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暮らしの勉強メモ⑧お茶の話(歴史編)

雑貨屋 あるくらし は、現在は店舗を持っていませんが、
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前回の投稿では、お茶がどのように作られるのか、製茶方法をみていきました。今回は、お茶の「歴史」がテーマです。
各国で飲まれる様々なお茶は、もとをたどれば、中国が起点となります。
中国で発見されたチャの木は、「薬」として“食される”ところから、上流階級のたしなみ、そして広く一般的な飲料となる過程で、各国との外交が行われお茶の文化が世界へと広がります。
日本では、仏教の伝来とともにチャの木の栽培がスタートし、「緑茶」や「抹茶」等が作られ、「茶道」という文化が形成されます。一方、ヨーロッパでは輸入、植民地による栽培によって「紅茶」を手に入れ、「アフタヌーンティー」という文化が作られます。お茶の歴史をたどると、仏教の伝来が絡んだ宗教的な事、作家や文学者が集い、芸術を披露する場所としての茶席、戦争にまで発展する、“商品”としての外交的な話まで。数千年の歴史を通して、お茶が人や国に与えた影響は大きく、人々に欠かせない存在となっていった事が分かります。
数年前を振り返ると、毎日に欠かせないはずのお茶を飲む行為は、生活のとりとめのない一部として、スルスルと流れるように過ぎていました。そこから、お茶と向き合う機会が増えることで、その流れから少し立ち止まり、「これって、どういう事だろう?」という、あらゆる角度への関心が湧き、様々なお茶と出会う度、「なんておいしいんだろう」という純粋な喜びを感じるようになりました。
生活は意識を向けると、たくさんのきらめきや発見、疑問、好奇心をくすぐるトピックスで溢れているのだなと気づかされます。
とある本で、「philosophy(哲学)」の訳の解釈を、好奇心や知ることの純粋な喜びを探求する行為。と記載している文章を読んだことがあります。
生活の中で小さな発見を見つけ、探求する事は、日々の哲学的行為なのかもしれません。
日本人の暮らしになじみ深いお茶。そんな身近なお茶を通して、日々の生活をワクワクと楽しむ。そういった時間を自分自身で見つけ出せる事は、“豊かさ”に繋がるような気がします。

お茶の歴史

なかなかの長い記事なので、お茶でもゆっくり飲みながら休み休み読んでくださいね。

お茶発祥の地である中国を軸に、中国、日本、ヨーロッパのお茶の歴史をたどります。各国でお茶の文化ができた背景にはどのような事があったのでしょうか。

紀元前2700年頃:
お茶が歴史上はじめて登場した時、「解毒作用のある薬」としてお茶が食されていました。
※お茶の神様と呼ばれる「陸羽」が唐の時代(780年に出版)に記した著書『茶経』(お茶の起源、製茶の方法、飲用道具などをまとめたお茶のバイブル的資料)に、「紀元前2700年ごろ、漢方薬の始祖として祀られる伝説の神・神農が草木の薬効を調べていたところ、お茶の葉に解毒作用があることを発見した」記されています。以後、漢の時代に至るまで、お茶は飲むものではなく、“薬”として食されていました。お茶の産地は雲南省、貴州省、四川省等とされており、この地域の茶樹が世界のお茶のルーツと言われています。

紀元前202年~220年(漢の時代):
漢の時代になると、それまで食されていたお茶が飲料として飲まれるように。

220年~420年(三国時代~晋の時代):
三国時代では、酒の代わりにお茶が飲まれるようになった記述が、
晋の時代には皇帝に最高級のお茶を献上する「貢茶」があったという記録もあります。

