3.『7月18日 〈2〉』



「服、選んでほしい」わたしは志乃ちゃんに尋ねた。
「あたしでいいの?」志乃ちゃんはわたしに答えてくれた。
 彩花とカトエマ、とくに彩花は面倒くさそうな顔をしたが一階の、古着屋っぽいお店に入ってくれた。
 自分で服を買ったことがない。
 興味が無い。
 あ、この服かっこいいなぁとか、かわいいなぁとかは思うけど、それは多分、その服を着ている人が綺麗きれいとか可愛いからで、"そんな人たち"が着たらかっこいい、"そんな人たち"が着たらかわいい、というのを知っていてつまり、興味が無いんじゃなくて、わたしは自分の容姿に自信が無いから服を買わないだけなのだ。
 わたしは、自分の容姿を理由にバカにされることから逃げてしまっている。
 志乃ちゃんはいろんな色の服をカゴに入れ、手にとってはカゴに入れ、「どれかなあ」とか「これもいいかなあ」とか、こちらに意見を聞かないところがなんか良いけどでも不安でもある。
 志乃ちゃんはきっと志乃ちゃんが着る程でわたしの服を選んでくれている。
 あ、その服も、その短いパンツも、あ、それなんてきっと志乃ちゃんだから似合うんだよ? 彩花とカトエマもきっとわたしと同じこと思うに違いない。
「第53回! 中間なかま市女子中学生ファッションショウ!!!」
「カゴの中から選ばせてもらうけん。いいよ別に。」
「あ、ごめん。なんか、あたしだけ盛り上がってる感じ?」
「いや、楽しいよ。楽しいけど、みんなに悪いし、わたしに時間使うのもったいない。うん、やから、選ばせてもらうね」
「もったいなくないよ!」
「あ、あ、あの、ごめん、ね」
「ごめん。服選んでほしいって言われたのが嬉しくて。でも自分だけ舞い上がってもね。でもね、服は着ないで買うより着てから買う方が絶対良いよ」
 志乃ちゃんはカゴから黄色のシャツと紫の短いパンツを手にとった。
「このシャツとこのパンツを着てね、その姿を見せたい人を想像するの。谷田ちゃんにもいるでしょそういう人。その人といるときの自分を想像するのって意外と難しかったりするやん? 表情とか仕草とか。そこで試着室の鏡登場! 部活とか勉強だって練習するやろ? それと同じであたしは、あたしはね? ここで練習するんだ。家だと姿見すがたみ無いけんさ、やるならやっぱ試着室。まあ、無理にとは、言わないけど」
「着て、みてもいい?」
「ふふふ。それではこちらになります」志乃ちゃんはすぐ店員さんになってカゴを持ってくれた。
「全然似合ってない」
「そう? むっちゃサイケデリックやん」
「わたしサイケデリックじゃないよ」
「サイケデリックだよ?」
「どこらへんが?」
「周りのことも自分のことさえも何も見れてないところ」
「わたしってそんな感じなん?」
「それがサイケやん」
「これがサイケなん?」
「次これ!」
「ちょっとさすがにこれはどうなん?」
「似合う似合う!」
「適当に言っとらん?」
「あとこれ担いで」
「担いで?」
「あとはこれかけて。これも首から、そう、それでそれはめて。できた!」
「遊んどるやろ」
「遊んどります」
「やっぱり」
「ごめんごめん。あとであたしもなんかするから」
 鏡を見た。
 じいっと見てると目が悪くなりそうな黄色のシャツ、なんでも沈んでいきそうな紫のパンツ、尖った星型のスパンコールつきの両翼、ジャラジャラのネックレス、骸骨の指輪。それをまとっているのがこのわたし。
「好きかも」
「うぇ!? 本当?」
「おかしい?」
「羽くらいからふざけてたんやけど。でも、服は自分に似合うかじゃなくてその服を着たいかどうかやから。谷田ちゃん。すっごくグッドばい!」
 財布をこの店の紙袋にしまって、志乃ちゃんにお礼を言った。
 嬉しそうに志乃ちゃんもお礼を言ってくれたが、志乃ちゃんがこの店で買ったのは無地の、白いシャツ一枚だけで、その服の色が不安の色に見えなくもなかった。

 新しいわたしの服装を世界のような面構えで見、二人はそれで口を歪ませた。ただ、志乃ちゃんだけは何度も「かわいい」と褒めてくれるものだから本当に馬鹿げてると思うけど、こんな自分も少しはかわいいと思えることができてしまった。
 彩花とカトエマはドリンクバーだけ頼んでわたしはペペロンチーノ、それからみんなと食べたいキノコのピザを頼んだ。志乃ちゃんはミラノ風ドリア、それからマルゲリータピザを頼んでいた。ダイエットしてると理由づく彩花の細い腕はわたしのように馬鹿げているし、ドリンクバーで炭酸ジュースを飲まないなんてカトエマは幼稚だなと、こちらもわたし自身のように馬鹿げていた。
「カトエマは浴衣もう買った?」
「もっちろん」
「どんなの? 見して見して」
 カトエマはケータイのボタンをすばやく連打した。
「うわぁ~キュンッキュンするね」
「そうやろ!? 巾着きんちゃくも買って、あとはサンダルなんよね」
「んー、この色やとやっぱ黒やない?」
「よね、鼻緒はなおは桃色?」
「鼻緒は桃色」
「鼻緒は桃色よね」
「なんの話?」
「彩花は浴衣買った?」
「まだやね~悠馬がじんべやったら合わせるけど、でも多分やけどあいつ普通ので来そう」
「わかるなぁ、そういうのあんまり興味無さそうやもんね悠馬くん」
「スマッシュどう打つかとミサンガ切れるか切れんかしか気にしとらん」
「みんな、は、どこの行く、予定?」
香月かつき直方のおがた、あと遠いけど大濠おおほりとかやないかな」
「いや~大濠はあれ花火大会って言うよりタイムズスクエアやない?」
芦屋あしやは今年はあるんやっけね?」
「芦屋はそもそも花火ないやろ?」
「芦屋あるばい、サマカニやろ?」
「か、蟹?」
「サマカニは行ったことない」
「あ、私もだ」
「あたしも。谷田ちゃんは?」
「ない、かな、でも、蟹ならあるよ」
「どっち?」
「渡り蟹」
「渡り蟹? え?」
「渡り蟹、佐間さま蟹はない」
 志乃ちゃんはボフォと口の中のエビ(?)を吹き出して笑い、「でも今年は、そうやね」と内気に笑いを留めた。


