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最近、仲間からとても興味深い話を聞いたので、こちらにもシェアさせていただきたい。

プロとは、自分でピリオド(〇)を打てる人である

という言葉を、仲間のひとりから紹介された。彼も人から聞いた話だそうだが今の自分の心にささった。
なぜだろうか。それは、ちょうど査読論文に取り掛かっていたからである。一般論としてもいえることであるが、仕事は締め切りがあるがゆえに、物理的にピリオド(〇)を、なんらかの時点で打たざるを得ない。
しかし、芸術や趣味の世界で、自分だけの都合で作業を進めている場合、それはどうなるのであろうか。
話が飛ぶようだが、音楽を聴いていて、いったい、誰がダメ出しをするのだろうかと思ったことはありませんか。音楽といっても、わたしがよく聞いているポップスの話であるが、昨今は技術の発達により何度でも録音した、あるいは電子的に作り出した音のパーツが自在に差し替えたりいじったりできるのだという。
果てしなく続く、編集作業や改善の作業、いったい誰が満足してピリオドを打つのだろう。
さきのわたしの仲間が曰く、アマチュア(プロでないもの)は、自分でピリオドが打てないのだという。それはそうだ。仕事であれば、若い社員は必ず上役の確認と承認をもらって、その仕事を完成とする。
逆に言えば、自分でこれが完成だといいきれれば、その仕事においてはプロだといってもよい。なぜならば、ダメ出しや突込みをしてくる人に対して、かくかくしかじかで、これが完成だといいきれるのであるのだから。
個人的なこと、芸術家の話、仕事のことと、話が拡散したようであるが、結局、そのものやことに対して、自分としてどこまでコミットできるのか、責任がとれるのかということが全てに共通のことであると思う。
はて、わたしはアマチュアな態度で仕事をしているのか、プロとして仕事に向き合っているのか、折節に自分を振り返ってみたいと思う。

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