●439年~589年(南北朝時代):
お茶の産地が各地へと広がり、上流社会の嗜好品として楽しまれるようになります。

●581~907年(隋・唐の時代):
一般社会に喫茶の風習も芽生え、各地に茶館が出現。茶館は息抜きと娯楽のための施設で、数世紀にわたり栄え、芸術文化の発信地にもなりました。
主に富裕層がやってきて、茶を飲んで社交し、政治論議を戦わせたり、多くの店の壁には書や絵画が掛けられました。
この時代のお茶は固形茶で、塊をほぐして湯を注いで飲んでいたのだとか。
唐の時代には、お茶の生産地である雲南地方と、お茶の消費地である中国各地やチベットを結んだ「茶葉古道」が確立されます(お茶と軍用馬等を貿易。作物が育ちにくいチベットでは、お茶は重要な栄養源であり、東方や北方の敵との闘いのため、中国では軍用馬が必要であった。)。
『茶経』を書いた陸羽は、「今この瞬間の生命に価値をおく」という道教の教えと儀式化された喫茶という行為が結びつくと考え、茶の時間が日々の多忙から離れて再び自分自身に戻る機会とみなし、人生に必要である美や平穏を作り出す手段と考えていたようです。
また、新茶の時期にはお茶を飲み分けて勝負を競う「闘茶(とうちゃ)」の文化も誕生。
この時期に、仏教公伝とともに日本にもお茶の文化が伝わります。
【日本のお茶の歴史】
平安時代初期:

805年頃、遣唐使のひとりである最澄が、持ち帰った種を比叡山周辺にまき、それが現在の朝宮茶の起源となったといわれます。仏教公伝とともにお茶が伝わった事もあり、当時は僧侶や貴族階級等限られた人たちが口にできたものであったのだとか。
800年代、嵯峨天皇は奉じられたお茶に感動し、チャの木の栽培と献上を命じ、『茶経』に則して茶が飲まれ、儀式的に発展しました。
しかし、嵯峨天皇の崩御後、動乱期もあり、300年ほど日本の茶の文化は一度廃れてしまいます。

●960~1279年(宋の時代):
お茶の製造技術が発展し、お茶好きの間の楽しみとして、宮廷だけでなく、一般市民にもお茶が定着しました。高尚で優美なものを好む風潮が強く、お茶を愛飲する人たちは、茶葉を挽いて細かい粉末にしてお湯を注ぎ、こんもりと泡立てるように(後に、日本の抹茶の飲み方に欠かせない要素となる)。僧や修行僧は瞑想中の眠気覚ましに茶を飲み、詩人や作家たちはインスピレーションを得るために酒の代わりにお茶を飲みました。また、お茶を飲む行為自体がひとつの芸術のようになり、茶道具を美術品として鑑賞する事が茶会の大事なしきたりとなります。こうした知的享楽的な茶会のことを「文人茶」として知られるようになり、日本に輸入され、茶道の中でもより世俗的な「煎茶道」を生むことに。
しかし、13世紀後半にモンゴル帝国の進行により、お茶文化が一度低迷してしまいます。(モンゴル民族が、自らの素朴な淹れ方を好んだことから、中国の洗練されたお茶文化は廃れてしまう。)
【日本のお茶の歴史】
平安時代末期~鎌倉時代:
後に臨済宗を開く栄西が、中国からお茶の種子と抹茶の製法を持ち帰り、九州の背振山に茶を植えて栽培をはじめ、日本発の茶書『喫茶養生記』(古代中国の道教の思想にならって茶の医学的効用を讃えた。)をまとめます(1911年)。宇治茶の基礎となったのは、京都高山寺の明恵上人が、栄西からお茶の種子を譲り受け、植えたのが始まりでした。
13世紀には、抹茶を飲む習慣は僧侶や上級の武士にまで浸透。その後庶民にも広まり、人々は茶を健康飲料や薬としてではなく、楽しみのために飲むように。
鎌倉時代の終わりごろから、日本でも「闘茶」が盛んに。人々が集まって行う流行の宴のようなもので、豪華に会場をしつらえ、夜通し行われることもあったのだとか。「闘茶」はエスカレートしていき、富や力を誇示する場となります。
☆階級別に茶の捉え方は、以下のようだったみたいです。☆
上級階級:豪華絢爛で富を誇示するとともに社交行事の場でもあった。
僧侶や民衆:質素で生活における精神的安らぎを求める行為だった。

1368~1644年(明の時代):
お茶の文化が復活します。沸かした湯で散茶を煎じる方法が普及。茶葉を発酵させた黒茶が開発され、茶道具が芸術品のように高められたのもこの時代。現在のような丸い急須は、明代の様式のひとつで、人気があった宜興茶瓶が原型になっているのだとか。
16世紀ごろから、ヨーロッパでの紅茶文化がスタートし始めます。1602年、ヨーロッパに初めて、中国から、ポルトガル人がお茶を持ち帰り、その後、1620年にオランダ東インド会社が中国茶の輸入をはじめ、ヨーロッパにお茶の人気を広めました。
1600年に民間企業としてイギリス東インド会社が設立。強力な独占体制で世界の貿易高の半分を掌握。1600年代にはイギリスを中心にヨーロッパで紅茶文化が花開き、茶葉の輸出が始まります。

