.このコピーが好きで、メモをした。
「僕たちは、何にでもなれる。どこにでも行ける。」
※BOND大学ビジネススクールの卒業生エッセイに寄稿したものを修正しました
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