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国際協力の新潮流(フェーズ分けしてみると)(その1)

わたしは、1992年から2008年まで、開発コンサルタント会社で、いわゆる政府開発援助(ODA)の世界で働いてきました。東京をベースに世界中に短長期に出張ベースででかけるという生活を12年間続けて、2004年から2008年まで、フィリピンのマニラ事務所の駐在員をしています。

その後、事情で実家のある愛知県に戻って商社で5年、国際協力NGOで1年間スタッフとしてお世話になって、社会人大学院生を3年半して、今に至るという経歴なのですが、明らかに、社会が国際協力をみる目も、業界の内部も、なにより国際協力で求められるものが変わってきていると思います。

国際協力を仮にフェーズ分けするとわたしなら、このようにわけます。

戦後復興期(1945~1954):第二次世界大戦後の先進国自体の戦後復興の時期。日本はもとより欧州各国もアメリカの援助を受けた。

国際協力1.0(1955から1970なかば): 「経済開発」を目的とした「国家開発」事業が世界中で繰り広げられた時代。アメリカのトルーマン大統領の「貧困との闘い」に象徴される、東西冷静構造を背景にした先進国の援助合戦の時代。いわゆる「開発援助」が本格的に始まった時期といえる。ダムなどの大規模なインフラによる社会基盤整備の時代ともいえる。

国際協力2.0(1970なかば~1990): いわゆる「ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)」の時代。大規模な社会基盤整備より、コミュニティレベルの衣食住と保健、教育などのソフト分野に目が向けられるようになった時代。これらのコンポーネント(構成要素)は今でもコミュニティ開発の基本である。

国際協力3.0(1990~2005):「社会開発」と「参加型開発」の時代。1992年のブラジルのリオデジャネイロの国連の環境開発会議や1995年のデンマークのコペンハーゲンの国連の社会開発会議に象徴される。

ほぼ同時期に、「人間開発」や「人間の安全保障」の考え方がオーバーラップしてくる。「人間開発」は、アマルティア・センによって開発された「人間の開発指数」に基づき1990年から国連開発計画の『人間開発報告書』によって、「人間の安全保障」は1994年の『人間開発報告書』に初めて取り上げられた。

今までのトップダウンあるいはトリンクルダウンの政策が見直され、住民参加型のボトムアップが重視されるようになる。なお、参加型開発手法自体は、1980年ごろから開発・実践されてきたが、国際的にメインストリーム化されるのは、この時期である。

国際協力4.0(2006~2015):「BOP(ベース(ボトム)・オブ・ピラミッド)」と「ファンドレイジング」の時代。2000年頃から、開発途上国の貧困層を将来の消費者として、購買能力を高めようとするBOPの考え方が援助の世界にはいってくる。つまり、支援の対象者ではなく資本主義経済のボトムとして貧困層をとらえなおす動きである。

一方、NGOの世界でも、かつての個人のチャリティーや奉仕の精神に訴えかけて支援を集める方針から、大企業から/と組んでお金を集める、いわゆる「ファンドレイジング」が本格するのも2000年頃である。日本でも2005年頃から、「ファンドレイジング」という言葉が一般化してきたと思う。

この時期のポイントは、近代資本主義の枠組みを導入することが国際協力のメインストリームになってきたともいえよう。つまり、国際協力のアクターとして、経済人(企業や資本家)が本格的に参入してきたともいえる。

国際協力5.0(2010~現在):「社会的起業家」の時代。いままで、国際協力1.0から4.0までを特色ある時期であるとのべてきたが、実は、前の時期のものの、その後の時期においても同時に併存しているといってもよい。

あえて、2010年以降の特徴をいえば、今までの国家や国際協力NGO、そして経済人の中でも特に大企業が、国際協力のアクターとして大きな役割を担っていたのにくらべて、ほとんど個人レベルの「社会的起業家」が国際協力の世界で存在感を増しているのがこの時代といえる。

もっとも、社会的起業家については、欧米では2000年頃から、日本では2005年前後から活動を始めている。それらの企業や団体が、ようやく社会的にみえるようになってきたのが、この数年のことである。

社会的起業家については、先進国の人たちと、開発途上国の人たちによるもののふたつがある。実は、開発途上国ですでに活動を始めている社会的起業家に先進国の社会的起業家が協力するというパターンが多々ある。

つまり、先進国の社会的起業家の受け手やパートナーとなりうる40歳から50歳の社会的起業家が、すでに開発途上国の中にいるということである。

わたしがスリランカであった社会的起業家は、もともと貧困層の生まれで、幼いころ先進国のNGOなどの支援を受けて、高校、大学、大学院生と教育を受けて進学して、みずから開発NGOを立ち上げて、その延長で、社会的起業家にスライドしているという人がいた。

他にも、インドやスリランカで、社会的起業家の人にお会いしたが、もともとNGOで、結局、政府も社会保障制度も整っていないので、みずからファンドレイジングして企業体として民間企業と組んで事業をおこなっているという方が何人もいた。

つまり何がいいたいのか。国際協力1.0から5.0までふりかえってきたが、これまで第二次世界大戦後70年をへて、ようやく開発途上国の内部で、貧困層出身でみずから社会的起業家として立ち上がった人が顕在化してきたという事実を、直視しなければならないということである。

今までのべてきた国際協力1.0から4.0を担ってきた国家やNGOや企業などの組織の役割が終わってしまったというわけではない。その社会的な役割がなくなるまで、これからも、一定の割合での仕事や雇用はありつづけるであろう。しかし、それが未来永劫につづくものとして考えることも危険である。

次節では、国際協力を仕事として考えた場合、どのようなアクターがありうるのか考えてみたい。

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