【日本のお茶の歴史】
室町時代~安土桃山時代:
宮廷の権威が薄れていくとともに、豪華絢爛なお茶の世界から、武士階級から支持を受けていた、禁欲的な禅の世界観やそれに伴う茶文化が隆盛します。足利義満が「宇治七名園」という指定茶園を作り、宇治茶の改良に力を注ぎ、足利義政が銀閣寺に茶室を建立し、のちに伝統的な日本文化となる「茶の湯」の礎を築きます。
室町時代になると、“茶の祖”とされる禅僧の村田珠光が、調度や道具の贅沢や無駄をそぎ落として簡素を重んじる新しい茶道(今でいう“侘び茶”)を築きます。茶の点て方、飲み方と謙虚や平穏といった精神性を組み合わせた茶の作法を考案した。茶器も、中国渡来の贅沢なものではなく、質素な日本のものが好まれるように。
禅の精神にのっとた“侘び茶”は、その後、千利休によって完成され、その作法や様式は今も日本の伝統文化として受け継がれ、貴族や武士の間で流行していたお茶が次第に庶民にも開かれていきます。茶の作法はより簡素化され、調和、敬意、清浄、静寂に重点が置かれました。

1644~1912年(清の時代):
1662年、イギリスに嫁いだポルトガル王女キャサリンが、中国のお茶と当時貴重であった砂糖を大量に持参し、イギリスの宮廷に喫茶の習慣をもたらします。その後、喫茶の習慣が次第にイギリスの貴族社会に広まりました。そんな中、オランダとの戦争に勝利したイギリスが、東洋との貿易で独占的な立場だったオランダに代わり、直接お茶を輸入するように。
その後イギリスは、中国からの茶葉の輸入量が増える一方、銀が底をつき始め、中国から銀を引き出すために、インドのアヘンを中国へ売りつける事態になります。
中国の銀が流出し、財政が窮乏、アヘンによって風紀が乱れ社会が混乱状態になり、1839年に中国がアヘンの輸入を禁止したことをきっかけに、アヘン戦争が勃発します。その後、北京条約によってイギリスやドイツが中国茶貿易の実験を握るようになり、紅茶以外の中国茶の生産が下火になってしまいます。また、1869年には、スエズ運河が開通し、蒸気船は低コスト短期間でアジアを行き来できるようになります。19世紀後半には、インドでプランテーションが拡大し、ヴィクトリア朝期(1837~1901年)には、毎年新たな土地が開拓。インド産の秀逸な紅茶は欧米で人気を博すように。
19世紀末までに、イングランドの貴族階級と中産階級でアフターヌーンティーが定着。繁華街にはティールームが次々オープンし、初期の女性参政運動の会合場所にもなりました。産業革命により、贅沢品だったティーセットや砂糖も大量生産され、安価なインド産のお茶も流通し、庶民にも浸透します。

【日本のお茶の歴史】
江戸~明治~大正時代:
江戸時代に入り、将軍家のために各地の銘茶を江戸に運ぶ「お茶壷道中」が始まる。中国から釜炒りした茶葉に湯を注いで飲む淹茶法(えんちゃほう)が伝わり、現代の急須にお茶を注いで飲むスタイルの始まりになったのだとか。1738年には、京都宇治の永谷宗円が現在の煎茶に近い製法を作り上げ、煎茶製法が全国に広がる。1853年には山本徳翁によって玉露が発明。煎茶の飲み方や製法が確立された事により、お茶の文化は全国の庶民へと広がり、明治以降はお茶の生産に機械化が進み、お茶を飲む事が日常の習慣として定着していきました。

