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店主の暮らし日記⑩瑞々しい感覚の話

こんにちは!雑貨屋 あるくらし 店主の絢音です。
雑貨屋 あるくらし は、現在、店舗を持っていませんが、
イベント出店やオンラインストアからスタートした雑貨店です!
こちらのnoteでは、お店の歩みを記録中です!
(雑貨屋 あるくらし についてご興味のある方は、
マガジン「雑貨屋 あるくらし を開くまで」にまとめておりますので、
良ければそちらをご覧ください!)

先月無事に、初のワークショップ企画、暮らしを「試す」ワークショップ「おうちあんこをつくってみる」が終了しました。
「今、自分ができる事を最大限全部やりきりたい!」と意気込んで準備を進め、やってみたい事を妥協せずに向き合えた有難い期間でした。
イベント当日の、心から幸せな時間だけでなく、実現するまでの、悩んだり、手を動かしたり、お願いをしたり、発信する過程も、そして、まだまだおぼつかない手際の悪い搬出入も含めて、紛れもなく、リアルな今の自分の経験だなと活き活きと体感していました。
そこから、ホッとしたぁ…。と思ったら、およよ…と体調を崩して、あれよあれよとゴールデンウイークが過ぎ、最近ようやく落ち着いて、日常を過ごせるようになりました。そして、今は本を、じぃっと読んでいます。

そういえば、会社員として仕事をしていた頃も、今も、一直線に向かうイベントが終わった後、次の大きな活動を決めて(活動が決まって)進むまでのあいだの期間を過ごす事が苦手です。
目標が決まり、それに向けてひたすら走っている時には抱かない「何をすればいいんだろう」や「このままで大丈夫なんだろうか」という悩みの対処がうまくできないからです。
今年、今までと少し違う事は、この時期が苦手なんだ。と自覚できるようになったことです。(これまでも自覚はしていたかもしれないけど、自覚する強さや、これではいかん。変わりたい。という気持ちが強くなりました。)
そこで、自分なりに、この期間の過ごし方を見つけるため、「自分の苦手な時期が来ている。」とまず受け入れるようにしています。
そこから、もう一歩、変えていくために考えると、「決まっていない状況」が苦手なのかもと気づき、大きくなくてもいいから、小さく、「決めてあげる」事が今の私に必要な事かもしれないと思うようになりました。
年初にイメージしていた今年の挑戦したい事リストをもう一度振り返り、そして、今の自分のしたい事をざっくりと整理してみました。

・レンタルできる畑の場所と時期のリサーチ(済)
・年始から始めているカメラケース作りを再開(継続中)
・noteの執筆(継続中)
・読書(継続中)
・料理の勉強と実践(継続中)
・中国茶、台湾茶の勉強と実践(継続中)
・気になる作家さんの展示を見に行く(なるべく在店日を狙う)(継続中)
・取り扱いたい雑貨やお店のイメージのストック(継続中)
・あんこWSの第二回開催(未)
・暮らしのWSの別の企画を考える(未)
・もし、カフェをするとしたら?の妄想デザートを考えて実際に作る(未)
・整理整頓(未)
・体力づくり(未)
・誰かのために料理を作る時間を増やしたい。(未)

という感じです。
項目をあげて、数日経ってさらにリアルに気づいた事が、
というより、目を伏せてた事に気づきます。

・スケジュール管理をして、「ほんまに“やる”時間」を作ってあげること。
・やる事に行き詰ったら、「やりたい事」リストの項目をより細かく具体的にイメージして、行動に移せるようにすること。

が欠けている…という事実でした。
直近で大きなイベントを抱えていない、今の時間を大切に過ごすためにも、このリアルな気づきをできるだけ、実際の行動に移せるようにしていきたい!と思います。

今回のテーマは、「瑞々しい感覚」の話です。

今回のテーマ「瑞々しい感覚の話」は、最近のやりたい事のひとつである「読書」をしている時に気づいた感覚についての話です。

4月のイベントが終わってから、隙あらば本を読んでいます。

私の読書は、同時期に数冊並行する事が多いです。1冊の本を読破しきるエネルギーや集中力がない時に、試しに複数冊を並行して読み始めると、程よく、別世界に移動できるような気がしたり。複数冊の本を行ったり来たり、たまにリンクさせたりすると、なんとなく、自分が今一番関心のあるトピックスや感情が分かるように感じて、並行読みできる本が数冊あると安心します。今回の気づいた感覚も、そうした並行読みの中で感じた感覚でした。