「はい! サンドウィッチ!」
 幼稚な古ぼけた合図で三人はそれぞれポーズを決めたあと、カッシャンという音がこの個室に入れ込んだ。わたしだけは音を聞けてもその音に反応してなにをすればいいのかわからなかったから、半ばやけくそに歯茎むき出しに笑ってみせた。
「サンドイッチ? サンドウィッチ?」
「イッチやない?」
「ウィッチやと魔女になるよね」
「砂の魔女」
「なにそれ?」彩花はわざわざトーンを殺して画面に落書きする。
「あれだよね、サンドイッチやと三回一致するってことやない?」
「あ、やから三回しか撮れない仕組みになっとるんや」
「やね」
「や~ね~」
「谷田さんおもしろい顔しとるね」カトエマは親指を立てて笑った。
「そう、かな」
「カトエマ今さら気づいたん? 谷田ちゃんはね~面白いんだよ」
「なるほど、面白い、か」
「ね、見て! できた!」彩花は慣れた口つきでわたしだけを遮った。
 なにが面白いのかよくわからないけど機械の口から吐き出されたこぶりの写真の自分の顔は、少なくとも面白いなと思えた。
 面は変に白く、加工気味の輪郭は尖りきっていたり、でも線はぼやけているからみんなはみんな、目が大きくなってお人形さんみたいだけど自分はくしゃくしゃに両目をつむっているので一見すると泣いているようにも見えた。
 次になにをしようとも、わたしにとっては全部が全部、はじめてのことだからなにをやっても勝手に楽しい。
 そのものすごく楽しいはじめての中に志乃ちゃんがいて、その志乃ちゃんはさっきからずっと笑ってくれてる。
 慧くんと、同じだ。
 体育館裏にある大きな木の下で、わたしは葉っぱと葉っぱの隙間から逃げ込んだ光を見ている。風が服の内側に忍び、それはなんとなく、気持ち良い。葉っぱは揺れるとさらさら音がして、それもやっぱり、なんとなくだけど気持ち良い。
 お母さんとお父さんとわたし。三人で暮らしていた家のことをぼんやり想う。楽しい思い出には必ずお父さんがいる。楽しくない思い出には必ずお母さんがいる。
 ベンチであぐらをかいてるお父さん。お父さんとわたしの距離は遠いけど弱々しくこちらに手を振っているのがわかる。
 隣にはお母さんがいる。お母さんはお父さんを見ていない。空を見ているのか、湖を見ているのか全くわからない。もしかするとなにも見ていないのかもしれない。
 お母さんはれたブルーシートの上でコンビニのお弁当を手にのせ、両脚をわたしに流し、女性らしく座っている。
 お母さんは口をもごもごさせたあと、容器に口を近づけて、一番隅に種を吐き出した。梅干しみたいに顔中しわを寄せ「すっぱいねえ」とわたしに微笑みかけてくる。
 風が吹いて、お母さんの前髪がふわりとなびいて、その風にさらわれるようにお母さんは風を目で追いかけた。
 リビングからは声が聞こえていてその声を自分の部屋で聞いている。
 ところどころは聞き取れない二人のこもった声。
 時々怒鳴る二人の声。
 わたしは布団の中から顔を出し、どうか、どうか二人が仲直りできますようにと壁に祈っている。
 さらさら音がする。
 わたし達家族はもう、あの頃には戻れないなんて思ってる。
 蛇口のひねる音がして光を見返し、音の方を向いた。
 乾いた手洗い場に、男の子が慌てて駆け寄って、水を目一杯飲み込んでから手に持っているものを両手で洗いはじめた。
 男の子は白い半袖のシャツに夜空みたいな色のズボンをはいていて、肌はチョコレート菓子みたく日焼けしている。男の子は周りを気にしながら、誰からも見つかりたくないようにコソコソと、それを洗い、何度もシャツで磨いた。
 なにをそんなに必死になっているのだろうと目を凝らす。
 それはピカピカ光っていて、あ、この男の子はどこからか、星を盗んだんだと思った。
 だからあんなに焦っているのだ。
 男の子は磨きながら、星の輝きを何度も宙に掲げ、そのたびに、大きく笑った。
「次はなにしますかねえ」
 志乃ちゃんはまた、大きく笑う。

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