1966~年(中華人民共和国):
1966~1976年に毛沢東による文化大革命が起こり、「反革命的」というレッテルがはられ、ほとんどの茶館が廃業に。お茶の栽培が制限され、一旦生産が落ち込みます。1970年代後半には復活していきますが、多くの店では近代化され伝統色は薄れていったのだとか。一方、台湾でのお茶の栽培がのび始めます(台湾にお茶の苗や文化が伝わったのは1800年代後半。以外と最近なのですね!)。お茶を飲む独自の作法(茶芸)も発展し、再び、中国茶が日の目を見ることに。
イギリスでは、1950年代になると、ティールームは廃れるが、1970年代に、歴史的名所を訪れる観光客向けに伝統的なアフタヌーンティーのサービスをはじめたのをきっかけに再び人気が回復します。

おわりに

最近は水出しのお茶にはまり中。緑茶とルイボスティーの水出し。水出しすると渋みが出にくくて飲みやすく、今の季節も爽やかに飲めるので気に入っています。

数千年続くお茶の歴史を見ていくと、現代の暮らしの中で“お茶”はどういった存在なのだろう?どういう楽しみ方ができるのだろう?と考えさせられます。興味が湧いたので現代の日本のお茶の統計データを調べてみました。
お茶の収穫量は約32万トン(令和5年)で5年前の約38万トン(平成30年)から比較すると、約6万トンほど減少(農林水産省HP参照)、緑茶の消費量は、7万4千トン(令和4年)で5年前の8万1千トン(平成29年)から約7千トン減少しています。家庭内でのお茶の“茶葉”の使用は年々減少傾向、簡便なペットボトル飲料が拡大傾向にあり(農林水産省PDF参照)、急須の保有率は平成23年の84%から平成31年では59.6%で、20代、30代では50%を下回ります(クリンナップ株式会社キッチン白書参照)。
統計データから、日本では手軽な飲料需要が高まり、急須を使って緑茶を飲む文化が色あせつつある事が分かります。

現代は、タスク量や目にする情報量が多く、効率性や速度が求められ、
自分の中で優先順位が低くなるものは、「より簡便」な方に流れてしまう傾向にあるのかもしれません。
それは、必要な事でもあるだろうし、仕方のない事だなとも思います。
一方、寄り道をしながら物事を理解したい気持ち、ゆっくり時間をかけて考えたり行動を積み重ねないと身に沁みて分からない事もあるよね、という思いも持っています。
効率よくする部分と、時間をかける部分の選択を自分の中で考えながら過ごせるのがベストかもしれないけど、そんな優先順位を決める「時間を確保する事」自体難しくなっているようにも感じます。
最近そういう事を考えていると、今は「時間」が求められていて、その時間を確保できるような手段が必要なのかもしれない。と思うようになりました。今の行動と心の奥底で思っている感情が乖離して心身の不調に繋がる前に、立ち止まる時間を意識して作れたら、人生や暮らしにおいて、大切にしたい事・手放したい事が見えてくるのかもしれません。
お茶の時間は、今から約1200年以上前、陸羽が「日々の多忙から離れて再び自分自身に戻る機会とみなし、人生に必要である美や平穏を作り出す手段」と捉えられたように、現代の私達にも重要な「気づき」に繋がる行為に思えてきます。
そして、遠い所に手を伸ばさなくても、身近な日々の暮らしや、例えば毎日の“お茶”を見つめる事で、より確実に心身が満たされる体感を得られる。
そんな発見があったら、それって、揺るぎのない幸せなんじゃない?とも。変化が多い世の中でも、毎日の確かな充実の蓄積があると、それが小さなものであったとしても、ゆっくりと、自分に対して自信を与えてくれると思うんです。私は小さな発見が、本当に大好きだと、お茶を通しても思います。

はじめましての方も引き続き読んでくださっている方も、お読みいただきありがとうございます。今後も焦らずゆっくり続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

店主 絢音

【参考文献】
リング ゲイラード著 磯淵猛監修 
完璧な一杯を淹れるためのテクニックを紹介
世界のお茶・基礎知識・文化・ブレンド・レシピ
TEA BOOK(2016)
大森正司著 おいしい「お茶」の教科書
日本茶・中国茶・紅茶・健康茶・ハーブティー(2010)
ジョセフ・ウェズリー・ウール著 磯淵猛監修(2017)
茶楽、世界のおいしいお茶、完璧な一杯のためのレシピ
ヘレン・サベリ著 竹田円訳
「食」の図書館 お茶の歴史(2014)
ビアトリス・ホーネガー著 平田紀之訳
茶の世界史 ー中国の霊薬から世界の飲み物へ[新装版](2020)



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