ごはんが描かれる小説が好きな祖母にも読んで欲しいなと選んだ定食屋「雑」と、
タイトルと本の装丁を見てうわぁ!欲しい!と思った「コーヒーにミルクを入れるような愛」

くどうれいんさんの「コーヒーにミルクを入れるような愛」を通勤電車で読んでいるとき、ふと、「私も、高校生の頃、友人とこういう類いのコミュニケーションをしていたかもしれない」と懐かしく思い、記憶の中をタイムスリップしていました。ただ面白い事に、「高校生の頃を思い出した。」訳ではなく、「あ、今、この文章を起点に過去を反芻しているなぁ。」とちょっと俯瞰して思い、そこから過去の思い出をいくつか、時期を問わずにランダムに思い出そうとしていました。その頃、別の本で原田ひ香さんの「定食屋「雑」」をちょうど読了し、本の一番最後に2020年のコロナ禍の時期が描かれていたんです。その影響か、すぅっと取り出された記憶は、その当時、体調を崩し休職・退職した苦い思い出でした。
本を読みながら、「思い出すのが、この時の事かよっ!」と若干悔しくツッコミながら、気づいた事がありました。
それは、その当時、相当に暗い・黒い・じめりとした、どん底のような感情を、確実に抱えていたはずなのに、今「苦い思い出」という5文字くらいのサイズで捉えるようになっていた事です。そして、その過去を思い出したとしても、打ちひしがれる事もなく、ピリッと少し嫌な気持ちになって、若干悔しくツッコんだ程度でした。
その瞬間、「瑞々しくとらえられる体感って、短いんだ」と思ったんです。
果物や野菜の採りたての瑞々しさがその「採りたて」の僅かな時間だけのように、体感や感覚の瑞々しい鮮度も「その時」のものなんだと、ただただ思い知ったのです。
今、私は、過去の出来事を思い出す事で、その時の感覚をキュッと胸で感じながらも、現状を分析したり解釈をしたり。相手を慮ったり。自分にのしかかるダイレクトな感情としてではなく、「記憶」としてひとつの物差しのように使っているんだとハッとしました。
過去を全身で再度体感できることはないけれど、コンパクトに思出せるようになっていた事実は、生きていく上でとても有難い人間の特性だなと思いつつ、少し惜しい気持ちもしました。
会社員として精一杯、仕事とひとり暮らしの生活を回していたあの頃、
体調を崩して、退職して、次も決まっていないどうしようもない絶望のなかから、周りの人に助けていただいてなんとか生活を再スタートしたあの頃、結婚して新しい環境がはじまったあの頃、インテリアショップで働いたり、在宅ワークをしながら個人の活動を並行できないかともがいて、でもできなかったあの頃、あるくらしをスタートした1年前、ここで働けたらいいなと思っていたカフェに3年越しの想いで勤務がスタートしたあの日も、全ての瑞々しい感覚は、嬉しいも、辛いも、どんな感情だってその時にしか感じる事ができないんだと、胸の中でじんわりと感じ、今の「苦手な時期」もしっかり体感しながら過ごしたいと思いました。この時期だって、小さくできる事をコツコツしていけば、「少し暮らし方に変化をつけられた時期」として、過去を取り出せるようになるかもしれない。

友人の結婚式に向かうために久しぶりに新幹線に。快晴で富士山がくっきり!

先日、大学時代の友人の結婚式に行ってきました。ちょうど、このnoteの記事を6割ほど書いている時でした。
その友人の結婚式でテーブルを同じにしている友人達とはここ2・3年でそれぞれが結婚し、その都度、同じテーブルで近況を話していたメンバーで、個性が全く違って、それぞれの素晴らしい個性を尊敬している友人達です。
みんな、私ができなかった会社員を、悩みを抱えながらも、たくましく続けています。本当にかっこいいなと思います。毎回、会う度に、尊敬したり、自分って全然だめだなぁとコンプレックスを抱いたり、いろんな感情が湧くのですが、今回一番に思ったのは、それまでとは少し違った気持ちでした。
自分がもし、店舗を構える事ができたら、彼女たちがふと休みに来れるような場所でもあって欲しい。という事でした。30代を目前に、お互いの頑張りを励ましたり、幸せを喜んでいると、ただただ、「お疲れ様、よく頑張ってる。」と18歳の時に出会ったみんなのそれぞれの20代を称える気持ちが強く湧いたんです。自分ができているか・できていないかという判断より、日々頑張るみんなを「お疲れ様」と励ます場所が作れたら、どんなに嬉しいだろうという視点。
世界を見る視点が少し変わったようで、純粋に嬉しかったんです。

そんな、誰かを「お疲れ様」と迎え入れられるお店ができるようになりたい。それが、今のとても瑞々しい気持ちです。
こういった瑞々しい記録を残せるように、やっぱりnoteの更新も続けていきたいです!

はじめましての方も引き続き読んでくださっている方も、お付き合いいただきありがとうございます。今後も焦らずゆっくり続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

店主 絢音


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